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2013.11.09 (Sat)

Free Novel Game に「ゲーム性」は必要ない-NOTE

むかしから「一本道ノベルはゲームじゃない」と主張している人はいた。

ただ、そもそも論としての「ノベゲが『ゲームでなければならない』理由」が、主張している本人の「思い込み」以外は思いつかず、心底どうでも良いと感じていたし、また、時代の流れによって旧来的な境界線も薄れ、もはやそのような「偏見」も廃れたものだと楽観視していたわけだが、身近なところから、いまだに「ゲームであるか・ないか」を評価基準としている人間がいるのだと聞いて驚いている。

わたしが、Free Novel Game は「でなければならない(ゲーム的でなければならない、小説的でなければならない、エンタテインメントでなければならない、など)」という「あるべき論」から脱皮する道を行くべきである(あ、ヤベ)と考えていることを明確にした上で、そもそも「選択肢程度ではゲームとは呼べない」と主張しておく。

数個の選択肢で個々の結末に分岐するよう制御されている程度の作業的な構造を「ゲーム」と呼ぶべきではない。せめて、複雑な条件を踏まないと Ending にすら到達できない(しかも、それがただの理不尽ではない)くらいの知的挑戦でないといけない。プレイヤーが試行錯誤する必要のない、エンディングリストを埋めるためのルートの丸暗記のようなものでは面白くないのだ。

だから、ハッキリいっていま、まともに「ゲーム」と呼べる Free Novel Game 作品が数えるほどもない現状で、それでも「ゲームか・そうでないか」などという瑣末な理由で制作者を難じるのは不毛であると、わたしのようなものは考える。

だいたい、Free Novel Game 作品をゲーム性を感じさせられるバランスにまでチューニングするのは並大抵のことではない。結果、ライトな制作者が「選択肢ゲー」に甘んじていることは、ある種の必然だともいえる。そういった現実に思い至ることもなく、ただギャアギャアと喚くのはよろしくない。


そういえば、Free Novel Game の古典的名作である『ひとかた』の後書きには「ある区切られた時間を延々と繰り返すループ構造を追体験すること自体がゲーム的なのである」と記されていたはずである。つまり「見た目一歩道ノベルでも、この作品は『ゲーム』なのだ」という理屈だったわけだが、これはあくまで当時の感覚であり、ループものが広く認知され、濫造されている今日でも通用するものなのかはわからない。







日テレの「ハリポタ祭り」も終わって。

どうでも良いことだけれど、8作目ともなると、さすがにルーナも育ってるなーって。

声優さんの印象はそれほど変わらないから余計にね。ハーマイオニーの声の人、好きだわー。



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01:45  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

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 |  2013.11.09(土) 04:44 |  |  【編集】

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