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2013.04.28 (Sun)

なんか ジブリの文庫の広告 が-Free Novel Games

お互い、ノベゲ制作に関してかなり近いスタンスの持ち主であると思うが、「一途に考え抜く」という姿勢においては、チャランポランのわたしがガムベースさんに並ぶことはないと思ふwww



ガムベースさんからのコメント:#368



あべこべなことを言っているのかもしれません。

いや、「感じるままに作れ」をより自覚的な技法として説明すると「与えられた様々な情報を取捨選択し、過去の読書体験と合わせて、自分の作品の『グランドデザイン』を形作る」になるのではないですか? わたしにはおなじことのように読めますが。




もし僕の、何らかの考えが「作品全体のグランドデザイン」を縛るものならば、修正していきたいと考えます。

うーん、「自由」に固執しているとおっしゃるガムベースさんからすると、こういう考えになってしまうのかもしれませんが、わたしのいう「グランドデザイン」はそういうものではないのです。

つまり「独創と生命」のアレですよ。「グランドデザイン」の基礎的な部分は、制作者自身の「生命」によって成り立っているとわたしは考えています。もっとわかりやすく「心地良いもの」「納得ができるもの」としても良い。そういう、制作者の素直な感情を下地に「グランドデザイン」というものは築かれるのではないでしょうか。

そもそも、最終的な決定権が製作者にある以上、できあがった作品が誰のどんな言説に影響されたように見えても、そのこと自体を気にする必要はないと思いますよ。というか、「外部のすべての影響からも自由」なんてことは現実的ではないのですから。




と、考えながら、「実例」を示すところでは「レビュー」がよい役割を持てるんじゃないか、という気がふとしました。

これ、「このシーンのこの演出は、こういった効果があるんだよー」みたいなことを指摘する、ということでしょうか。

そういった技術的な指摘を的確にできる「レビュアー」が実際のところどれくらいいるのかはわかりませんが、まあ、ノウハウを学びたい人にとっては有用かもしれませんね。

そういえば、わたしは作品の感想で、あまり個々の演出について言及することはないかなあ。ぜんぶ覚えていられないのでwww




せっかく支持してもらったところですが、「集合知」については発案だけです。

いえ、わたしのもただの思いつきだったので、ぜんぜん気にしないでください。確かに個々にノウハウを DL するより、ブラウザ上で参照できるほうが便利ですよね。

ただ、すくなくとも「Material」は誰かに強いられているわけではなく、みんなが自主的に素材を上げているので、「集合知」の実践の場として適切かな、と思ったのです。「オーソドックス」ではない活用法もあるのでは? みたいな。




僕は、前回のエントリから、そういった「作る過程」の話で良し悪し(「生命」のある作品か、「量産品」か)が決まるみたいにいっている印象を受けたので、疑問を覚えたと書いたのです。

なるほど、そういうことだったのですね。

わたしにはたぶん、オーソドックスな「型」に乗っかる行為自体が「独創」として映るのだと思います。例え、初心者がどれほどの魂を込めていたとしても、最初に「オーソドックスな型」を選択した、その感性自体が気に喰わないのです。それこそ、「とりあえずオーソドックス」のような感覚で作られたようなものはねwww

もちろん、これは完全な主観的評価ですから、それを非難されることはしかたがないとも思っていますが、そもそもガムベースさんがおっしゃるように「オーソドックス」の厳密な定義すらないのに、それでもなんとなく「オーソドックス」と捉えられてしまうような作品を、わざわざ評価したりはしたくないのです。




僕は、作品の魂は「非オーソドックス」に「作ろうとする意図」から宿るものではないと考えています。

そうですね。ハッキリいって、多くの読み手から評価されているノベゲだって、別にぜんぶがぜんぶ突飛だったりドラマティックだったりするわけではない。むしろ、セオリーにとても忠実なシナリオのものすらあるでしょう。

しかし、それらが「たんなるオーソドックス」で片付けられていないのは、やはり「グランドデザイン」がしっかりしているからなのでしょうね。製作者自身の価値観にシッカリと立脚して作られているから、そこに魂が宿った「ように見える」のでしょう。だから、制作者は「描きたいものを描ききるしかない」というのは正しいと思いますよ。




「ノベゲ作品に対して、完全に主観に依った評価を下して良いのか?」は、まったくの逆ですね。「客観的な評価などあり得ない」と僕は考えています。それだけでなく、そもそもレビューにおける「主観」「客観」って何? ということから疑問に思っています。本当に「もやもや」な状態なのです。

あー、なるほど、真逆だったのですか。うーん、でもけっこう難しい悩みですね。

そもそも、一般のレビュアーにしても「気に入ったから」その作品をレビューとして取り上げるわけで、まったく主観が介在しないということはありえません。

ただ、じゃあなにがレビューの客観性を担保しているのかといえば、それはたぶん「好き・嫌い」に依らない、万人が納得できる技術的な部分の評価なのではないでしょうか。つまり、ある部分は「優れている」、ある部分は「劣っている」、そして全体として見れば「良い感じ」というのが、レビューの基本形というか。

「NaGISA の大先生サマ」が「物語の流れ」や「キャラクタメイキング」といった技術的な評価を主軸にしているのも、主観を極力排除しようと努めた結果なのではないかと思っています。




制作者は「オーソドックスさ」からも「斬新さ」からも「自由」であってほしい、と恐らく、考えているのでしょう。「オーソドックス」なものも「斬新」なものもあっていい。

そうですね。わたしも大賛成です。なんならもう「ノベルゲーム」でなくても良いかなwww



(※旧カテゴリ名「のべげ とは なんぞ」)



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02:37  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

Comment

akinoさんのいう「なんならもう「ノベルゲーム」でなくても良いかな」ということは、僕も、真面目にそうじゃないかと考えてます。
「ノベルゲ」が「総合芸術」だとしたら、そういう方向に考えが進みますよね。
「ノベルゲーム」でなくても良い、ならば、「のべげ とは なんぞ」という問題にも、意味がなくなって、とても好いですね。
僕は便宜上、それっぽいものを「ノベルゲーム」と呼び続けますけど。

僕は、akinoさんの意見に対して「自分はこう」「相手はこう」で納得できる段階に達したと感じていますので、ここでコメントを止めさせていただきます。
もう、互いの意見に対して、大きな誤解もないように思いますし。

ありがとうございました。
ガムベース |  2013.04.28(日) 23:57 | URL |  【編集】

私は製作者でもレビュワーでもない単なる1プレイヤーですが、お二人のやり取りはとても興味深かったです。
通りすがる |  2013.04.29(月) 20:40 | URL |  【編集】

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