08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

2012.09.18 (Tue)

ならば 「自分大好き ニセモノ製作者は フリゲ界から消えるべき」 である-Answer to massage

moveout



俺のレビューが単なる悪口のわけない
Vector
たけのこ日記



More ......



「NaGISA 大先生」のレビューをうっかり見てしまったwww

それにしても、「大先生」は自分が「粛清対象」には入っていないと確信しているよな。でなければ、レビュアーを批判している作品に対して「大きな感銘をいただきました」などと「他人事」めいた礼賛はできないはずだwww わたしのようなものは、こうはいかないwww

まあ、確かに「大先生」がこの作品にシンパシーを感じて、「準推薦」までつけてしまうのもわかる。こういうの好きそうだ。エラソーに人道を説きたがるところも似ているよwww

さすが、「2ch で叩かれたことがショックでノベゲから足を洗おうとしたが、なんとか思いとどまった」ことを誇らしげに吹聴する(「21」「22」)だけはあるwww



「悪口レビュアー」と「それに怒る人々」という関係は、「喫煙者」と「嫌煙者」のそれに似ている。健康面でも経済面でも大きな負担があるし、周りの人間にも迷惑になるのはわかっているのだが、それでも吸いてーんだよ! 脳がニコチンを欲するのっ! 的な?(まあ、わたしは人生で一度もタバコを吸ったことはないのだが)

わたしは、他の「悪口レビュアー」を擁護する気もないし、自分のこれまでの行いを弁解するつもりもない。というか、ここまできて、いまさら「良いコちゃん」になろうなんて許されることではないだろう。

だから、わたしに抗議したい人はすれば良いし、批判したい人もすれば良いし、呪い殺したい人はそうすれば良いwww わたしたちは「自由」なのだから。




前提 I:フリゲ界の発展について

この作品で「悪口レビュー」はフリゲ界の発展を阻害するから「悪」なのだと指摘されている。

一方で、「大先生」はレビューの結びで「フリーノベルがかなり衰退している」「レビューサイトも以前に比べれば激減している」と書いている。啓蒙活動や制作支援、コミュニティの運営などを行っている「大先生」の実感であるから、信ぴょう性はある。

では、「悪意のあるレビュー」が罪のない製作者を駆逐し、その勢いのままにレビュアー自身も自滅していったのだろうか。もちろん、そうではない。


そもそも、わたしはフリゲ界に(一般的に思い描かれるような)発展はありえないと考えている。

その理由はシンプルなもので、つまりは、フリゲ界は(この作品で主張されているとおり)「趣味人の世界」であるがゆえに「基本的に自由であり、かつハードルがものすごく低い」からである。

一日で「完成」させた習作をフリゲ紹介サイトに申請すれば、それだけで「製作者」になれる。この「参入も撤退も製作者の意思ひとつ」でどうとでもなるところがフリゲ界の最大の長所であり短所でもある。


フリゲ界の実体を端的に表した例を示すとすれば、「学生時代に立ち上げたサークルは、メンバーが社会人になった時点で、ほぼ活動停止・消滅する運命にある」というものになるだろう。これはもちろん、製作者の生活環境が変わったことで制作にかけられる時間がなくなったためである。

そうなったときでも、そのサークルのファンは「次回作のアナウンスをしているのだから、さっさと公開しろよ」などとせっつくことはない。「ああ、きっと忙しいのだな」と暖かく見守っていくことだろう。そうしているうちに時は流れ、そのサークルは存在自体が忘れ去られる。

また、このような自然消滅以外でも、製作者が自主的に辞めていくことだってある。その理由はもちろん「人それぞれ」である。ネガティブな理由だけとは限らない。どんなに有名でファンの多い製作者であっても、やっぱり辞めるときは辞めるのだ。

さらに、フリゲ製作者というものは律儀な人も多いので、きれいさっぱり、作品をすべて取り下げて「さようなら」することもすくなくない。そうなると、作品が「遺産」としてフリゲ界に残ることもない。世界に蓄積されない。

このように「強制」も「競争」もない「自由な」コミュニティが発展していくわけがないのだ。フリゲ界は、川の流れのように流動的に動き続け、いつかはみな過ぎ去っていく。それだけの世界なのである。

(また、以上のことを踏まえると、作品中にでてくる「創作とは批判を乗り越えてやるもの」「仮に悪口だったとしても、否定的な意見も全て耐え抜いた上でやるのが真の創作活動」といった「指摘」は、確かにポイントのずれた批判であると言わざるを得ない。

そもそも、そういった「覚悟」を負わなくてすむからこそ、製作者は「安心して」フリゲ界に参入してくるのだ。もともと持ち合わせていないものを発揮しろ、といっても意味がない。

であるから、わたしは彼らに対して「覚悟がない」という批判は(もう)しない。期待はしない。そこにある作品「だけ」がすべてであるから。重要なのは製作者の「心情」ではなく力量である)




前提 II:「趣味」であるフリゲの批評について

以前に途中まで書いて放置した「批評可能な制作物」について、改めて記しておく。

作品中で主張されているとおり、フリゲとは「趣味の領域」に属するものである。しかし、そもそも趣味として制作されているもののなかには、批評が「可能なもの」と「そうでないもの」が存在するとわたしは考える。

では、「批評可能な制作物」がなにかといえば、それは「(論理を用いての解釈が可能な)言語的表現」であり、その最たるものが「文章表現」である。

要は、フツーの人がフツーに読んだとき、おおむね内容を理解できるものは、文化や階級を超えた「普遍性」を持ち得るので、(おなじく普遍性を求める)批評行為に耐えうるといえる。

逆に「批判不可能な制作物」とは「感覚的表現」である。具体的には「イラスト」「作曲」「言語を用いた詩的表現」などになる。

例えば、厳格な文章表現で語られることは「つねにひとつ」であるが、ある楽曲を聴いたとき、個人個人で受け取るイメージが異なる、ということはありえる。このように、人間の「感性」に大きく依存した表現は、ある意味で論理の「外側」にあるといえるので、(論理を用いた)批評対象として適さないといえる。

もちろん、「感覚的表現」も「プロ(その分野に精通したもの)の視点」で技術的なことを指摘することは可能だろうが、それは「シロウト」の領分ではない。


以上のことから、「趣味の領域」である制作物のなかの「イラストや楽曲などの制作物を批評することは確かに不当であるが、ノベゲ(の文章表現)を批評することは妥当である」とする。




主題:「いまからおまえを Dis るぜ!」

はじめに結論を書くが、わたしはこの作品の製作者である「Conscience(=良心、道徳意識)」という人物が「製作者」……もっといえば「表現者」として「ニセモノである」と断定する。


作品中では「フリゲは 100% が作者の精神的利益によって支えられてる(どうでも良いが、この主張、二回目には「ほぼ」が抜けて意味が変わってしまっているのだが)」と強調されているが、そもそも、この前提からして間違っている。

「フリゲ制作」も含めた「表現行為」においての「最も根本的な動機」とはなにか? それは「やりたいからやる」である。ただ自らの内なる衝動に従うことこそが、表現行為の「唯一にして最大の理由」なのだ。

人間は「歌いたいから」歌い、「踊りたいから」踊り、「描きたいから」描き、「戦いたいから」戦うのである。また、他人にはあまり理解してもらえないような趣味、例えば「川辺で石拾い」や「インスタント食品のパッケージ収集」「コケの栽培」なども、本人が「やりたいからやる」のである。

(そしてわたしが「傲慢」「ウンコ」「反吐が出る」「品性も卑しい」「人道に反する」「サークル殺し」と罵られながらも、なんだかんだ活動し続けているのもおなじ理由からだと思う)

つまりは、フリゲ界を「ほんとうに」支えているものとは(多くは新規参入者の)「表現欲求」なのだ。製作者の「精神的充足」などは、二次的三時的な副産物に過ぎない。

それを、フリゲ界の「発展」のために製作者の「精神的利益」を保証せよ、などと主張するとは、「見返り(就活に有利だから、など)」を求めてボランティアに精を出すのとおなじくらい許しがたい欺瞞である。これこそが真の「傲慢」である。


さらに、都合良く「趣味の領域=アマチュアリズム」に逃げ込む、その「特権意識」も気に喰わない。だいたい、製作者はそこまでして「守らなければならない存在」なのか?

自らの「表現欲求」に従ってフリゲ制作をしているのなら、作品完成までに注いだ途方もない労力も「自分のため」であるといえるし、「フリーウェア=フリゲ」は、「無料で提供する」かわりに「そのコンテンツから生じた損害に対する責任を負わない」という「契約」が成されているに過ぎず、それによって製作者とプレイヤー双方の負担がバランスする以上、製作者の優位性を示す根拠にはならない。

ハッキリいってしまえば、「表現する」ことにおいては、立場など関係ないのだ。フリゲ製作もレビュー行為も、あるいはプレイヤーのちょっとした感想の書き込みも、「表現行為」としては同等である。そこにあれこれ理由をつけて「力関係」を持ち込もうとするのは、愚劣な政治的行為でしかない。

確かに、幼少期からすでに競争のなかにいて、他人との優劣を自覚させられ続け、世間からの評価を気にしなければならないような人生にウンザリした人々が Web 世界に理想的な環境を見つけ、そこで好きな趣味を「ささやかにやっていきたい」と願うこと自体は理解できる。

しかし「表現者」の態度としては、まったく看過できない。戦時中、投獄のリスクを負いながら、それでも自らの信念に従って表現を続けた偉大な先人たちと、「ボクの『精神的利益』を守れよぉう!」などとピィピィ鳴いているだけの人間を、おなじ「表現者」として並べることすらしたくない。汚らわしいから。


再び結論。おまえは「表現者」ではない。おまえは「agitator」である。おまえは「世界にひとつだけの花」病者である。おまえは「ニセモノ」である。

おまえの義憤はニセモノであり、おまえが手にした「正義の鉄槌」もニセモノである。

反吐が出るね、そういう態度、考え方ってのは」。恥を知れ。




だいたい、「社会正義」に従って他人さまを批判しようとする人間が、「捨て垢」みたいな小細工で、匿名性に隠れようとするんじゃねーよwww 堂々としていられない時点でウサン臭いと思われるに決まってるじゃん、マイナスだよバカwww

だいたいなにが目的なのよ? 主人公みたいに「悪口レビュアー」に改心してもらいたいのか、あるいはこの作品をボロクソに叩いたレビュアーをかたっぱしから挙げていって、「良識あるみなさん」に炎上攻撃でもしてもらおうって魂胆なの? それが「天誅」? なんなの?www

もうメンド臭いから、おまえが認識している「悪口レビュアー」を、そのハリボテみたいな Blog に列挙しておけよwww それで公開討論でもしよう。そのほうがよっぽどフリゲ界のためになるし、憎くてたまらないレビュアーどもを叩き潰すこともできる。まさに一石二鳥。やれよwww




おまけ。

しかし、やっぱり「大先生」のレビューは「political correctness(の日本語訳「政治的に正しい」といった意味で)」臭くて「ヒドい」なwww

例えば「何と言いますかちょっと「黒いもの」を感じてしまうのは、私だけでしょうか」といった「奥歯にものがはさまったような書き方」ではなく、「悪意や攻撃性を批判しているあなた自身が率先してそれらを発揮しているのはなぜですか?」くらいのことは書けば良いのにwww あんな直球な「悪意」、どんなバカでも「感じて」しまえるだろwww

どうやら「大先生」は「中立的な立場」「公正な評価」という理念に拘泥するあまりに「自らのことば」を失ってしまったようだ。(例えば、文尾に本文に対する「セルフツッコミ(=先手を打ったリスクヘッジ)」を入れたり、「~だと思うのは私だけでしょうか?」と言い切りを避けつつ、やんわりと「問いかけ」に「偽装」して読み手からの賛同(=「あなたもそう思いますよね?」)を求めたり)

そうやって「配慮」ばかりしている(「大先生」的には「真摯な文章」を書いているつもりだろうけど)から、こういった八方美人的な、猫なで声が聞こえてきそうな文章になっていってしまうのだろう。例えば、そういう態度で他人さまに接しているヤツをどう思うよ? 信頼できる? 「コビてんじゃねーよ、ブス」って思うでしょ? わたしは思うけどwww

結局、これが「(良識的な)レビュー」の限界なのだ。そして、古参レビュアーである「大先生」ですら「この程度」のヌルさであるから「レビューなんていらない」といわれるのだろうが。

そんなことにも思い至らず、ノンキに「ちゃんとしたレビューからはパワーをもらえるよっ!」とか「作者さんなくしてフリーノベル界なし。レビュアーなくしてフリーノベル界なし」とあいかわらずの持論をくりかえすとかしているからダメなんだよwww もっと深く考えろよwww


(まあでも、意外と「孤独でドライな」このノベゲ界で、製作者やプレイヤーのつながりをもっと強くしようと奮闘しているのは尊敬できると、今回のエントリのことを考えているうちに思えてきたのだけれど。『エイトストーリーズ』を完成させられたのも人徳があるからだよね……)



関連記事
03:15  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

Comment

コメントを投稿する

Url
Comment
Pass  編集・削除するのに必要
Secret  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://sorrry.blog104.fc2.com/tb.php/712-d360ff99

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |