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2018.09.19 (Wed)

危うい安易さ

さて、先のエントリで引用した「小説とノベルゲームの一番の違いって、意図して読み手に感情移入できるポイントを作るかどうかだと思う」大先生の指摘、これはつまり「フリーノベルゲームは『娯楽』か『芸術』か?」という問いに通ずるものだろう。

これもまた難しい認識のギャップで、確かにゲームは「娯楽」なのだから、読み手を楽しませるために (ある種の) 配慮をしなければならない、という主張もまったくわからないではない。

と悩んでいたのだが、先日放送していた『100 分 de 石ノ森章太郎』(E テレ)で、一時期は「娯楽の王様」でもあった漫画を描きながらも、しかし石ノ森は自らの作家性を犠牲にすることはなかったらしい、という話をしていたのを思い出した。

あるいはビデオゲームの世界でも、例えば小島秀夫のように自身のネーム=作家性が熱狂的に支持されている人物もいるわけである。

そういった先人たちの様を見ていると、フリーノベルゲームにおいても、究極的には自由な (=縛りはない) のだという結論に至っても問題ないと思える。







そう、芸術や自己表現は「なんでもあり」なのだ。なぜなら、そもそも既存のルールやモラルから自由になる (する) ためにそれらはあるのだから。例え「差別表現」であってもそれは変わらない。

(もちろん、ある表現に対しての好き嫌いは当然あるし尊重される。例えばホラーが苦手な人を無理やり怖がらせるような真似はしてはならない)

それを「規制が厳しくなるから皆さん自重しましょう!」というのは本末転倒であり自由に対する裏切りではないのか。「規制に抗うのではなく迎合していけ」という理屈が通ることが理解できない。


そもそもシロートの馬鹿がクリエイターぶっているのは最高に恥ずかしい話なのだが、少なくとも大先生は表現活動に関わる人間としては最低であると言わざるを得ないし、この程度の人間のことばをありがたがっている連中もどうかしている。



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