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2014.07.05 (Sat)

ノベルゲームが 「ゲーム」である 単純な理由-Free Novel Games

ガムベースさんが、犬やら「フィギュアのパンチラ」やらの写真を Blog に載せだして、若干、心配していたのだが、またこちらに戻ってきたようでなによりである。





さて、上記リンク内で、「それが『ゲーム』としてのノベルゲームであるならば、それはいかなるルールを持っているのか?」という問いが成されている。

エントリの内容を突き詰めることはとりあえず無視しておいて、ノベルゲームがどのような「ルール」、というよりも「目的」を持っているのかを考えてみると、それは


「ある結末に到達すること」


となるだろう。もっと明確にいえば「製作者側が設定した最良の結末」にたどり着くことが「ゲーム的な目的」であるといえる。

以前から、「そもそもガムベースさんはノベルゲームというものの実体を上手く掴みきれていないのではないか」とは感じていたのだが、そんなに難しく思い悩まず、コイントスのように単純に、なにが「勝ち」でなにが「負け」なのかを考えて見れば良いのだ。


例えば、ある作品に「True End」と「Bad End」というふたつの結末があるとして、「どちらがより価値のある結末」であると感じるかを想像してほしい。

一般的に「Bad End」だけを見て満足するプレイヤーはいない。やはり「True End」を目指し、作品を何周かすることもあるだろう。そして製作者側も「True End」に達することが「作品の結末」であると考えるからこそ「true」という名を冠するのである。

この場合、「True End」を「勝ち」、「Bad End」を「負け」に置き換えることができる。よりゲーム的にいえば「ゲームクリア」と「Game Over」である。平たくいえば、この構造こそがノベルゲームが「ゲーム」である理由なのだ。


ノベルゲームの源流には ADV がある。いまでいうと「脱出ゲーム」などがそれに近い。ゲーム内に設定されたさまざまなギミックを解き明かすことによって最終的なゴールを目指すこのジャンルは「謎解き」や「パズル」の側面が強い。明確なストーリーが存在しない作品も多いだろう。

あるいは、もうすこしノベルゲームに寄せて、例えば「推理もの」のノベルゲームを想像してみると良い。把握するべき場面に遭遇したり証拠を集めたりして必要なフラグを立て、犯人当ての場面では数ある選択肢から正しい答えを導く。

ADV よりかは物語性が高まってはいるが、やはりこのジャンルもパズル的要素が強い。このように、より「ゲーム的な」ノベルゲームもある、ということを理解してもらいたい。


それからすこし世代を経て、ADV が「ノベル」の要素を獲得すると、パズル的な構造は「目の前のギミックを解く」ことから「物語を制御する」方向に移行した。ガムベースさんのいう「そこここに配置された選択肢におけるプレイヤーの選択が、以降の物語展開を左右するというルール」が生まれだしたわけである。

このような「ノベル」ゲームの場合、物語を追っている時間が長い分、ゲーム的な要素が薄まっているように感じるかもしれないが、しかし、例えば「ある特定のフラグを踏まなければ、より深い結末 (=「勝ち」の方向) に進めない」というギミックは健在だった。

(Free Novel Game の黎明期の作品を見ればわかるように) 「ノベルゲーム」といえども「ある結末」に到達するための「攻略」が必要だったわけである。読書体験のなかにもまだ「謎解き」「パズル」の部分は残っていたわけだ。


そして、さらに世代を経ると、選択肢が簡略化された、あるいはそもそも存在しない作品も、多く公開されるようになった。ここまでくるともう、ノベルゲームは完全に「読み物」であり、いまのこの現状だけを見れば、確かにノベルゲームの「ゲーム」の部分がなんなのか、わからなくなってしまうこともあるだろう。

しかし、これまで説明してきた経緯を踏まえれば、「最後の選択肢で結末がふたつに別れる」だけの「ゲーム」とは呼べそうもない構造の作品であっても、確かに「ゲーム」の重力圏のなかにあると理解できるだろう。


「勝ち・負け」の存在が作品の属性を決定するとなると、一本道ノベルはもとより、仮に「大量の選択肢で展開が細分化されてはいるが、最終的な結末はひとつだけ」という作品があった場合、それは「インタラクティブな遊び」ではあっても決して「ゲーム」ではない、ということになる。

まあ、だとしても、別にだれも困りはしないのだが。



さて、話は変わるが、ガムベースさんの問いかけによって、わたし自身、確信したことがあった。それは、Jasmine さんが一本道ノベルにこだわる理由である。

正直、Jasmine さんが複数エンドをあれだけ徹底的に毛嫌いする感覚が、わたしにはいまいち理解できなかった。

しかし、例えば映画や小説などの「物語的娯楽」を見渡せばわかるとおり、一般的にそれらの作品には「複数の結末」など存在しない。(あるとしても「企画上のギミック」というか、変化球的な付け足しに過ぎず、「物語的娯楽」の本道からはやはり外れているといえる)

つまり、Jasmine さんのようにゲームにあまり馴染みのない創作者からしてみれば、結末がひとつだけなのは「それ以外に道はない」というほどに当然のことなのである。これがまっとうな「物語的娯楽」の感性なのだ。

そこから考えてみれば、複数エンドを特に疑問もなく許容できるのは「ゲーム的な分脈」でものを見ているからだといえるだろう。極端にいえば、例えゲーム的な攻略の要素がすべて取り払われてしまったとしても、「複数エンド」であるというだけで、その作品は「充分にゲームである」といえるわけだ。



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23:01  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

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