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2014.04.13 (Sun)

生徒の時期-NOTE

日本語では小学生を「児童」、中高生を「生徒」、大学生を「学生」と呼ぶ(らしい)。

さて、Free Novel Game も含んだオタクコンテンツにおいて、なぜ「学生の時期」を舞台設定とした作品が多く描かれているのか、ということを考えた。

「ラブコメ」は当然のこと、「バトルもの」だろうが「伝奇もの」だろうが、「ファンタジィ」だろうが「SF」だろうが、ジャンルを問わず、とりあえず「学園生活」か、すくなくとも「学生」の身分なのである。(そこまで積極的にアニメを追っているわけでもないわたしでも良く見るのだから、相当量が作られているものと思う)

ただこれは、その作品の主要なターゲット層が中高生であるから、彼らにとってある程度のリアリティを持った設定になっている、とも考えられる(し、実際、そういう側面はある)が、しかし、未成年はアクセス不可能である(ということになっている)PC ゲーなどのアダルトコンテンツでも似たような傾向が散見できることから、営業的な選択ということだけでは納得できまい。

結局のところ、日本人にとって「義務教育+高校生」の時代は、恐ろしく強烈な原体験として記憶されているのだろう。逃れえぬ質量を持った天体のごとく、ココロのまんなかに鎮座しているのだろう。ある意味で日本人は、この「学生の時期」に囚われているのだともいえる。

とても下品な推測をすれば、あまり良い思い出のなかった「生徒の時期」を、小気味の良い幻想でもって上塗りしているのではないかとも考えられるが、現実はどうなのだろうか。



と、ここで自分語りをしてみれば、「生徒の時期」を早々にドロップアウトしたわたしには、この時期に対してある種の「羨望」や「後悔」の念はあっても「共感」のそれはないのだ。この共感の欠如が、わたしの「学園もの」への苦手意識につながっているように思えてならない。

しかし、それでいて「生徒の時期」を舞台にした映像作品は好んで観るという矛盾もある。これはなぜかと自問してみると、映像作品のほうは「俳優さんが演じている」という明確な「フィクションの構造」を理解しながら目にしているから冷静でいられるのではないか、と思う。

そして(ほぼ制作者ひとりが物語部分のすべてを司っている)Free Novel Game ではその「歴然とした虚構」の部分が薄ぼんやりとしていて、ココロの距離の取り方がわからないのでは、と自己分析してしまう。




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