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2014.07.30 (Wed)

いいかげん アウトプットしろよ という-NOTE

前期・春ドラマをいろいろと眺めていると、面白いものとそうでないものとがあって、その違いはなにかと考えてみると、確かに有尾さんの言うとおり脚本だけのせいではない、監督さんとか他のスタッフも重要なのだな、と納得。

ただ、アニメ作品はまだ、作画の安定性のほうに目がいってしまうのだが。例え、どんなにすばらしい演出がついていても、画がガタガタでは台無しだからねー。修行が足りぬ。

とりあえず、オダジョーの『リバースエッジ (テレビ東京) 』はサイコーだったし、西内さんが出演していたということを差し引いても『Smoking Gun (フジテレビ) 』はダメダメだったわけ。




『家族狩り』。

天童荒太 (とそのファン) とは、いわゆる「住んでいる世界が違う」ので、語るべきことばがない (わかったようなことはいえない) のだけれど、単純にドラマとして惹きはある。

まだ序盤だからかもしれないけれど、けっこう笑っちゃうシーンも挟まっていて、ただ重苦しいだけの作品にはなっていないので観ていられるというのもある。



『若者たち 2014』。

こちらも家族を中心としているけれど、とりあえず、だいぶポジティブ。とにかく「妻夫木、すげえ」と。まだそれだけ。



それと、『魔法★男子チェリーズ』。

この題名とあらすじだけ読むと、どう転んでもフザけたドラマなのだろうとしか思えないのだけれど、(すくなくとも第一話は) 「おおげさ」な撮り方をしていなくて好印象。

Free Novel Game でもそうなのだけれど、わたし、「おおげさ」なのが嫌いなのである。(ただ、逆に地味すぎるのは眠いので、それもイヤ)

劇伴なんかでも、おおげさでイヤラシイ音をつけていたりすると、それだけで冷めてしまう。雰囲気というか、空気感、大事よ。



あと、白濱亜嵐のアレとか、門脇麦さんのソレとかも観てるのよ。ドラマばっかだな!



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2014.07.30 (Wed)

マッド・サイエンティストの憂鬱-Hell in the mind.





仮にこれが (引き金がなんであったにせよ) 純粋な「科学的好奇心 (=人を殺してみたかった) 」からの行動であったというのなら、わたしたち (とあえて書く) オトナに、彼女を非難する資格はないだろう。

「科学的根拠www」を錦の御旗にフクシマの住人を彼の地に留め置いたり、軍事・戦略的重要性の下に沖縄県民をフェンスの壁のなかに押し込めているわたしたち (とあえて書く) が、どのクチでモラルを説くというのか。

報道すら、もはやくだらない茶番である。



だいたい、スプラッタ・ホラーを好む人たちには、多かれ少なかれ、人体に対する好奇心はあるはずで、それは別に異常な心理というわけでもない。

そんなどこでにでも転がっていることをまったく無視して、「ココロの闇」とかなんとか、精神の問題にすり替えようとするのは滑稽ではないか。

(わたしは逆に恐怖しかないので、スプラッタはパスなのだが)




00:34  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.07.19 (Sat)

「あたしはシフ! バルハル族だよ!」-NOTE

『アリエッティ』を観ていて思ったのだけれど、神が自らの写身として人間を創造したように、人間もまた、その写身として小人を想像したのかなあ、と。

それはともかく、「おやゆび姫」や「一寸法師」からの連想で思い出したのだけれど、「鉢かつぎ姫」という日本の昔話が、妙に記憶に残っている。

母親の言いつけだかで、幼い頃からデカい鉢を被っている女の子の話で、その風体のおかげで周りから気味悪がられる (当たり前) のだけれど、最後は鉢が割れて (当然、美少女)、なんか良いことがあるとか、そんな感じ。

まあ、「みにくいアヒルの子」というか「シンデレラ」というか、その辺の類のおはなしなのだけれど、とにかく「可愛らしい色の着物の上に漆色のお碗みたいなのが笠のように乗っかっている」という見た目のインパクト、それでもなんだか愛らしく見えたというか。

『マーニー』、どうなのだろうね。もはや「愛」とかいわれても「それって中身あるのかな?」って思っちゃうよ。







『P4』の新作アニメシリーズ (でも、原作は Vita の初期のほうの作品だから、けっこう経っているよなあ) の放送開始を記念して、前シリーズのテレビ未放送回 (ソフトのみの最終話) を特別に流していた。

『P4』は謎を解くことによって、より深い結末にたどり着ける仕様になっていて、未放送回では最も深い「真のラスボス戦」を描いていた。

まあ、その内容は別に良いのだけれど、原作『P4』がちょうど真のラスボス前で止まっているわたしとしては、要はネタバレばっちしで、個人的にわりと (´・ω・`)

「ソフト限定だからカンケーねー!」と思っていたのに! ラスボス倒しに行いきたくなるー!







『夕闇通り探検隊』、やっとこクリアできた。感想をひとことで言えば「長い!」。

攻略本に頼っているわけだから、だいぶ効率的に動いていたはずなのだけれど、やっぱり 42 の「噂」すべてを解決しようとすると、100 日って長すぎ。あと、セーブできるのが一日の終りだけだから、手順に失敗するとやり直しに時間がかかったり。

物語的には、1999 年当時のノリいうか空気って、こんな感じだったのかなあ、と。なんだろう、すでに過ぎ去った時代だから、読み取れるものも違うのかな。15 年 (!) も前だし。わたしの感受性のなさの問題かもしれないけれど。

でも、スタッフロールは (ある意味で) 驚くよ。

それにしても、主人公のうちのひとりが「~なのよ」「~なのね」口調を多用するのだけれど、これって、どこかで見聞きした気がするのだけれど、なんだっけ? むかしの「不思議ちゃん」のイメージ? いや、アニメか漫画か、そこらへんのはず……。







『アイカツ!』 #89 のランウェイシーンにばっちりハマって、だいぶヘビロテ中。

毎回、誰かしらがなにかしら歌って踊ってしているアニメなのだけれど、こういうめぐり合わせがたまーに来るのだよなあ。これだから止められないわけだ。



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2014.07.13 (Sun)

君とニューロリンク-Free Novel Games

PS3 でも PS のソフトが動く (らしい) のだけれど、さすがに何年も前の黒ディスクを突っ込むのもなあ、と思いつつ、PS2 でまた PS のゲームを。

『Another Mind』は、合併前の「SQUARESOFT」製の ADV である。


まず、驚いたのが画面の解像度。思った以上にガビガビしている。

とはいっても、この作品の発売は 1998年。PS 全盛の時代からしてみれば、デジタルハイビジョンテレビなんて完全なオーバーテクノロジー、そんなものにつなぐことなんて想定されていなかったわけで、まあ、仕方がない。すぐ慣れるし。



交通事故に遭い昏睡状態にあった女子高生「葉山瞳」が目覚めたとき、彼女のあたまのなかには、別の人物の意識が宿っていた……というのがこの作品の出だしである。

プレイヤーは、この意識だけの男性 (記憶喪失) となって、いろいろな事件に巻き込まれる瞳を支えながら、自分の身になにが起きたのかを追求していくことになる。

プレイヤーは完全に瞳の意識の片隅を間借りしているだけの存在なので、外的世界に直接働きかけることはできない。そのため、瞳と意識上で「対話」することで彼女を導き、動いてもらう必要がある。

この「対話」、ノベルゲームでいうところの選択肢によって進められていくのだが、この選択肢部分がけっこう凝っていて、「述語」「活用語尾」「主語」「修飾語」の順に分節を組み合わせることで文章を作るのである。つまり、

「瞳は」「ロッカーに」「隠れるか?」

「僕は」「真理子を」「見ない」


といった風に、文節ごとに用意された候補から、その場面にあった内容を選び出し、プレイヤーの発言として決定するわけである。

そして、その発言に対して瞳がリアクションをして、さらに選択肢が出現する、といった繰り返しなのだが、この「対話」がすごく楽しい。特に瞳のリアクションは、こちらの発言に対してかなり細かく設定されているので、より物語への没入度が増すのである。

こういった「擬似コミュニケーション」というものは、ヴィデオゲーム特有の面白さだろう。小説や映画では、登場人物がこちらに話しかけてくるということは (ほぼ) ない。仮にノベルゲームが「ゲーム的な面白さ」まで内包しているとするならば、この「擬似コミュニケーション」の分野を発展させていくことだってできるはずである。



それにしても惜しいのは、この作品のヴィジュアル面である。この作品、登場人物も背景なども全編実写で構成されているのだが、さすがにそこは 90 年代、服装もヘアメイクも時代掛っていて、若干 (´・ω・`) である。

さらに、作中にポケベルが登場してきてビックリ。当時でさえ、すでにポケベル世代ではなかったわたしには「ポケベルか……」と遠い目だったのだが、現在となってはもう、「これ、何十年前の話だっけ?」といった距離感であった。

まあ、だからといって、作品自体の面白さが減じるわけでもないのだけれど。でも、いま似たようなものを作ったら、どんな風になるのかなあ。


それと、ENIX のほうでも実写系の ADV シリーズが何作か発売されていて、若き日の深キョン先輩とか、アイドルの方が出演していたりしていたのだけれど、PS2 の時代に廃れちゃって、残念無念。

いまも探せば実写の企画とか、あるのだろうけども、メンドい。




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2014.07.12 (Sat)

ヨコシマママママママ!-Hell in the mind.

別に、誰が悪いとかいうことではなく、ただ、自分がヒドく「邪悪なこと」を考えているな、と気づいて恐ろしくなっただけ。


それとともに、世のなかの「邪悪」についても考える。


要するに、「脱法ドラッグをキメて自動車を運転するヤツ」がただ「邪悪」なのか? 「いじめ加害者」がただ「邪悪」なのか? あるいは「ろくでなしの政治家」や「反日的な諸外国の政府」がただ「邪悪」なのか? とか、そういうことだ。


世間や歴史が規定する「邪悪」を憎んでいればそれで済むとか、そういう単純なルールならよっぽど良いのに、世界はそうは出来ていない。


それにしても「邪悪」とは、ある一画に閉じ込められたマイノリティなのか、それとも、すべてのヒトとヒトのあいだで引き合う普遍的なチカラなのか、見るものによって、よーわからん。


世間知らずが、恥ずかしい。



04:04  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.07.12 (Sat)

陽見市紀行-Free Novel Games

PS3 を買って以来、五年以上触っていなかった PS2 を引っ張りだしてから数ヶ月を経て、ずっと先送りにしていた『夕闇通り探検隊 (PS) 』にいま、やっと挑戦している。


もう十年近く前、中古のくせに新品定価以上のプレミア価格で売られていたもの。正直、嬉しさよりも忌々しさのほうが強かったけれど、これも一期一会だと腹を括ったものである。


この作品は、『トワイライトシンドローム』シリーズの流れをくむ「都市伝説系ホラー」で、架空の都市「陽見市」に住む中学生三人組が、学校内で囁かれるさまざまな「噂」を検証していく、という内容になっている。

とはいっても、所詮は中学生の噂レベル、いちいち「衝撃の真実が!」あるわけでもなく、ホラー的な怖さが前面に出てくるのは終盤に近づいた頃くらいからで、どちらかといえば主人公三人 (ヘタレ男子、天然霊感女子、文系現実主義女子) の関係を描いたジュブナイル的な面が強い。


さて、わたしも最初は「一周目くらいは自力で解こう」と気合を入れたのだったが、序盤で早々に挫け、結局、攻略本 (これ自体もレアかな) に頼ることになってしまった。

「噂」の情報収集のために一日五分間、それを三人分クロールする (ある時期、あるキャラでないと「噂」を入手できない) として、さらにそれが百日続く、と考えれば、やってられないというものである。

ただ、確かにゲーム的な攻略の態勢は盤石となったが、肝心のホラーゲームとしての面白さはほぼなくなってしまった

ホラーの怖さのひとつは「おどかし」の意外性にあるといえるが、攻略情報でもって、あらかじめこの後なにが起こるのかを把握していては元も子もない。若干の虚しさを抱きながら、百日を折り返したところである。

(というか、「箱庭」の広さは煩わしいが、作業ゲーとしては退屈だ)



それにしても、この作品は例の「ノストラじじいの大予言」の年の初夏が舞台なのだが、この話題が心底、懐かしく感じてしまう自分がいた。いや、この作品を遊ぶまで、すっかり忘れていたことなのだが。

「マヤ暦のアレ」ですら記憶の彼方なのになー。いまの若い子知らないよね、きっと生まれた年の出来事とかだよ、へこー!



03:37  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.07.11 (Fri)

友人を遠ざける方法-Hell in the mind.

前回のエントリ、Jasmine さんに対してちょっと失礼だったかな、と思えてきた。

Jasmine さんとわたしがまったく違う方法論で生きているということは、わかりきっていることなのにね。

とりあえず Jasmine さん、スマヌタス。




わたしには、あるなんらかの事柄に関するエントリやコメントを目にしたとき、俗にいう「脊髄反射」的に思考が湧いてくることがある。

この思考は、思いついた先から、とにかく吐き出したくて仕方なくなるので、この Blog に載せたりするのだけれど、別に思いやりやおもてなしがあるわけではない (なんならギザギザハートな) ので、まあ、大抵は良く思われない。

で、そんなことを繰り返していると、すぐに友人なくす。もうダメだ。



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2014.07.08 (Tue)

PSone 懐かしいwww-NOTE

専用のディスプレイを本体と合体させることで、携帯ゲーム機っぽくなるアレですね。

まあ、とはいっても要は PS だし、電源も必要だろうし、フツーにいまの携帯ゲーム機をオススメしますけれど。

というか、スマホでできるゲームなら、お連れさんに訊いてみるのがいちばんお早道なのではないでしょうか。



Jasmine さん。

(なまえ出しちゃってすみませんでした)

ガシャーン!」ですが、例えば Jasmine さんが「A」と「B」のふたつの結末のある作品を公開したとして、Jasmine さんとしては密かに「A」の結末のほうが気に入っているのだけれど、世間の評価としては「B」のほうが支持されていて、それどころか「A」は若干、けなされている……ということになったらムカつく。という部分もあるのですか?

なんか、Jasmine さんが「複数エンドって嫌」というとき、良く「運命」ということばを使いますよね。それを見ていると、「この人は、(現実とおなじような) 厳格で変更の効かないものとして物語世界を捉えているのだな」と感じます。わたしはもうちょっと冷めた目で物語を見ているので、スゴイなって思っているのですが。

それと、確かに作品を複数エンドにしようと思ったら、チャート書いたり、それを管理したりしないといけないので、たぶんあたまのなか (とスマホのテキストのなか) だけでやりくりするのは無理でしょうね。

というか、Jasmine さんってメモが嫌いなのですね。なんか、「ペンを持つのは絵を描くときだけよ!」って感じ。徹底してますよね。


ゲームに関しては、ちょっと誤解していたというか、Jasmine さんは反射神経を要求されるものがとにかく苦手ってことなのですね。そうなると、確かに最近のゲームは手を出しにくいかもしれませんね。

それにしても、ゲームや読書、テレビは集中力が続かないという一方で、背景画像を短期間で百枚近く加工するというのはどういうことなのだろうと考えてみると、Jasmine さん的に、創作以外の活動では、それほどあたまやココロが動いていない、ということになるのかもしれませんね。

これは、理屈の上での「好き嫌い」よりも、もっと奥底の「情熱」の影響って感じです。教本を買っても目を通さなかったり、「萌え」に憧れて挫折してというのも、自分の感性に正直に従っている結果という気がします。

ちなみに、わたしも読書するときはイスに座って前のめりになっているので、けっこうすぐ疲れてしまいます。逆にゲームをするときは、指先も使うし考えることも多いから、けっこう集中できるのですよねー。


あと、ゲーム制作に若干、お疲れ気味とのことですが、そもそも一般的な制作者は、生涯かけても「数ヶ月から数年かけて作ったものを二、三本」公開するくらいのペースでやっているわけです。

それに比べれば Jasmine さんはかなりのハイパー・ハイペース、途中で燃え尽きっぽくなってしまうのも当然というものではないでしょうか。まあ、もちろん Jasmine さんの速度で自由に進めば良いとは思いますが。



01:31  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.07.05 (Sat)

ノベルゲームが 「ゲーム」である 単純な理由-Free Novel Games

ガムベースさんが、犬やら「フィギュアのパンチラ」やらの写真を Blog に載せだして、若干、心配していたのだが、またこちらに戻ってきたようでなによりである。





さて、上記リンク内で、「それが『ゲーム』としてのノベルゲームであるならば、それはいかなるルールを持っているのか?」という問いが成されている。

エントリの内容を突き詰めることはとりあえず無視しておいて、ノベルゲームがどのような「ルール」、というよりも「目的」を持っているのかを考えてみると、それは


「ある結末に到達すること」


となるだろう。もっと明確にいえば「製作者側が設定した最良の結末」にたどり着くことが「ゲーム的な目的」であるといえる。

以前から、「そもそもガムベースさんはノベルゲームというものの実体を上手く掴みきれていないのではないか」とは感じていたのだが、そんなに難しく思い悩まず、コイントスのように単純に、なにが「勝ち」でなにが「負け」なのかを考えて見れば良いのだ。


例えば、ある作品に「True End」と「Bad End」というふたつの結末があるとして、「どちらがより価値のある結末」であると感じるかを想像してほしい。

一般的に「Bad End」だけを見て満足するプレイヤーはいない。やはり「True End」を目指し、作品を何周かすることもあるだろう。そして製作者側も「True End」に達することが「作品の結末」であると考えるからこそ「true」という名を冠するのである。

この場合、「True End」を「勝ち」、「Bad End」を「負け」に置き換えることができる。よりゲーム的にいえば「ゲームクリア」と「Game Over」である。平たくいえば、この構造こそがノベルゲームが「ゲーム」である理由なのだ。


ノベルゲームの源流には ADV がある。いまでいうと「脱出ゲーム」などがそれに近い。ゲーム内に設定されたさまざまなギミックを解き明かすことによって最終的なゴールを目指すこのジャンルは「謎解き」や「パズル」の側面が強い。明確なストーリーが存在しない作品も多いだろう。

あるいは、もうすこしノベルゲームに寄せて、例えば「推理もの」のノベルゲームを想像してみると良い。把握するべき場面に遭遇したり証拠を集めたりして必要なフラグを立て、犯人当ての場面では数ある選択肢から正しい答えを導く。

ADV よりかは物語性が高まってはいるが、やはりこのジャンルもパズル的要素が強い。このように、より「ゲーム的な」ノベルゲームもある、ということを理解してもらいたい。


それからすこし世代を経て、ADV が「ノベル」の要素を獲得すると、パズル的な構造は「目の前のギミックを解く」ことから「物語を制御する」方向に移行した。ガムベースさんのいう「そこここに配置された選択肢におけるプレイヤーの選択が、以降の物語展開を左右するというルール」が生まれだしたわけである。

このような「ノベル」ゲームの場合、物語を追っている時間が長い分、ゲーム的な要素が薄まっているように感じるかもしれないが、しかし、例えば「ある特定のフラグを踏まなければ、より深い結末 (=「勝ち」の方向) に進めない」というギミックは健在だった。

(Free Novel Game の黎明期の作品を見ればわかるように) 「ノベルゲーム」といえども「ある結末」に到達するための「攻略」が必要だったわけである。読書体験のなかにもまだ「謎解き」「パズル」の部分は残っていたわけだ。


そして、さらに世代を経ると、選択肢が簡略化された、あるいはそもそも存在しない作品も、多く公開されるようになった。ここまでくるともう、ノベルゲームは完全に「読み物」であり、いまのこの現状だけを見れば、確かにノベルゲームの「ゲーム」の部分がなんなのか、わからなくなってしまうこともあるだろう。

しかし、これまで説明してきた経緯を踏まえれば、「最後の選択肢で結末がふたつに別れる」だけの「ゲーム」とは呼べそうもない構造の作品であっても、確かに「ゲーム」の重力圏のなかにあると理解できるだろう。


「勝ち・負け」の存在が作品の属性を決定するとなると、一本道ノベルはもとより、仮に「大量の選択肢で展開が細分化されてはいるが、最終的な結末はひとつだけ」という作品があった場合、それは「インタラクティブな遊び」ではあっても決して「ゲーム」ではない、ということになる。

まあ、だとしても、別にだれも困りはしないのだが。



さて、話は変わるが、ガムベースさんの問いかけによって、わたし自身、確信したことがあった。それは、Jasmine さんが一本道ノベルにこだわる理由である。

正直、Jasmine さんが複数エンドをあれだけ徹底的に毛嫌いする感覚が、わたしにはいまいち理解できなかった。

しかし、例えば映画や小説などの「物語的娯楽」を見渡せばわかるとおり、一般的にそれらの作品には「複数の結末」など存在しない。(あるとしても「企画上のギミック」というか、変化球的な付け足しに過ぎず、「物語的娯楽」の本道からはやはり外れているといえる)

つまり、Jasmine さんのようにゲームにあまり馴染みのない創作者からしてみれば、結末がひとつだけなのは「それ以外に道はない」というほどに当然のことなのである。これがまっとうな「物語的娯楽」の感性なのだ。

そこから考えてみれば、複数エンドを特に疑問もなく許容できるのは「ゲーム的な分脈」でものを見ているからだといえるだろう。極端にいえば、例えゲーム的な攻略の要素がすべて取り払われてしまったとしても、「複数エンド」であるというだけで、その作品は「充分にゲームである」といえるわけだ。



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2014.07.03 (Thu)

あらすじ → アヴァン → OP → 提供 = 神テンション-NOTE

今春より、ある局で『仮面ライダーフォーゼ』の再放送をやっている。 やっぱ面白いわー。福士クン良いわー。とりあえず、早く流星出てこないかなー。

(いまは第十話め。友子加入エピソード、好きなのよ)


平成仮面ライダーシリーズって、後半になるにつれて、序盤で示された世界観から逸れた方向に物語が進みがちだ。もちろん、その「裏切り」がドラマ的な深化であるともいえるし、また、製作上のさまざまな都合もあるのだろう。

ただ、わたしとしては、最初のままのイメージで突っ走ってほしいのだよなー。それが叶えられないとわかると、もう「次のライダーなにかなー」としか考えられなくなる。

(そして、次のシリーズが始まった後に振り返ってみると、気に喰わなかった部分もけっこう「良い感じだった」と思い出は美しく、結局ただの郷愁だという)

まあ、『鎧武』のテンポの早さからいえば、これからの 1 クールのあいだに、いくらでもどんでん返しが待っていそうでもあるので、まだ希望があると信じてみたいけれどさ。

(でも、「独自の言語を操る怪人軍団」とか、「主人公がジョーカー化してるな」とか、どこか既視感、あるよね。オーバーロードの名前、覚えにくいわ)


ただ、「ジンバーレモン」「カチドキ」「極」と強化されていったアームズの、どのデザインもすばらしいのは間違いない。

特に、特性としては良くある「ぜんぶ使えるフォーム」である「極」が、「カチドキ」でゴツい方向に行ったところの逆、シンプルなほうに振ったのは良い。「インフィニティ」とおなじように銀色いし。銀っぽいの良いよねー。


それにしても次のライダー、また「二話でひとエピソード」形式に戻るんかいなー。



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2014.07.01 (Tue)

「美人美人」と言われてたけど 顔 怖かったもんなあ-NOTE

女優・遠野なぎこの再婚が報じられたとき、その浮かれっぷりと身の上話の饒舌さとに、どこか異常な危うさがあった。

本人はサイコーにしあわせだったのだと思うが、わたしは長くは持たないだろうと感じていた。そして案の定、またもスピード離婚したそうである。


遠野の最初の結婚は、相手の男性に「どうしても」としつこく懇願されて、しぶしぶ了承しただけのことだったそうだ。つまり愛情どころか関心すらもそれほどなかったらしく、そうであるなら、端から離婚以外の結末はありえなかったのだろう。

その「芸能界最速離婚」のネタを引っさげてバラエティ番組に出演し出した頃、遠野の「ユニークな恋愛観 (特定の恋人なんて作らず、とにかくいろいろなオトコと遊びたいだけなのよ。というような) 」は、どこか「他人なんて信用していない」といった風に見えた。ただの「肉食系女子」というよりかは、まるで「なにかに復讐している」かのようだった。

それから幾年かを経て、すっかり「バラエティもこなせる女優」となった後、今度は「ラブラブ再婚」というわけである。


とはいえ、別に遠野がなにか「開眼」したというわけでもないようで、再婚報道の際 (日数的にはほんの少し前だが) に彼女が披露していた身の上話から察するに、きっと相手が「自分を救ってくれる!」と信じたからこその決断だったのだと思う。

ただ、それでも結婚が上手く行かなかったのは、結局、自分が背負った人生の問題は、他人 (オトコ、恋愛、結婚……) が解決してくれるような類のものではない、ということなのだろう。

いくら、天秤のバランスが変わったからといって、皿に乗っているものまでが別のなにかに置き換わったわけではない、ということか。遠野本人が思っていたほど、事態が劇的に好転するということはないらしい。(というか、離婚してしまったのも、再婚と同様、発作的な思いつきのようにしか見えない)


それにしても、遠野の周りには「結婚よりも先に片付けるべき問題があるだろう」と忠告してくれる人はいなかったのだろうか。本人が上機嫌だったから安心していたのか、あるいはわりかし無関心だったのかは知らないが、なにか、遠野がカワイソウにも思えてくる。

できることなら、アフターケアをシッカリしてやってほしいと願うばかりである。ここまできた遠野の人生、もはやゴシップ的に消費するようなものでもなくなっているからな。



……と、恋愛の「れ」の字もない人生を送っているわたしがこんなこと書いても、ぜんぜん説得力ないかもだけれどさーwww



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