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2013.01.21 (Mon)

Wall Breaker-NOTE

このあいだの『ホンマでっか!?TV』2時間スペシャルで、元番長さんが「もみあげと下顎のヒゲだけがまったくの白髪になっているのだけれど、会う人会う人、かならず『それは染めてらっしゃるのですか?』と質問してくるので、それをなんとかしたい」という「悩み」を打ち明けたとき、「自分の仕事(肩書きとして語れるほどに、しっかりと自覚しているもの)がきちんと定まっていれば、細かいことを気にすることもなくなる」というアドバイスが出ていた。

これはつまり、自分の「生きがい」をしっかりと持っている人はつまらないことに拘泥しない、ということなのだろうと感じた。

確かに、どこかギスギスと攻撃的だったり、自分を押し通すことに異常なまでに固執したり、笑えないほど卑屈だったり傲慢だったり、という人はやはり、自分の「生きがい」を見つけられずに、なにか虚しさを抱えているのかもしれない。(わたしも含めて)

そう考えると、「MaGISA 大先生」のどこか教義的で、押しつけがましさすら感じられるほどの高潔さは、「生きがい」を持った人だからこその立ち居振る舞いであるとも思えてきた。

仮に、社会に奉仕できる職業に就き、多くの趣味を持ち、さらに信仰にも身を捧げている人が、それでも「生きがい」を見いだせていないとなれば、それはけっこうな「悲劇」だろう。「大先生」は、すくなくともフリゲ関係の活動においては成功している部類に入っているはずだ。(であるなら、「大先生」とわたしを隔てる溝は、こんなところにあったのかもしれない)


訂正する。クズが政治に傾倒するとロクなことにならない。「NaGISA」は偽物である。


(そうすると、「嫌なことには極力関わらない」とココロに決めている有尾さんもまた、きちんと「生きがい」が定まっている人なのであろう)

そして、(これは失礼な指摘かもしれないが)わたしにある程度の好意を持ってくれている人たちは、どちらかといえば「生きがい」が定まっていないのではないだろうか。おなじ境遇のもの同士が、どこか響き合っているのかもしれない、と(コメントでのお付き合いのなかで)感じている。

とはいえ、見つからないものは見つからないのである。確かに、「生きがい」を持っている人が多いほど世界は平和に近づくのだろう(人間、一本の芯が通っていれば、他人に対して無駄な体力を使うこともないし、寛大にもなれるだろうから)が、しかし、「生きがい」はそこいらに落ちているような類のものではなく、それゆえにおいそれと手にできるわけではないからだ。ある意味では運に頼るような、不確実なものであるように思う。

結局、わたしたちは自分に出来ることをするしかない。「生きがい」が定まっていないものに与えられた「役割」もあるのだろうと願いながら、表現を続けていくしかないのである。

そして、いつの日か、わたしのことをすくなからず信じてくれている人たちに応えられれば良いのではないか、と考えている。



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