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2012.12.11 (Tue)

地震がくるたびに IKEA の書棚が倒れないかと怯えているんだ-NOTE

これまでの経緯を記そう。


先月、CD プレイヤが壊れた。レンズが傷ついているというわけではなく、盤を支え回転する部分が、音楽を安定して再生させるために必要な回転数を維持できなくなっているようだ。そもそも、CD がいっこうに回転しないので、とうぜん最初の読み込みすらできない。仮に偶然読み込めたとしても音が「カクカク」しだして、そのうち途切れる。はい終了。

で、すぐに新しいプレイヤを買うことはできないまでも、置き場所くらいは確保しておいたほうが良いのではないだろうかと思った。そうだ、部屋のものをすこし整理してみよう。もう年末だし。良いタイミングではないか。

と考え、さっそくはじめてみたものの、やっぱりすぐに飽きた。とはいえ、ある程度まとまった成果を出すまでは止められないよなー。


といったところである。



More ......



わたしの母はとにかく貧乏性で、あきらかに捨てれば良いどうでも良いものを「なにかに使えるかも」と貯め込んだり、あるいはトイレットペーパーやボックスのティシューといった日用品を、安売りしているからという理由でいくつもいくつも買い貯めして、狭い家のなかをさらに狭くしていたりしている。

そういった性質を反面教師としたわたしは、日用品は必要最小限だけ揃え、なくなるすこし前に買い足す、という生活をしている。実際、「買い置きしておけばっ!」と悔やむような事態になるのは年に一度あるかないかだし。


このように生活必需品については限りなくシンプルであるように努めているわたしではあるが、しかし、自分の趣味の領域については、まったく親譲りの「捨てられない人」なのであった。

いま、わたしの部屋を占拠しているのは、書籍や雑誌といった「紙の活字媒体」である。始末が悪いのは、これらの「紙」(これがまた、束ねるとやたらと重いのだ)は「読むため」というよりは「留めておくため」にあるのだ。つまり、情報を所有するため、あるいは記憶を確保するため、という意味合いが強い。

冷静に考えてみれば、上記した「買い置きしておけばっ!」とおなじように、ときたま思い出したように手に取るだけの「情報」に、そこまでの価値があるわけではない(全体の九割は普段の生活との接点がない)。普遍性を持ち得ない刹那的な「情報」の劣化速度は早いし、そもそも「情報」それ自体では「知識」とは呼べない。

などと、あたまではわかってはいても、これもやはり母と同じように「なにかに使えるかも」という「不安」が過ぎり、心底納得することもできずに、なかなか捨てるところまでいけないのだ。完全に意識が変質し、ゴミとおなじように見えるのなら迷いもないのだが、人間、数年程度で変わるわけでもない。

そうなると結局、細々とした部分は整理されても、根幹の部分ではなんの変化もない、お粗末な結果にしかならない、というのがわたしの人生なのである。



なにか、「世界に必死にしがみついている」ような感じが、たまらなく嫌だ。







引っ越し前の「なにもない部屋」を見て、ゾクゾクするほど嬉しかったわたしとしては、日用品はもちろん、本やらゲームソフトやらといったものまでもを「四次元クローゼット」みたいな場所にぜんぶ押し込んで、日常生活は「なにもない部屋」で過ごせたら最高だなあ、と夢想してみる。

いや、「うん LDK」とかの広い部屋に引っ越せば、叶うといえば叶うのだが。



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