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2013.09.14 (Sat)

レビューの未来 その一片-Free Novel Games

わたしはいままで、他人さまが書いた物語に読み手なりの解釈を好き勝手に付け加えるのは失礼なことなのだと思っていた。作品内のシーンにはすべて、書き手なりの明確な意図が託されていると信じていたからである。いわば、その意図こそが作品の「正解」で、それを無視するようなかたちで別の解釈を挟み込むのは良くないのではないか、と考えていた。

しかし、例えばガムベースさんは『笑わない』のなかのいくつかの展開を描いた理由を「良くわからない」「覚えていない」と証言しているし、また、作家の吉田修一氏も、自らの作品の登場人物を指して「この人がなにを考えているのか、良くわからなかった」「わからないのものをわかったふりしてごまかすのではなく、わからないそのありのままを書いてみようと思った」といったような意味のことを NHK のインタビューで語っていた。どうやら、書き手自身も作品のすべてを把握しているわけではないようである。

もしも、作品に書き手の手の内にない未知の領域があるのなら、その部分を補うために、読み手が自分の解釈を持って作品を語ることも許されるような気がしてくる。書き手(制作者)が作品の直接の「生みの親」なら、読み手はそれを育み新たなステージに押し上げる「育ての親」。作品は公開とともに完成するわけではないのだ。

では、「ふたりの親」のあいだにいるレビュアーの役目とはなにか。それは、作品をより豊かなものにするため、読み手の多様な解釈を導く「道標」を立てることではないだろうか。もちろんその道標、つまり作品評は、ある程度の説得力と作品に対する敬意 () を持ったものであることが好ましい。カタログのキャプション程度のものではなく、レビュアー自身の生きた「感想」であることが望ましい。


「良い点・悪い点の併記」「ある水準に達した作品は推薦」「プレイヤーは制作者に敬意を! 制作者はプレイヤーに敬意を!」といった「NaGISA の大先生サマ」や道玄斎さんのレビューは確かに「公正公平」かもしれないが、どうにも「色気」がない。読み手を惹きつけ、ときめかせるような「色気」が、である。

これらのレビューを参考にしているプレイヤーも、いつのまにか「安全牌」ばかりを求めるようになり、挙げ句の果てには大手レビューの更新が滞りだしたくらいで Free Novel Game が下火になったのではないかと憂いてみたりするのである。アホか。依頼心が強すぎる。

まあ、どうせなにを書いたところで知名度でもアクセス数でも負けている現状では、傍から見れば「遠吠え」のなにものでもないのだろうが、Free Novel Game 界隈が本格的にツマラナくなるまえに、新しい道を模索してみるべきだろう。あなたにもきっと出来る(丸投げ)。



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