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2012.05.02 (Wed)

荒木先生だって 「精神」 について マジメに考えているもの-NOTE

ベートーベンはシラーの「歓喜に寄す」を「神々の火花」と評した。

そして、ある脳科学者は人間の「精神」とはつまり、

脳内に起こる「火花<スパーク>」の産物に過ぎないと語った。

そして、「それで良いのだ」とも。





「ブラバラ」での「Fairies」のパフォーマンスを、もう何十回と観続けている(モー娘。の新曲のほうはいまいちハマらないので無視しているよ。ゴメンネ!)。


そこで思ったのだが、歌やダンスを含めた「音楽」は、進化の歴史が「人間」に到達して、はじめて獲得した「能力」なのではないだろうか。

あたりまえといえばアレだが、犬や猫が歌を歌うことはないし、いくら「おさる」が人間に近いといっても、彼らが自らの「内なる衝動」からダンスを踊るということもないだろう。

そして、人間であろうことの「証明」とはなにかといえば、それはわたしたちの脳に宿る「精神」だ。それだけが「動物」と「人間」を決定的に分かつものなのである(あ、でも、動物もスタンドを使えるwww)。

つまり、わたしたちが「音楽」によって、どうしようもなく感情を揺さぶられるのは、眠れる「動物的ななにか(「本能」とか)」のせいではなく、「精神」より生まれたものがまた「精神」に響くからなのだ。


このことは、太古の昔より神事には歌や踊りが用いられてきた、という事実でも証明できる。人間が獲得した「精神」の希求が「神を創造した」のなら(反論は一切認めないwww)、その神に応える業もまた、「精神」から生まれたものでなければならない。

つまり、これもまた「精神」の「響き合い」というわけだ。わたしは、「自然(神が宿る場所)」と対峙したおおむかしの人々が、身体的・動物的な勢いでもって、手足をばたつかせたり、うなり声を上げていただけだとは、思いたくない。


そうなると、人類史の最初期、遠くアフリカの地で「はじまりのイヴ」とその伴侶が人間として「目覚めた」ことと、多くのアフリカンが音楽的才能に溢れている、ということとのあいだに、ロマンティックな因果関係を見出すこともできる。

アフリカの大地でステップを踏んでいたであろうその「足」で、長い長い旅を続けた一族が、やがてこの島国に辿り着き、そこを安住の地としたことで、彼らがわたしたちの(というか「Fairies」の)祖先になった、という歴史もまた、過去から伝わるすばらしい「響き」であるといえないだろうか。


……「響き」って、「美しすぎることば」だよなあ。「響鬼」と書くと、また別のものになってしまうけど。



追記:

……なんだか、「Semmy」が書くようなエントリになってしまった(内容も散漫さも含めて)。

もっとも、アイツは人類に対する「愛情」も「敬意」も、なにもかもが欠けているし、進化論自体をも否定しているのだけどねっ!www



追記 2:

冒頭で書いた科学者のことば、かなりはしょってしまったので補足。

正しくは「このまま脳に関する研究が進んでいけば、やがては『魂』すらも解明できてしまうだろうが、それで良いと思う」といった内容だった。

この「良い」は「事実は事実でしかないのだから、仮にすべてが判ったからといって、なにかが変わってしまうわけでもないでしょう」といったニュアンスだったはず。

「Semmy」は、科学が「オカルトを殺す」のだと信じ込んでいる(からこそ、科学を否定し貶めようとする)けど、科学者自身が「そんなことにはならないだろう」と語っているところに、「Semmy」の器の小ささを見て、個人的に大満足www



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