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2014.02.08 (Sat)

開会式 観ちゃうような ミーハーで すみません-NOTE

Free Novel Game における「全世界に公開してるんだから、どんなレビューをされても文句を言うなよ、それが公開するってことだからな」という「恫喝」は、ただのマッチョイズムにすぎない。「ワタシが苦痛に耐えているのだから、オマエも耐えるべき(=抜けがけ、オイシイ思いは許さない)」という、身勝手な押しつけである。

あるいは、「自分がされて嫌なことは他人にもするべきではない」と諭す試みも、相手側に「ワタシは罵詈雑言を突きつけられることを恐れない。だから他人に悪意を向けもする」という理屈も成り立つため、あまり良い方法だとは思えない。

そもそも、他人の行動をコントロールすることはできないし、コントロールしようとしてはならないと、わたしは考える。「ワタシ(の理屈)は正しいのだから当然従うべき」という姿勢は危険である。それが善意や社会正義からのことであれば(例えば「世界が平和でありますように」「世界がもっと優しくなりますように」のような願い)なおさらに。

さらにいえば人間は、モラルやルールはもちろん、ときには生物としての欲求すらもねじ伏せて行動することがある。これはすでに理屈を超えたチカラである。そこまでのものをどうこうしようと足掻くのは無駄に感じる。

結局、他人から悪意(あるいは善意であっても)を向けられたその時々で、対処していくしかないのだろう。それが苦痛であっても、コミュニケイトするしかない。







最近、ある作品で「アニメーションでキャラクタをダンスさせる」のは難しいのだな、と感じた。

ダンスを表現するにおいて、例えば、ただ動きを正確にトレースするというだけでは充分とは言えないだろう。ダンスとはある動きからある動きへとつながる連続性、そしてそこに流れる「時間」が重要なのである。ダンスを支えるリズムや、身体表現を際立たせる動きのなかの緩急も、現実的な時間経過の上に存在している。

そこに、作画枚数の制限があるからといって、例えば、現実の人間の動きでかかる 1/2 の時間でキャラクタをターンさせてしまったら、それはやはりどこか不自然な挙動に見える。原理的に「中抜きされたパラパラマンガ」でしかないアニメーションでは限界があるのだろう。

これがアクションシーンであるのならば、動きを中抜きすることで「スピード感」や「迫力」を出すことができるが、ダンスでそれをやってしまうと、やはりダンスではなくなってしまうように思う。現実にもスピード感のある「高速ダンス」というものもあるが、それだってダンスのフリをスキップさせているわけではないから。

それならば、『アイカツ!』や『PR』、『プリキュア』のダンスシーンのように 3D モデルに躍らせてしまったほうが合理的だし、実際、これらのダンスにそこまで違和感はない。(まあ、わたしが 3D モデルびいきであるところも影響しているのかもしれないが)


ちなみにコレ「Wake Up Girls!」とコレ「桜 Trick」ね。ロボットか宇宙人が踊っているのかと思わせる、生理的な部分に響くキモさがある。ちゃんと人間のカタチをしているだけに。

『WUG』、実写ドラマで若手女優さんが踊っているなら下手でもなんでもサイコーなのに(「あにてれ」で新番告知があったとき、期待しちゃった)とか、『桜』のキスシーンでニヤけている連中は「いっちょ前にキスしたいとか思ってんのか?」とか、まあいろいろ。

とりあえず、『PR:RL』の「月面の くちゲンカ 死闘」が(いろんな意味で)スゴすぎて、こんなんどうでもええわ。



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04:07  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

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 |  2014.02.08(土) 12:32 |  |  【編集】

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