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2013.09.11 (Wed)

「夢」はもはや 物語のなかに しかない-NOTE

冬生まれさん、ありがとうございます。どちらも合っていますよ~!

自分の誕生日を覚えていてもらって、それを祝ってもらえるなんて、とても嬉しいです!

ちょっと泣きました。いや、これは盛りました。







ジャーナリズムの論法で語られるものはともかくとして、物語性を持つすべての事柄(さまざまな媒体のドラマであっても、歌の詞であっても)は人間を癒すためにある。例え血みどろのスプラッタや欝展開まっしぐらのダークさといった一般受けしづらいジャンルであっても、そこに癒しを見い出した人は熱心に支持するだろう。受け手が物語に価値を与えているともいえる。

そしてもちろん、癒しはフィクションの「嘘」だけに留まらず、現実を切り取った物語でもおなじことである。2020 の東京五輪は「庶民の癒しへの願いが招いた」と言っていた人がいて、なるほどと思った。みんな、日本や五輪の内情などは置いておいて、とにかく「夢」と「感動」という物語に癒されたいのだ。

それと同時に、物語を描く側、ノベゲでいうところの制作者もまた癒しを求めているのかもしれない。自作品に対するレビューや感想文を読んで必要以上に傷ついてしまうのは、その内容やことば遣いといった表面的な問題ではなく、もっと根源的な「創作行為という自分の癒し」を邪魔されたと感じるからではないだろうか。他者が介入してこようとすること自体が不安なのだろう。

ただそうなると、レビュアーと制作者の対立は、ある意味では防ぎようがない、必然的な事故ということにもなる。なかなかの地雷原である。



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