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2012.05.21 (Mon)

ざんねん ノーミソ Network-Hell in the mind.

そりゃあ、「レビュー」だろうが「感想文」だろうが、自分の作品についてネガティブなことを書かれたら、良い気がするわけがないということも判るよ。

わたしに対して好意的なひとも「このひとアレだけど、まあ、おもしろいか」というレベルで、ほかの大多数は「社会不適合者」か「気が違ったひと」程度にしか思っていないことも知っているよ。どれくらいのチメイドなのかは知らないけど。

例え「エコーさん」のようなひとが「感想文」を読んで、密かに溜飲を下げているとしても、マイナス効果のほうが大きいことも判るよ。



でも書きたいのだわ、「感想文」。善きことも悪しきことも、包み隠さずにすべて。当たり障りのない部分だけを上手い具合に切り出した「平穏な文章」にはできない。それは「生きてはない」から。そんなのは無意味だし。

こうなるとすぐ、「そんなのチラシの裏にでも書いておけ」という「幻聴」が聴こえてくるけど、そんな「正論」自体が「チラシの裏」レベルだ。書きたいと思ったときは、すべて吐き出したいとき。そうしないと、ほかのことが考えられない。ことばがわたしを「支配」する。だから困る。



結局「止める・止めない」で悩むときは、自分がよく判らなくなるときだ。わたし以外のすべてが正しく見える。わたしの思考が、肉体が、すべて「まがいもの」に思えてくる。無意味無意味無意味無意味。

「それは自分に自信がなくて、かつ、自分を認めてもらいたいと思っているからだよ」と、誰かが言う。判っている。そういう「てい」だ。

わたしたちが「わたしの人生」と信じている事象もまた、「どこかで編集された物語」にすぎない。わたしたちは「人生(という物語)の主人公」なのではなく、まったく人工的な「物語」そのものなのだ。悲しみも喜びも「わたし」が描く。



そもそも、わたしは「考えている」のか? わたしの思考は、ただ脳内の「火花」がパチパチとはじけている「だけ」で、実は現実には「存在していない」のではないか?

わたしの文章はすべて、まったく「宇宙語」のようなものなのではないか? という不安はいつもある。マジで他人さまはこの文章を読んで意味を理解できるのか? ことば足らずで読みにくいというレベルを超えて、文章として認識できているのか? と。だから、コメントがキチンとつくことが不思議に思えるときもある。



でも、「感想文」に「悪意」がある、とすぐに判るくらいだから、そうでもないのだろうけどなッ!

いちおう、「下品」にならないように、以前にくらべれば、ずいぶんと気を遣って書いている(たまにそうではなくなる)けど、ムダなのだなと思いましたまる。

というか、「感想」ですらすでに「ネガティブな記述などありえない」というイメージなのか。ネチケットはそこまで浸透していたのか。それともただ「芸」がないというだけか。わたしも、おもしろみがない人間だとは思っているよ。

なんかなー、わたしも「大先生」のテンプレートをパクっちゃおうかなー。「敬意」さえ感じてもらえたら、どんなにとんちんかんなことを書いても、とくに指摘もされないなんて、うらやましいねっ!




まあ、これも寝て起きたら、ほとんど忘れているのだろうけど。これがなかなか忘れられなくなって、ずっとあたまのなかにあるようになったら、わたしも「1人」のなかまいりだな。



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