03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

2013.08.23 (Fri)

LIGHT-CHAOS 地母神ブラックマリア-NOTE





それがどんなものであれ、他人さまン家の文化をあたまごなしに否定することは恥ずべき行為であるとは思うが、それにしても上記リンクのエントリを読む限り、キリスト者というものほど、よっぽど「自虐的」でマゾ的気質を持った存在もないと感じる。いったい、どの口でサヨクを批判しているのか、良くわからない。


まあ、それはともかく。わたしはすこし勘違いしていたのだが、どうやら「他国による侵略行為」に対して武力を持ってこれに応戦することは、現在の憲法 9条下であっても可能であるらしい。(と、池上さんが解説していたwww)

そうなると「NaGISA の大先生サマ」の「オマエら、例え生命を失ってでも国家の捨石になりやがれ」という扇動も、たんなる「机上の空理」などではない、もっと現実的な啓蒙活動だったことになる。

しかしこうなると(以前にも書いたことだが)扇動者である「大先生サマ」が「覚悟」とやらを表明していないことが気になってくる。ぜひ御本人に「あなたの『危惧』するとおりに、例えば中国などが日本に対して侵略戦争を仕掛けてきた際には、あなた自身が率先して逸早く戦線に趣き、見事、立派に散華する『覚悟』がお有りなのですよね?」と伺ってみたい。どう考えても、腰の引けている一般ぴーぽーよりも意欲のある「愛国者」のほうが、より多くの戦果を期待できる点において合理的というものであろう。

有事の際には無差別的な徴兵制で産出された兵隊などではなく、志願兵として、お勇ましい「愛国者」どもが戦線に立つというのなら、その戦争を応援してやっても良い。ぜひ見事にクタバって、時の総理大臣に「感謝と尊崇の念」を捧げてもらってほしい。彼らはきっとそれで満足なのだろうから。


先日、母の実家に帰郷したとき、改めて客間(かなんか。お盆のための祭壇などを組めるほどの広い部屋。都会ではほとんど見られないようなヤツ)に掲げられている写真について説明を受けた。祖父の父とその兄弟は、あの戦争で亡くなっているらしい。生まれてこのかた、何度顔を見てもピンとこないはなしではあるが、わたしもあの戦争とまったく係わりのない存在ではないということだろう。(まあ、三世代も離れていれば、もう他人のようなものではあるのだが)

例によって今年も、終戦記念日の前後には、あの戦争についての特集番組が多く組まれていた。そのなかで、取材を受けていた戦争体験者たちは口を揃えて「もうコリゴリ」だと言う。これにはおそらく政治的・思想的な意味合いはないはずである。天災に巻き込まれた人々がその状況を喜びはしないのとおなじように、疲弊し傷つくことの多い生活などウンザリというだけのことだろう。そしてわたしはその証言のほうにこそ共感するのだ。

だいたい、わたし自身のことはともかく、わたしの友人たち、有尾さんやエコーさん、冬生まれさんやアヤメさんの生命が危険に晒されることのないようにと願うことが、それほど愚かなことか。

「大先生サマ」は「戦争反対だけ叫んでいれば平和が転がり込んでくるなら、苦労は要りません」などとほざいていたが、しかし平和というものは「特定の政党や政治家」が与えてくれるものでもないはずである。保守政党にマンセーマンセー言っているだけの「ネトウヨ」が、他人さまに説教しようとは片腹痛い。あるいはキリスト者の傲慢であろうか。

そういえば、自身も戦争体験者である美輪明宏さんが「文化にせよなんにせよ、あの戦争によってすべてが断絶してしまった」と語っていたことがある。もしかしたらウヨクの連中は、その「断絶してしまったもの」を取り戻そうとしているのかもしれない。すでに行き詰ってしまった現代ではなく、失われた遠い過去にこそ救いがあると縋りつきたいのかもしれない。

だが、それはきっと叶わない夢である。70年近くも前の日本に立ち返ったところでなんになるというのか。80年代や 90年代ですら、いまはもう人々の記憶のなかに留まっているだけの、実体を持たない残影である。今冬放送予定のセーラームーンだって、むかしのすがた、そっくりそのままではいられないのだ。


ただ、考えさせられる部分もある。「平和」だ「誇り」だなどと抽象的な表現をするとボヤけてしまうが、「国を守る」とは要するに「生活様式を守る」ことだろう。

オイル欲しさに難癖をつけて戦争まで起こしたアメリカや、日本の海底資源を狙っているだけとしか思えない中国が強欲だといえばそのとおりだが、それもまた自国の生活様式を守るために必要なのだと言われれば、誰がそれを強く非難できるのかと疑問に思えてしまう。

生活様式がその国の文化や国民のアイデンティティに強く影響するものである以上、そこには「強いちから」が生まれる。それこそ他人や自分の生命すら顧みないようなちからである。そして結局のところ、そのちからの働きによって「平和」もまた維持されるのなら、確かに「戦争反対だけ叫んでい」ても意味がないのだ。

(ごめん。なんだか良くわからなくなってきた。許容量オーバー)



関連記事
01:06  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

Comment

コメントを投稿する

Url
Comment
Pass  編集・削除するのに必要
Secret  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://sorrry.blog104.fc2.com/tb.php/872-0be138f7

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |