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2012.07.17 (Tue)

「未来は より 良くなる」は アマい んだって-Hell in the mind.

「嫌原発・脱原発」派が、どうあがいても結局は「敗北」へ続く道を歩むしかないのは、日々の生活(「電気に依存する生活様式そのもの」であり「生活費を稼ぐための職場そのもの」であり)を人質に獲られているような現状では、「原発は憎いが……しかたない」という論調に落ち着くしかないからである。

原発事故当時、他人事のように原発擁護的な「正論」を唱えていた連中は、自分たちの「勝利」を疑っていなかったので、あれだけエラソーに振る舞えたのだろう。いま現在でも「来るべき未来」を想像してニヤついているのかと思うと、心底ムカついてくる。




現実的に考えれば、電力は必要不可欠である。

電力の安定的な供給が確保されなくなって海外のように停電続き、というような状況はありえないし、「節電、節電」とどれだけ宣伝されても、殺人的な酷暑を前にすれば生命維持のためにエアコンにでも頼らざるを得ない。

製造業が瀕死の状態になって国全体がビックリするほどの貧乏になるのもゴメンだし、オタクカルチャーがカラッポになってしまうのも(ジャンルにもよるが)耐えられないことだ。


だが一方で、あの未曾有の大事故を体験して、自分や家族や友人やこどもたち、あるいは遠い子孫の未来について真剣に考えた末に、「脱原発」の声を上げることもある。

そもそも、すべての日本国民は「不当に健康を害されない」権利を有しているのだから、原発が生み出す膨大な電力など無視してでも「よりクリーンな社会」を追求する、という態度は「間違ったもの」ともいえないはずだ。


はっきりいってしまえば、これは「エゴ」である。それぞれを並べてみれば明らかに相反するものであるし、現実的でない面も多分にある。だからといって、この「剥き出しの本音」を「愚かで醜いもの」として断ずることができるのか?

仮に「嫌原発(というか、わたしのような人間)」が「お花畑」だとして、その対極にいる原発擁護派、例えば「あの規模の津波に襲われても、あの程度の損壊で済んだのだから、むしろ原発(=日本の技術力の高さ)を褒めるべき」といったような、パンピーには良く判らない理屈で東電を擁護していた「技術者脳」や、「原発事故による『直接的な』死亡者などいなのだから、大した問題ではない」とか「原発止めたら電気がなくなるぞ!(ドヤ顔)」とかいっていた「科学主義のリアリスト」などの態度は、「正当で美しい」というのだろうか。

わたしは「そうは思いたくない」。



この先、「嫌原発・脱原発」派が惨敗したとしても、それは「原発擁護・推進」派の勝利などではなく、ただの「日本終了」への通過点に過ぎない、と思うことにする。

とりあえず、全員くたばれ。



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