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2013.04.23 (Tue)

みんな 自分で 考えることから 始めてみては?-Free Novel Games

ガムベースさん、丁寧なリンク報告ありがとうございます。

該当のエントリ、まったく問題ありません。むしろ、わざわざ取り上げていただいて恐縮です。









道玄斎さんの「色んな人の色んな技法を纏めるサイトとかあると凄い有益だと思う」という思いつきに賛同するという趣旨のエントリ。「技術解説記事のレビュー」あるいは「実践的なノウハウのまとめサイト」みたいなリストがあれば良いよね! とのこと。

そんなものがあれば確かに便利そうだとは思うが、反面、おそらくほとんど役に立たないだろうとも思う。まとめやブクマのリストみたいなものを眺めて満足するだけの自堕落な人間こそが、そういった「便利」を最も求めるものだからだ。アンテナの受信状況が劣悪な感性には、情報の山も無用の長物である。

とりあえず何事であれ、自分が世界初の創始者である「まったく未知の分野」でもない限りは「必要最低限の基礎知識」がなければ始まらないことは明白だ。先人たちが蓄積した技術や知恵から学ぶ、あるいは盗み取る。個人で楽しむだけならテキトーに思うままにやっていれば良いが、ある程度きちんとしたものを作りたいのであれば、知っておかなければならないことはたくさんある。

だから、道玄斎さんが「さまざな指南書に触れて見識を広めよう」というのも、「NaGISA の大先生サマ」が「面白い物語を読んで勉強しなさい」というのも、「基礎をきちんと固める」という点においては正しい。

ただ、それはあくまでも「基礎知識」の範囲内での話である。それ以上のあらゆるノウハウ、つまり「どんな素材を作り・集め、「総合芸術」としてあるためにどのように演出すればよいか、という部分」までもを他人に求めてはならない。それは自分自身で考え、悩み、構築しなければならない。そうしなければ、その技術とそこから生み出された作品は結局「なにかの模倣」でしかなくなる。超ヒット商品の二番煎じコピーみたいなものだ。そんなものに誰が感動する?

道玄斎さんのいう「絶対的に正しいやり方」というのは、恐らく存在しないというのは、まさにそのとおりなのである。自らを省みることを怠り、効率や合理性だけを追いかけていては、創作活動を実りあるものにはできない。マニュアル本どおりに進む恋愛など存在しないように「創作活動には、義務教育で扱われる問題のように始めから答えが用意されているわけではない」ということがわからないのなら、ノベゲ制作など志すべきではないのだ。きっと人生の浪費になる。


というわけでわたしは「基礎知識以上のものを扱う『有用なまとめサイト』などありえない」と考える。例えありふれた手法だろうが、自分でアンテナを張って、自分で考え出すしかない。









フリゲギョーカイには「作品を公開したほうがエライ」という風潮がある。例えばわたしは「大先生サマ」から「作る作る詐欺」と揶揄され、わたし自身もそれを恥じる部分があるわけである。あるいは、制作者の「ノベゲ作ったこともないくせに、文句言うな!」みたいな逆ギレが一定の効力を持ったりするのだ。

だから、道玄斎さんは「オーソドックスな作品を」とりあえずでも「作ってみる事をお勧めしているわけ」だ。習作でも公開してみることで得られるものも多いだろうし、案外「斬新な作品」と受け取られるかもしれないよ、と初心者の自意識にくすぐりをかけているわけである。まあ、実際、そんな上手いこといくわけないと思うが。

とりあえずわたしは、初心者向けと銘打ったノベゲ制作講座で「ヒロインの印象が薄いので、ベタなクセや属性といった個性でも乗っけて『リアリティ』を出せば?」などと書いてしまう道玄斎さんが思い描く「オーソドックスな作品」なんてどうせロクでもないと馬鹿にしているだけなので、初心者の作品がエターなることにはさして興味がない。そんなの、別に誰が困るわけでもないし。


さて、ここでわたしの偏見丸出しの「オーソドックス観」を記しておくことにする。「オーソドックス」をわたしなりに意訳すれば「どこかで見たようなもの」「すでにありふれたもの」となるだろうか。要は「学生もの」「感動もの」「伝奇もの」「幼馴染みがいて、男女の悪友がいて、ボケたりツッコんだりするコメディっぽいヤツ」「トラウマを抱えた若者の恋愛もの」のような、似たような作品が掃いて捨てるほどあるジャンルのことである。

思うに、「斬新」への執着が足かせになるというのなら、とりあえず、みんなが慣れ親しんできた設定やシナリオを借りてみてはどうですか? と道玄斎さんは言いたいのではないか。すくなくともわたしはそう解釈したし、そのような「オーソドックスな作品」がこれからまたどれだけ溢れたところでまったく価値がないとも考えている。

わたしは「独創より生命」と書いた。「生命」とはまた仰々しいことばだな、と思われるかもしれないが、実際はそんなにむずかしいことではない。

例えば、背の高い人と低い人では見えている世界が違うだろう。太っている人と痩せている人では気温の感じ方が違うだろうし、北海道と沖縄に住んでいる人では季節の捉え方が違うだろう。このように、条件が異なればそこから導き出されるものも当然に変わってくる。このちいさな差異の集積が、結果として「個性」として表れるとわたしは考えている。

そして、その素朴な「個性」が作品に投影されていれば、というか、投影されていると「読んでいるわたしが」感じることができれば、そこに制作者の「生命」があるといえるのではないか。別に「斬新」でも「万人が感嘆するエンタテインメント作品」でなくとも良いのだ。書き手の人生の一端でも感じることができればそれで良い。

と、このように考えている人間からしてみれば、すでにある使い古された「物語のテンプレ」にオリジナルの設定をちょこちょこっと乗せただけの没個性的な作品を「王道だ」「オーソドックスだが個性は宿る」などと担ぎ上げているさまは、実にくだらなく軽薄に見えるのである。

「オーソドックス」で微細な差異を楽しむことができるもので、かつ「生命を込めた」もの」もある? 「あり得」ない。テンプレに依っている限り、それは「大量生産の既製品」である。

例えば、山手線に乗って車内を見回してみると良い。どれだけの人の顔があるか。その数だけ人生がある。わたしはそれを知りたい。これが世界に関心があるからなのか、ただの「消費者の強欲」なのかはわからないが、とにかくそういう気分なのである。


別に、商業ノベゲやラノベやマンガにあてられた制作者がいることや、「プロの商品」と見まごう作品を最終到達地点に据えること自体は、どうぞそのようにすれば良いと思う。

しかし、せっかくのアマチュア、せっかくのインディーズ、せっかくのシロートなのだから、情熱だけ暑苦しいイビツでニッチで自由な作品がもっともっと咲き乱れても良いのではないか。そのような作品が生まれる土壌を整えるほうが有益ではないか。と、わたしのようなものは考えるのだ。

だから、「自由であれ」というガムベースさんの姿勢には深く共感する。ありがとう。



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02:47  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

Comment

ありがとうございます。

「オーソドックス」の解釈は、僕もakinoさんの書いた感じで理解できますね。

ただ、akinoさんは、作品を読むことで「生命」を感じ取られているようですが、作品が「テンプレ」で「大量生産の既製品」かどうかも、読んでみた感想として判断されているのですよね。
であれば、例えば「『奇を衒う』ために、オーソドックスな形式から意図的に外された作品」(ある意味、「小賢しい」といえるのではないでしょうか?)と、「魂を込めて書いていたつもりが、何となくオーソドックスな感じになってしまった作品」も、結局のところ読んでみてどう感じるかで評価するのではないですか。

エントリの内容はakinoさんの感性によるところですし、感じ方にケチを付けるつもりは毛頭ないのですが、論理にちょっと疑問を感じました。


個人的には、僕も、「情熱だけ暑苦しいイビツでニッチで自由な作品」は好きですね。
「どこかで見たようなもの」「すでにありふれたもの」を好んでプレイしようとは思わないです。

というのは、しかし、読む側からの話ですね。
作る側としては、どんなものでも作りたいものを作り、その制作物に(時間がかかっても)自分が納得できたらいいんじゃないか、と思っています。
言い換えればこれは自己満足ですが、自分の作品を心の底から認めることができることは何物にも替え難い報酬だと思います。
ガムベース |  2013.04.24(水) 01:37 | URL |  【編集】

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