2019.02.08 (Fri)
真実から最も遠いもの --- 信念に固執する心
昔、わたしがいまよりもさらに浅はかだった頃、ショーペンハウアーの
「悪書を読まないことは、良書を読むための条件である」
ということばに「例え悪書だったとしても得られるものはあるはずじゃん」と反抗心を持っていた時期があった。悪食でも読書それ自体は善であると信じていた。
それから何年も経った現在、「さすがショーペンハウアーさん」とこのことばの正しさを痛感している。
世のなかを見渡してみれば、読書家を気取りはするものの、それがいっこう本人の実になっていないくるくるぱーは枚挙にいとまがない。
よくよく物のわかった徳の高い人物が「あえて」悪書を読むのならまだしも、ごくごく一般的な人間が悪書を読んでいれば目が曇るし、目が曇った人間にとって悪書は毒でしかないわけである。いまに毒に溺れ中毒して、思考すらも止めてしまうのだ。
以上を踏まえた上でこの大先生に対する礼賛を目にするとき、おもわず乾いた笑いがこみ上げてくるのである。
ykmr さんは大先生のファンらしいから、仕方がないといえばそういうわけだが。
大先生もたまーに良いことを言ってはいるけれどね。
「悪書を読まないことは、良書を読むための条件である」
ということばに「例え悪書だったとしても得られるものはあるはずじゃん」と反抗心を持っていた時期があった。悪食でも読書それ自体は善であると信じていた。
それから何年も経った現在、「さすがショーペンハウアーさん」とこのことばの正しさを痛感している。
世のなかを見渡してみれば、読書家を気取りはするものの、それがいっこう本人の実になっていないくるくるぱーは枚挙にいとまがない。
よくよく物のわかった徳の高い人物が「あえて」悪書を読むのならまだしも、ごくごく一般的な人間が悪書を読んでいれば目が曇るし、目が曇った人間にとって悪書は毒でしかないわけである。いまに毒に溺れ中毒して、思考すらも止めてしまうのだ。
NaGISAさんは作品を紹介されるのがとてもお上手な方で、プレイしたくなるような文章構成やレトリックに溢れているのです。ジャンルやプレイ時間などかゆい所に手が届く情報を載せてくれるのも嬉しいですし、何よりプレイ蓄積がすごい。600作近くレビューを続けられているのは凄すぎます。
— ykmr@ノベルゲームファン (@yokomura_novel) 2019年1月27日
RT>「プレイしたくなるような文章構成やレトリックに溢れている」という評価は、本当に嬉しいです。レビュアー冥利に尽きますね。
— NaGISA (@nagisa1770) 2019年1月27日
私がレビューを書くとき一番悩むのは、レビュー本文よりも作品につける一言キャッチフレーズ(レビュー本文ももちろん頑張ってますが(笑))。「つけられて嬉しいキャッチを」と、いつも頭を捻っています。この1行キャッチが好きだと言ってくださる方もいらっしゃるので、いつも頑張って考えてます。
— NaGISA (@nagisa1770) 2019年1月27日
以上を踏まえた上でこの大先生に対する礼賛を目にするとき、おもわず乾いた笑いがこみ上げてくるのである。
ykmr さんは大先生のファンらしいから、仕方がないといえばそういうわけだが。
大先生もたまーに良いことを言ってはいるけれどね。
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