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2013.04.19 (Fri)

だから さっさと 上野に 行きなさい-Free Novel Games

『地獄の門』『考える人』で有名な彫刻家、François-Auguste-René Rodin がこんなことばを遺している。


彫刻には独創はいらない。生命がいる。(『カテドラル』)


なんと短く、それでいて力強い確信に満ちたことばであろうか。そして、このことばを用いることによって、わたしのノベゲ評価におけるスタンスを極めて簡潔に表すことができると思い至り、さすが「本物の芸術家」は違うと感銘を受けたのだった。

わたしは、「ノベゲ」という限られた枠組みのなかでの差異を比較するための「独創」よりも、例え不格好でもことば足らずでも、書き手自身の「生命」が宿ったように感じさせてくれる「作品」を愛したいし、そのような作品を評価していきたいのだ。




翻ってこちら。




このエントリのなかで道玄斎さんは、「ノベルゲームのシナリオ作成技法」といった指南書を積極的に活用しよう! と書いている。初心者にも優しい助言であるといえるが、そこは別にどうでも良い。(結局、「人それぞれ」みたいな着地しか出来ていないところは残念だが)

わたしが引っかかったのは「斬新」という表現である。道玄斎さんは良く、いわゆる「王道」と呼ばれるような類の作品でも、書き手が違う以上すべてが画一的かつ凡庸であるわけではなく、そこには必ず「個性」が表れる、と書いている。制作者やそれを目指すものにとっては、なんと心地良く、心強いいことばであろうか。


しかし。ここでいわれている「斬新」だの「個性」だのは、所詮はつまらない「独創」なのではないかと、わたしのようなものは考える。上っ面を追うだけの創意工夫では、他人さまのココロを掴むことはできないのではないか。

道玄斎さんや、あるいは「NaGISA の大先生サマ」も、「天才」のような特異な才能を要していないものは、堅実な作品制作をしなくてはならないという。だが、ほんとうに(彼らがそう呼ぶ)「天才制作者」たちは、無尽蔵に「独創的な」アイディアが湧き出し、大した苦労もなくそれらをかたちにしているのか。むしろ、ただ実直に、自分自身の「生命」を込めて作品を生み出しているだけなのではないか。才能の有無のせいにできるほどの違いなんてあるのだろうか。


ちょっと名の知れたレビュアーに、カンタンに「どうやってゲームを作ったらいいのか?」などと尋ね、それでいてどうせなら「斬新な作品」を作りたいと望む人たちは、Vauvenargues が記したとおり、「偉人たちが偉大なことを企てるのは、それが偉大なことだからである。しかるに、馬鹿者たちが偉大なことを企てるのは、それを容易だと思い込むからである(「省察と格言」)」ということなのではないかと、やっぱりわたしのようなものは考えるのだ。




さらに翻って、とおりすが Z さんの「私論」。

とおりすが Z さんは「小説と映画の組み合わせが原点なのは変かも」と書かれているが、だからこそむしろ、このコメントからはとおりすが Z さんの「生命」を感じ取ることができる。そこには「それでもやるのだ」という意思があるからである。


まあ、正直、わたしには「テキストを主体とした画像と音の演出による融合」という表現方法がどのようなものなのかを、上手く思い描くことはできない。(いや、それぐらいならフツーにありそうなものだが、わざわざ「現在のノベルゲームの主流からちょっとズレます」と書いているから、もっとスゴイものなのかなあと思っているだけだ)

とおりすが Z さんが感銘を受けた『ラピュタ』の映画版と小説版の相乗効果というのも、それはあくまでとおりすが Z さんのあたまのなかで補完されているだけのものであるともいえる。「映像表現」と「文章表現」にはそれぞれ違った特性があるが、じゃあそれをチャンプルーにしたら表現がより豊かになるのかといえば、そうとも限らないだろう。

しかし、自らの体験に基づいた明確なヴィジョンを持ち、他人がどう言おうと求道するというのなら、それをわざわざ否定する理由がない。マスに媚びず、そのまま突き進んでいってほしい。

とおりすが Z さんの作品の多くは仲間内で公開しているだけらしいが、いつかどこかで出会えれば良いな、と思う。







まったく関係のないオマケ。

今日、ひさしぶりに引っ張り出した CD の発売日が「2000年」になっていた。

その「00年代」の前半頃、CD の寿命がすこし話題になったことがあった。つまりは、CD は十数年、良くても 20年くらいで劣化してダメになるらしいから、 CD 黎明期に発売された(家庭でフツーに保管している)ものは、そろそろヤバいんじゃね? というものだった。

その当時は「へえー、CD って、やっぱりそのうち聴けなくなるのだなあ」くらいにしか考えていなかった。だが、「2000年」から早「13年」が経過してしまっている。

……あれ? それって意外とすぐかしら?

まあ、すでに音楽はデジタル配信時代、コピーしてしまえばどうとでもなるとも思うのだが。



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03:07  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

Comment

>それぐらいならフツーにありそうなものだが、

それがありそうで、ないのですね。
「ノベルゲームは読み物」を自認する輩にこっち系方面の作風の場合は演出不要と散々言われ続けて駆逐されましたから。

ノベルゲームはジャンルとして確立されてから18年余り経っているのですから、普通にあるのであれば演出水準も相応に向上して「魔法使いの夜」レベルの演出が商業トップメーカーでは一般的になってると思います。

そうなれば影響を受けた同種の演出もある程度の数が排出され続けてるでしょうから、アマチュア作品の演出の毛色も現状と違ってたことでしょう。

能力から実現してないケースは除外しますけど、「読み物」を推し進めたことで大半は思い浮かぶことさえないと思います。

現状ノベルゲームの認識は「劣化アニメ」か「読み物」に分類してはいても「メディアミックス」と認識してる人は多くないんじゃないでしょうか。


蛇足ですけれど、疑問に対しての補足ということで。

今回の件は色々と刺激になりました。
声援にも感謝です。名残惜しいですけれど失礼致します。ではでは。
とおりすがZ |  2013.04.19(金) 20:04 | URL |  【編集】

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 |  2013.04.21(日) 01:06 |  |  【編集】

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