2014.01.22 (Wed)
A Whole New World or Girls in trouble! DEKARANGER ?-NOTE
個人的には(Free Novel Game 作品において)「短編より長編のほうが価値が高い」などとは思わない。読了まで 10時間とか、それが例えどれだけ優れた作品であったとしても、わたしには拷問でしかない。
物語には、それを成立させるために必要な「情報量の密度」というものがあるとわたしは考えている。この「密度」を高めるための最も単純な方法は「とにかく文章を書き込んで、文章を物量的に増やす」、カンタンに言えば「長編にする」ことである。これはイメージしやすいし、説得力もあるだろう。
しかし、長編にせずとも「密度」を高める方法はある。それは「ひとつの文章に込められた意味を研ぎ澄ます」ことである。これこそ、わたしが短編に価値を見出す理由でもある。
個々の文章から無駄を「引き算」することで削ぎ落とし、洗練させ、それでいて「10 の文章に匹敵する意味」を滲ませることができるのならば、どれだけ文字数が限られようとも長編と同等、あるいはそれ以上のことを物語ることは可能である。
ただ、この方法には「物書きとしての勘の良さ」も「より多くの努力」もいる。(大変な作業であることには違いないが、文章を書き込むことだけならば、時間をかけさえすればだれにでも達成できるだろう)
「長編が書けないことに思い悩んでいる人」でも、やり方によっては「自分の短所だとされている部分を逆転させ強みに変える」ことができるとわたしは信じている。そして、それこそが「個性」の煌きであり、ほんとうの Creativity なのではないだろうか。
Dear "Princess Jasmine". ※ (出典 1) or (出典 2)
カツオもちびまるも、おっちょこちょいでぐーたらである一方で、知能犯的な閃きを見せることもあって、そのふたりに例えられるというのは「なるほどなあ」と思いました。日曜夕方はキトキトですね。
あと、「Music Video が理想形」というのはすばらしいですね! わたしも Music Video 観るの好きです。ストーリー仕立てのものよりもダンス系のヤツですが。原始の Beat !!
物語には、それを成立させるために必要な「情報量の密度」というものがあるとわたしは考えている。この「密度」を高めるための最も単純な方法は「とにかく文章を書き込んで、文章を物量的に増やす」、カンタンに言えば「長編にする」ことである。これはイメージしやすいし、説得力もあるだろう。
しかし、長編にせずとも「密度」を高める方法はある。それは「ひとつの文章に込められた意味を研ぎ澄ます」ことである。これこそ、わたしが短編に価値を見出す理由でもある。
個々の文章から無駄を「引き算」することで削ぎ落とし、洗練させ、それでいて「10 の文章に匹敵する意味」を滲ませることができるのならば、どれだけ文字数が限られようとも長編と同等、あるいはそれ以上のことを物語ることは可能である。
ただ、この方法には「物書きとしての勘の良さ」も「より多くの努力」もいる。(大変な作業であることには違いないが、文章を書き込むことだけならば、時間をかけさえすればだれにでも達成できるだろう)
「長編が書けないことに思い悩んでいる人」でも、やり方によっては「自分の短所だとされている部分を逆転させ強みに変える」ことができるとわたしは信じている。そして、それこそが「個性」の煌きであり、ほんとうの Creativity なのではないだろうか。
Dear "Princess Jasmine". ※ (出典 1) or (出典 2)
カツオもちびまるも、おっちょこちょいでぐーたらである一方で、知能犯的な閃きを見せることもあって、そのふたりに例えられるというのは「なるほどなあ」と思いました。日曜夕方はキトキトですね。
あと、「Music Video が理想形」というのはすばらしいですね! わたしも Music Video 観るの好きです。ストーリー仕立てのものよりもダンス系のヤツですが。原始の Beat !!
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