01月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728≫03月

2014.02.22 (Sat)

(大量の) パンダ様がみてる-NOTE

Jas/mei さんが「部屋が狭い上にものが多くて困る困る」とこぼしている気分がいま、わかるというか。


(ダンボールダンボールダンボール……)


わたしは整理整頓が得意ではないし、夏休みの宿題を計画的に終わらせたことなど一度もない。そういったことがこういうときに響いてくるのだなあ、と、こんなの性格だから仕方がないことだけれどさー。


「身軽になりゃあ、わけねえよ」 もう 14 年・前・か・よ! (KOF 2000!!)







「Jas/mei」=「Jasmine」+「mei」で「ジャスメイ」さん。

他人さまに愛称つけるのなんて(名無しさん以外で)何年ぶりだろうか。



02:39  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.16 (Sun)

雪のごとく 消えゆき-NOTE

アヤメさん。たぶん HN も変えるのだろう。

エントリの文章を読んでもなんのことかピンとこなかったので、わたしのことではないだろうと考えていたのだけれど、アヤメさんはもともと、表立って他人を非難するような人ではないので、こうなると「maybe, not maybe」の世界だわ。

(「いつのまにか手段が目的のようになっていたから」といったような理由からだったら良いのだけれど、そうでもないのか違うのか。思わせぶりで、真意が読めない)

まあでも、どちらにせよ、アヤメさんの創作の仕切り直しのためには、わたしの存在は邪魔というか、なんだかんだウザい部分もあったのだろう。申し訳ない。

新しい場所でのアヤメさんのご活躍をお祈りしています。今度はきちんと作品を理解して、評価してくれるような出逢いがあると良いですね。







失うことで気づき、そしてまた忘れ、繰り返す。人間ってやっぱりそういうものだなあ、と。

他人さまとの関わり方、反省 (´・ω・`)



03:33  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.15 (Sat)

脚なんか出してたら 身体 悪くしますよ-NOTE





アヤメさんの Blog が消えた。「Page not found」らしいので、FC2 側が一時的に調子が悪いとか、そういうことではないらしい。

そういえば、数日前のエントリに特定の人物に宛てた(らしい)メッセージがあったので、そこらへん絡みでイヤになって、辞めてしまったのかもしれない。

(まあ、もしかしたら「これ以上ダラダラ続けていても意味がない。もっときちんと創作活動と向き合おう」と決意した上での前向きな行動なのかもしれないが)

Web 世界では、引退するときや固定 HN を捨てるとき、それまでの記録などを一切合切まったく削除してしまいたがる人が少なくない。さらにその願望はわりと労なく叶えることができるので、結果、このような「昨日まで居た人(あった場所)が!」という状況に良く遭遇することになる。

もちろん、リアルであっても、いきなり音信不通になってしまう人はいるのだろうが、ここまで頻繁に知人(や ROM 対象)が消えることもないだろう。

わたしは、自分の感情がコロコロ変わることを承知しているので、いきなりなにもかもを削除してしまうような真似はできないのだが、こういう複雑な気持ちになるのならやっぱり、いきなりなんのことばもなく消えてしまうみたいなことは控えようと思う。







わたしのような「口先だけの詐欺っている制作者もどき」からすると、コンスタントに新作を世に送り出し続ける Jas/mei さんは尊敬できる。

世間の評価が芳しくないとカンタンに意欲が殺げ、そのまま止めていってしまう製作者も少なくないなか、なんだかんだと愚痴りながらも創作を投げ出さないところに、意志の強さと自己を満足させるための気力の惜しみなさが見える。

それに(こう書くと失礼かもしれないが)、作品だけに接している分にはわからなかったけれど、Blog の文章を読んでいると、そのノリとかテンションから、とても他人とは思えない親近感を覚えてしまうのだ。

だから、最近はなかなか楽しい。



03:33  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2014.02.11 (Tue)

ジョゼフィーヌ皇后の愛犬の名前-NOTE

これはもう地球上でいちばん可愛い犬種かもしれぬ。


「運命」とは、ヒトとヒト、あるいは「生命と生命のあいだを流れるチカラ」のことである。そして、個々の生命、それぞれの「選択」が複雑に影響し合い、一種のカオス的振る舞いをした結果が「未来」である。

「運命」は、自分と近しい人たちや職場の同僚といった、狭い生活圏のなかだけに収まるものではない。例えば、あなたが遠方でたまたま立ち寄ったコンビニの店員の態度が悪く、ちょっと腹を立てたとしよう。このほんの少しの影響によって、あなたの未来が変わることはもちろん、そのコンビニ店員もまた、別の誰かの影響を受けての態度だったのかもしれないし、あるいはその別の誰かもさらに他の人間の影響を受け……と、このように世界の果てから伝わり、世界の果てへと伝わる波のように「運命」は存在するのである。

もちろん、生命の行動だけではなく、先週末の大雪や大震災、あるいは流行り病のような「自然」の振る舞いが、わたしたちの未来のあり方に深く関わることはあるが、しかし「自然」そのものがわたしたちの未来を決めるということはない。生命はいつだって自然環境に適応し、必死にしがみついているというだけであり、「自然」が生命を特別視して慈悲心を示すということはありえないからである。

このように考えていくと、「運命」ということばから想起されるあらかじめ決定された年表のようなものは、おそらく存在しないといえる。電車の一車両に乗り合わせたものたちは、大きな「見えざる手」の導きによってそこに置かれているのではなく、それぞれの選択とそれによる響き合いによって歩み来て、自らで立っているのである。


参考:「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ - Wikipedia」「フォーチュン 意味 - Google 検索



21:28  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.11 (Tue)

「レビュアー系ノベル」とは-Writings

epiv



特徴 1:「Free Novel Game のレビューについて」がテーマ

まあ、だから「レビュアー系ノベル」と呼ぶのだが、レビュアーが巻き込まれた事件や、それによりレビュアーが考えたことなどを通して(制作者の思い描く)「Free Novel Game レビュー」のカタチを示す、というのがこのジャンルの主な構造である。

このジャンルの歴史を振り返ると、まずは(過去の別ジャンル作品のパロディとして)レビューとレビュアーの牧歌的な理想像を描いた『とあるレビューのノベルサイト』である。(となると、この作品も道玄斎さんか、それに近い人間が制作したことになる)

その後に『とあるレビューの』の体裁を継ぎ、制作者側からレビューの問題点と存在意義を(私怨を交えながら)糾弾した『俺のレビューが単なる悪口のわけない』が登場し、さらにこの作品に応えるカタチで制作された(しかし、明確な主張を掲げることを避けた)幻想的な『ノベルゲームレビュアーは笑わない』が続くことになる。

(ただし、これは去年の始め頃のはなし。その後に新たな「レビュアー系ノベル」が公開されたかもしれないが、わたしは新作をチェックできていないのでわからない)

これらの作品の流れを汲むのなら、やはりレビューに対しての自分なりの主張を主軸としていくことになるだろう。

このまま『ノベルゲームは衰退しました』というタイトルを使う場合、ことばのイメージどおりに否定的な方向に振るか、あるいはネガティヴな響きを逆手にとってハッピーな作品にするかのどちらかになる。




特徴 2:「男子ふたりのやりとり」がある

過去三作品に共通して、ある部屋のなかの画像素材を背景に、男子ふたりがかけあいをしたり議論をしたりという、基本的な「お約束」が存在している。(というか、この「お約束」自体が、さらに過去作品のパロディとなっているわけだが)

仮に「レビュアー系ノベル」を名乗る場合、やはりこの「お約束」を無視するわけにはいかないだろう。だが、正直、わたし自身はこの「男子ふたりのやりとり」にそこまで惹かれることはない。(写真背景のほうが好きだし)

だからといって、そのまま外してしまうのもちょっと違うので、冒頭や部分部分で取り入れていくくらいで手を打つのがベターだといえるだろう。







最近、ガムベースさんが Blog を更新していない。

nico2 でアイマス関連の動画を視聴するほうに、興味がシフトしてしまったのかな。



01:11  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2014.02.10 (Mon)

エントリは すべて そのままで-NOTE

Jasmine / mei さんは、記憶力が良いというか、過去をとても大事にしている印象がある

わたしのような、ほとんどなにもかも忘れてしまったり、興味を失い続けている人間からすると羨ましい







自作 Free Novel Game。

まだ一作も公開していないくせにエラソーな御宅を並べるつもりもないが、ここまで長年、Free Novel Game に触れてきて、すでに「なんとなくの思いつきをカタチにするだけ」というフェーズでもないな、というのが正直なところではある。

いくらシロートの作だとはいえ、ノベゲ作品もまた、他の娯楽同様に「共感を呼び起こす夢」であり「ヒトを癒すもの」であると考えるのなら、他人さまにきちんと届くことばや体裁を、厳格に構築しないといけなくなるだろう。

(特に『衰退しました』を過去作への「アンサーワークス」と位置づけるならなおさらに。無視して好きなようにするのもアリだけれどさ)

もちろん、自分でも良くわからないままに物語を紡ぎ出す、天才肌っぽい制作法も尊重するべきだけれども、生憎、わたしにそこまでの感性はない。

とりあえず、エントリが 1,000 を超える前(なんならピッタリ記念)には作品を公開したいとか夢想しているのだけれど、そんな時期、すぐに訪れてしまいそうな未来予報である。



22:37  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.09 (Sun)

雪が好き-NOTE

関東は数十年に一度の記録的な大雪だったらしく。

ニュースなどで、関東で降るものにしては珍しく雪質が良かったと聞いた後、実際に雪を触ってみると、確かになにか懐かしい感じがした。

祖父母の家で雪遊びをした頃を思い出す。







SOCHI。(「HACHI」のあの声で)

スノーボード競技の新種目であるらしいスロープスタイルは(傍から見ている分には)何度も空を飛べて、実に気持ち良さそうである。

それに競技者はみな陽気で楽しそうだし、「ゲレンデマジック」なのか、女子選手は全員、可愛く見える。まあ、大抵はヘルメットやゴーグルでまったく顔が隠れているので「ロボコップか?」とも思うけれどwww

そういえば、今度の『ロボコップ』、リメイクだか Reboot だかは良くわからないけれど、スーツデザインがシュッとしすぎていて、オリジナルの持っていた「朴訥さ」は消えてしまっているような。ぎゃばーん!



18:18  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.08 (Sat)

クラシック業界だって 俗世の濁りに 染まっている じゃあないかwww-NOTE





相も変わらず「大先生サマ」、なにやらご大層な理屈をこねておられるが、要は「脱原発論者、気に喰わぬ!」としか言っていないというwww

確かに、いまさら細川(の言動)に期待している人間なんていないのだろうが、それでもいちおう総理大臣まで務めた過去を思えば、それくらい大きいレンジで物を言うこともあるだろう。

まさか、地方都市の首長(程度のもの)になろうとする者が国家全体のグランドデザインを掲げるなんてとんでもないとでもいうつもりか。コミュニティや身内に利益をもたらす者だけが「良い政治家」か。アホか。

それに「ちょっと違和感を感じるのは私だけでしょうか」と暗に同意を求めるような回りクドい〆方の気色悪さも変わらず。わたしのような「関東の田舎もん」には良くわからないのだけれど、山口県民ってみんなこんな感じなのか?

(だいたい、以前「山口あたりには原発なくてイイわ」とか Tweet していたのだから、自分だって嫌味言う資格ないことになるだろ)


それと「東京は世界でも有数の電力消費都市ですから、「イルミネーションなんてくだらない事はやめて、節電につとめます!」くらい言えば、筋が通っている気がしなくもないんですが」、いいじゃあないかイルミネーション!

LED の発光は従来の電球とは一線を画する美しさだとも聞くし、「無駄」という名の「娯楽」としてはサイコーじゃあないか。オマエのやっている「シロート芸」よりも、よっぽど多くの人間のココロを打つかもしれないじゃあないかwww







年末、フジで深夜に放送していた「討論バラエティ」みたいな番組を観て考えたことを、いまさら書くのだけれど。

そのなかで確か、勝間和代が「専業主婦の扶養手当やめね?」といった提案をしていた。まあ、この番組はテレビ的なプロレス臭がプンプンで、真剣に観るほどのものでもなかったのだけれど、最終的には「そうはいっても、いま現在、この制度に助けられている人は確かにいるのだから、このままで」という結論に落ち着いていた。

このように、多分に問題を含んだ制度や状況があるとして、それでもそれらによって利益を享受している人間がいるのだからと、結果、問題が(なんか良い感じに)先送りにされるということは、社会を見渡せばいくらでも転がっている。

まあ、こういった対応を「弱者を見捨てない」という人間的な振る舞いであると捉えることもできるわけだが、しかし、これらの「良心的な措置」によって、かえって次世代の多くの人間が不利益を被る可能性だってあるわけである。(「米軍基地」や「原発問題」は、まさにそんな感じではないか)

要は、「いまの人間を殺す」か「未来の人間を殺す」かという冷酷な選択を迫られているわけなのだが、やはり人情として未来のために目の前にいる弱者を切り捨てるような改革を断行するのは難しいことなのだろう。

みんな、世間から後ろ指さされるような悪人にはなりたくないわけだし、案外、人間に未来的な思考を望むこと自体が間違いなのかもしれない。

それに民主主義下では、国民の総意が「正義」だからな。うぎょもふ!



23:56  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.08 (Sat)

開会式 観ちゃうような ミーハーで すみません-NOTE

Free Novel Game における「全世界に公開してるんだから、どんなレビューをされても文句を言うなよ、それが公開するってことだからな」という「恫喝」は、ただのマッチョイズムにすぎない。「ワタシが苦痛に耐えているのだから、オマエも耐えるべき(=抜けがけ、オイシイ思いは許さない)」という、身勝手な押しつけである。

あるいは、「自分がされて嫌なことは他人にもするべきではない」と諭す試みも、相手側に「ワタシは罵詈雑言を突きつけられることを恐れない。だから他人に悪意を向けもする」という理屈も成り立つため、あまり良い方法だとは思えない。

そもそも、他人の行動をコントロールすることはできないし、コントロールしようとしてはならないと、わたしは考える。「ワタシ(の理屈)は正しいのだから当然従うべき」という姿勢は危険である。それが善意や社会正義からのことであれば(例えば「世界が平和でありますように」「世界がもっと優しくなりますように」のような願い)なおさらに。

さらにいえば人間は、モラルやルールはもちろん、ときには生物としての欲求すらもねじ伏せて行動することがある。これはすでに理屈を超えたチカラである。そこまでのものをどうこうしようと足掻くのは無駄に感じる。

結局、他人から悪意(あるいは善意であっても)を向けられたその時々で、対処していくしかないのだろう。それが苦痛であっても、コミュニケイトするしかない。







最近、ある作品で「アニメーションでキャラクタをダンスさせる」のは難しいのだな、と感じた。

ダンスを表現するにおいて、例えば、ただ動きを正確にトレースするというだけでは充分とは言えないだろう。ダンスとはある動きからある動きへとつながる連続性、そしてそこに流れる「時間」が重要なのである。ダンスを支えるリズムや、身体表現を際立たせる動きのなかの緩急も、現実的な時間経過の上に存在している。

そこに、作画枚数の制限があるからといって、例えば、現実の人間の動きでかかる 1/2 の時間でキャラクタをターンさせてしまったら、それはやはりどこか不自然な挙動に見える。原理的に「中抜きされたパラパラマンガ」でしかないアニメーションでは限界があるのだろう。

これがアクションシーンであるのならば、動きを中抜きすることで「スピード感」や「迫力」を出すことができるが、ダンスでそれをやってしまうと、やはりダンスではなくなってしまうように思う。現実にもスピード感のある「高速ダンス」というものもあるが、それだってダンスのフリをスキップさせているわけではないから。

それならば、『アイカツ!』や『PR』、『プリキュア』のダンスシーンのように 3D モデルに躍らせてしまったほうが合理的だし、実際、これらのダンスにそこまで違和感はない。(まあ、わたしが 3D モデルびいきであるところも影響しているのかもしれないが)


ちなみにコレ「Wake Up Girls!」とコレ「桜 Trick」ね。ロボットか宇宙人が踊っているのかと思わせる、生理的な部分に響くキモさがある。ちゃんと人間のカタチをしているだけに。

『WUG』、実写ドラマで若手女優さんが踊っているなら下手でもなんでもサイコーなのに(「あにてれ」で新番告知があったとき、期待しちゃった)とか、『桜』のキスシーンでニヤけている連中は「いっちょ前にキスしたいとか思ってんのか?」とか、まあいろいろ。

とりあえず、『PR:RL』の「月面の くちゲンカ 死闘」が(いろんな意味で)スゴすぎて、こんなんどうでもええわ。



04:07  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2014.02.06 (Thu)

あのオチを 馬鹿にするのは 許さないwww-NOTE

ちょっと時間が経ってしまったけれど、『アメトーーク』の「ガラスの仮面芸人」が面白かった。

『ガラスの仮面』のあの有名な「白目」は、本来そこにあるべきものをあえて空白とすることで、むしろなにかを表現する、つまり「描かずして描く」という視覚表現特有のすばらしい技法であると感じた。

なにより見た目のインパクトがスゴイし、Free Novel Game 制作においても、絵を自分で描ける人は、こういう部分でもアドヴァンテージがあるのだなと考えさせられる。(まあ、文章表現でも似たようなことはできるのだろうけれど)







「人生で最高の RPG はなにか?」と問われたら、なんだかんだ言って『ゼルダの伝説 夢を見る島 (任天堂 / GB) 』とわたしは答えるだろう。

まず、「夢を見る島」というタイトルが良い。嵐に巻き込まれて流れ着いた南海の孤島。その中心にそびえる山の頂には巨大な「卵」がひとつ。そのなかで眠る「風のさかな」を目覚めさせるために、島中のダンジョンに隠された「セイレーンの楽器」を集め、「めざめのうた」を奏でる。

……いやー、どの要素をとってもサイコーであるwww

音楽がテーマのひとつとなっているだけあって楽曲もすばらしく、ラスボス戦後の Ending から戻ってきての Opening のコンボは(大げさではなく)毎回泣いてしまった。ゲームで泣いてしまったのもこれくらいだった。

この作品の影響からか、わたしは「南国の澄み渡るような青空の下でちまちまするゲーム」に強い憧れがある。

(といっても、いまの若い子には信じられないだろうが、初期のゲームボーイ作品である『夢を見る島』のオリジナルはカラー対応ではなく、いわゆるモノクロの画だったのだが。いや、そもそも「ゲームボーイ」がわからないか? 「3DS」ちゃん家のいちばん上のお兄さんだよ☆)


さて、数年前に発売された『Shining Ark (SEGA / PSP) 』という RPG がある。

これも「ある孤島のある村での生活を追体験する」ゲームなわけだが、実際、ゲーム中やることといえば「狭い村のなかを回って準備>戦闘に出撃」の繰り返しで、単調かつ作業的なのである。要はあまりワクワクするようなものではない。

とはいえ、PSP で使われている UMD の容量の問題で「広大なオープンワールドを駆け巡る大冒険!」的な内容がムリなのはしかたがなく、結果、PSP の RPG には「拠点とダンジョンを行ったり来たり」する省エネな仕様のものが多い。もちろん、それはそれで構わない。

むしろ、その「ちまちま感」が嫌いではないわたしにとっては歓迎できるくらいのことだが、それならせめて「狭く深く」楽しめるものであってほしいと思う。(なんか自由度低くてスカスカなんだもん。キャラもぜんぜん好きくない)

まあ、「厨二っぽいシャイニングシリーズにそんなの期待するな」ということかもしれないが。



01:19  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.04 (Tue)

お待ちになって、もう少し-NOTE

なるほど、石原さとみは女優として一皮むけて「あんな感じ」になったのか、とか、大後寿々花って出始めの頃はまだシャクレてなかったはずだよなあ、とか、芦田愛菜は福よりは上手いんじゃないの、とか、『ごちそうさん』の「め衣子」っていま、設定上では何歳ということになってるの、とか、蓮佛さんはカワイイとかなんとか。あと「シノマリ=芦田愛菜」説。顔面が。

夜のせんせい』、タイトル後の提供読み(のバック映像)が『金八』のそれっぽくて、それだけで胸アツ気分。あと蓮佛さんがカワイイ。苗字のインパクトで名前のほうが飛び気味だけれど。

フジの「土ドラ」(なんか言いにくい)、今クールの『Lost Days』は男性陣が全員、仮面ライダーなんだぜ Yeah!! という。たぶん、このあと吹雪で足止めされて『かまいたちの夜』のバッドエンドみたいになるのだと思うよ。


『ハピネスチャージ』、すごいどうでも良いけれど、おひめは即位前ならまだ「Queen」名乗れないはずだし、幻影帝国のほうはほうで「帝国」なのに「Queen」なのかと。まあ、プリキュアシリーズで「女王」は特別な存在だから、やむなし。

あとブラックの人、10 年経っていたらほんとうは何歳なのだっけ? このあとも全員でおめでとうするの?

Jin Jin Jin Jin Amazing ~♪



02:18  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.02.01 (Sat)

損得勘定おばけ-NOTE

わたしは物が捨てられない。雑誌やフライヤーの類も貯め込んでしまう。

わたしにとって、一度得た情報(とその情報源)を手放すというのはけっこうな苦痛である。その瞬間、損をした気分になるか、あるいは将来的にそのような気分になるのか。どちらにせよ、損は回避したいのが人情で、そのために意味もなく積んでいるものが多い。

だが、これも結局は自己満足で、一年のうちに一度読み返すかどうかも怪しい、普段の生活ではなんの役にも立たないものばかりが山のように堆積しているわけである。また、この先 40 年、後生大事に手元に置いていたところで、わたしが(寿命でも病気でも)死んでしまえば、「遺品整理でゴミ捨て場に直行」は確実だろう。そう考えれば、執着しているのが馬鹿らしくもなるというものである。

どうせなら、潔く見切りをつけて大胆に捨ててしまえと、早いうちに自分の荷物を整理しなければならなくなったわたしは、自分に言い聞かせているわけである。

なにせ、人間、身軽なほうが良いに決まっているのだ。



01:57  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)
 | HOME |