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2014.01.26 (Sun)

闘争と暴力-NOTE

有尾さんが該当コメントを削除してしまったので、わたしもエントリを取り下げることにする。

途中からあたまの片隅で冷静に考えていたことだが、これが「ワタシ(たち)の正しさ」をぶつけ合う闘争のすがたである。そしてその結末は、このように苦々しい。

かつて有尾さんが面白がっていた「毒」が、人を選ばず、だれにでも効力を発揮することが証明された感があるが、わたしの「気まぐれ」や「ことば足らず」、「閃き」や「勢い」が暴力であることもまた証明された。

有尾さんはネガティヴで不快な要素を極力排除しようと努めているが、わたしはむしろ逆、不快やいらだち、疑問や懐疑によって、むしろ活発にことばを生みだすことができるようである。この溝は埋めようがないのかもしれない。


このまま、ふたりの関係がケンカ別れに終わってしまうのは残念だが、それもまた仕方がない。

コメントやエントリを削除してしまえば、それそのものを再び読むことはないだろうが、ことばや感情は記憶に留まるのである。有尾さんが「快楽」を希求するというのなら、この Blog に訪れる意味はコメントとともに失われた。

そして彼のあたまを蹴り飛ばしたのはわたしである。この現実を受け入れるしかない。



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2014.01.25 (Sat)

日テレは 放送終了を理由に 逃げるとか 思われてるんじゃないの?-NOTE

まだキチンと観ていない『明日、ママがいない』。(どうでも良いけれど、このタイトル、「芦田愛菜がいない」に聞こえて仕方がない。これはワザとだろうと勘ぐっている)

日テレは上原美優さんが自殺した直後の出演番組で、彼女の顔にモザイクをかけて放送したことがある。放送前に亡くなったからといって、許可のない一般人や被告人などと同様の処理をする理由が良くわからない(もしかしたら他の業界関係者に「配慮」でもしたのかもしれないが)。まあ、とにかく日テレに「マトモな倫理観」など期待するほうが間違いなのである。

ナイナイの岡村さんは、自身の ANN で、『明日ママ』への批判に対して「またテレビが悪者扱いされている」と憤っていたが、少なくとも「赤ちゃんポスト」の慈恵病院や養護施設協は「そのことばをそっくりそのままお返ししたい」気分だろう。自分たちの仕事が、まさにドラマ内で(今後の展開がどうであれ)悪者扱いになっているのだから。

では、例えばテレビの制作側の人間は、芸能界・放送業界が「モラルなどあったものではない枕営業天国」のように(なんらかのエンタメで)大々的に描かれたとき、「こんなのフィクションだから」と寛容さを発揮して沈黙しているというのか。あるいは岡村さん、(これはほんとうにいてもおかしくないけれど)腐れ芸人の鬼畜行為の「噂」を引き合いに出されて「芸人だから」という理由で一緒くたに Dis られたらどうか。

岡村さんが世の不正義に「ぷんぷん丸」なのはいつものことだが、今回の言及だけは強烈な違和感があった。ドラマの内容は観ていないから知らない(それほど面白くないらしいけれど)。でも深夜に再放送を流している様には、日テレの意地を感じる。



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2014.01.22 (Wed)

花冠をした 青いキャバリア いませんか、この現実に-NOTE

ハッピネス』の新 OP、ジュエルペットシリーズで(ED も含め)史上最高だと断言しちゃう。

カッコ良いだけでなく可愛さもある。楽曲とも上手くシンクロしている。完璧ヤッター!

もう終盤なのがもったいない。

ところで Fairies て「アイドル」? TOWER RECORDS とかだとアイドルのコーナーにいるよねー。でもアイドル? パフォーマンス集団? E-girls はポップスターか? 1st album が早く出ますよーに。







慰謝料弁護士 ~あなたの涙、お金に変えましょう~』。

わたしはいままで、自分は「両親の離婚のことなんてまったく気にしていない」と思っていたのだが、このドラマを観て、離婚のゴタゴタで喜ぶような感性がないことになんとなく気づかされた。

「どちらが悪い」とか「虐げられている」とかいう理屈よりも前に、離婚そのものが好きになれない。あとこれ、どうしてもドラマではなくコントに見えちゃう。もう E よ!







魔法戦争』も『Z/X IGNITION』も(「つまらない」ではなく)面白くなさすぎて、逆に面白くなってきたwww なんていうのコレ、馬鹿シリアス?

Free Novel Game でも、こういう心境になれれば良いのに。でも、どうやら「映像を眺める」のと「文章を読まされる」のではストレスが違うらしい。







あと、『ハッピネス』で思ったのが、女児向けアニメって「不自然に胸を強調するようなキャラクタデザイン」が少なくて、そこも好ましい。

男性向けアニメだと、JC とか JK とか年齢的なことまったく関係なく、見境もないからなー。上の二作品でもさー! うぎょもふ!



02:49  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.01.22 (Wed)

A Whole New World or Girls in trouble! DEKARANGER ?-NOTE

個人的には(Free Novel Game 作品において)「短編より長編のほうが価値が高い」などとは思わない。読了まで 10時間とか、それが例えどれだけ優れた作品であったとしても、わたしには拷問でしかない。


物語には、それを成立させるために必要な「情報量の密度」というものがあるとわたしは考えている。この「密度」を高めるための最も単純な方法は「とにかく文章を書き込んで、文章を物量的に増やす」、カンタンに言えば「長編にする」ことである。これはイメージしやすいし、説得力もあるだろう。

しかし、長編にせずとも「密度」を高める方法はある。それは「ひとつの文章に込められた意味を研ぎ澄ます」ことである。これこそ、わたしが短編に価値を見出す理由でもある。

個々の文章から無駄を「引き算」することで削ぎ落とし、洗練させ、それでいて「10 の文章に匹敵する意味」を滲ませることができるのならば、どれだけ文字数が限られようとも長編と同等、あるいはそれ以上のことを物語ることは可能である。

ただ、この方法には「物書きとしての勘の良さ」も「より多くの努力」もいる。(大変な作業であることには違いないが、文章を書き込むことだけならば、時間をかけさえすればだれにでも達成できるだろう)


「長編が書けないことに思い悩んでいる人」でも、やり方によっては「自分の短所だとされている部分を逆転させ強みに変える」ことができるとわたしは信じている。そして、それこそが「個性」の煌きであり、ほんとうの Creativity なのではないだろうか。




Dear "Princess Jasmine".  ※ (出典 1) or (出典 2)

カツオもちびまるも、おっちょこちょいでぐーたらである一方で、知能犯的な閃きを見せることもあって、そのふたりに例えられるというのは「なるほどなあ」と思いました。日曜夕方はキトキトですね。

あと、「Music Video が理想形」というのはすばらしいですね! わたしも Music Video 観るの好きです。ストーリー仕立てのものよりもダンス系のヤツですが。原始の Beat !!



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2014.01.18 (Sat)

「納得」を 頭蓋から 捻じ込め-Hell in the mind.

拙者、テンション、ダダ下がりでござる。

いや、いましがた、ある「ちょっとした特番」を録画し損ねただけなのだけれど。 (MX !!)

でも、気づくチャンスはあったわけだよ。「虫の報せ」的にピピッときたわけだよ。過去として振り返っての結果論としては。でもそれを「ま、いっか」と無視したことでもあるわけだよ。ダジャレじゃないよ。

自分にムカつくのは、こういう「チャンスをしっかり掴みとれなかった」ときね。生きていく上では不必要なことだけれど、興味が失せればゴミになるだけのものだけれど、いま現在、この瞬間はスゲームカついている。

損したとしか思えないわい。テレビ番組の一回性の魔力か。「限定」に弱いわたし。


せっかく『ハッピネス』の新 Opening が良い感じで気分良かったのによー。

禍福はあざなえる……なんか「行って来い」かよ (´・ω・`) もぎゃー!


大福は「ギリギリおまんぢうだよ」! (あの顔)



21:01  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.01.12 (Sun)

どうせなら 「信号機」 ではなく 「モノクロ」 の戦士に戻してよ-NOTE

ハピネスチャージプリキュア!』とかー。

キャラデザ、女児向けであることを差っ引いても、なんか好きくない印象で (´・ω・`)

それにしてもプリキュアのシリーズも、もう 10周年を超えたわけで、そうなると新プリキュアの名称(タイトルとは別の、プリキュア個々人の呼び名のことね)のネタ出しも、きっと大変なのだろうなあ。

これが例えばスーパー戦隊ならダジャレに逃げたり、仮面ライダーなら最悪「カッコ良いけれど意味は良くわからん」方向にも持っていけるわけだけれど、プリキュアはやっぱり、「オンナノコっぽい、キラキラとしてポジティヴなイメージの単語」から選ばないといけないだろう。でもそれって、意外とヴァリエイションが多くはないように思う。当然、過去プリキュアとのカブリはダメなわけだし。

そういった目線で「キュアプリンセス」という新プリキュアを見ると、「プリンセス」ってなかなか究極的なイメージなのに、思い切ったなと感じる。すごいどうでも良くてゴメン。


そもそも、『ドキ!キュア』にしても、初回を観たときに思い描いた未来図と、実際の作品内容があまりにも乖離していたために、これから先のクライマックスも、ほとんど期待していないわたしなのだが、なぜそれでもプリキュアを観続ける気になるのだろうか。不思議。

やっぱ、なんだかんだ『ふたりは』のイメージが強いからかな。第一シリーズ、終盤になってもなお「ほんとはプリキュアとか、あんまやってらんない」とプリキュア自身がこぼすような展開は、昨今ではありえないからなあ。



03:20  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.01.12 (Sun)

憧れの 「皆殺し の 天使」-NOTE

深夜帯に放送している、若手俳優やアイドルなどを中心にキャスティングした「アイドルドラマ」のようなものをなんとなく追っている自分がいる。

これらのドラマは、出演者の年齢からして当然、学生が主人公であることが多く、友人同士でドタバタしているコメディ風のものもある。その内容を文章として書き表してみれば、良くあるノベゲの物語と変わりないはずなのに、なぜわたしはドラマのほうにより面白みを感じるのか?

思うに、わたしには「ノベゲ的なもの」に対する「憧れ」がないのかもしれない。ここでいう「憧れ」とは、ある事柄を心地良く感じ、抵抗なく受け入れることができる、精神的な求心力のようなものを指す(ことにする)。

例えば、「NaGISA の大先生サマ」や道玄斎さんのレビューに目を通せば、その行間から「ノベゲ的なもの」への「憧れ」を読み取ることは難しいことではない。彼らは、作品に触れた際のココロの動きを記すことによって、ノベゲ自体を肯定していると言える。

思い返してみると、中学の終わり頃、年代でいえば 2000 年あたり(ちょうど『ビジュアルノベル』が爛漫に花咲き始めた時期)から、わたしは「ノベゲ的なもの」に対する違和感を抱いていたような気がする。その違和感が、後のわたしの「反レビュー的発想」の萌芽であり、あるいは友人に薦められたことで予期せず特撮ドラマにハマっていまに至る要因にもなっているのだろう。

(ちなみに、わたしの文章に興味、あるいは共感してくださった方たちも、「ノベゲ的なもの」に対する「憧れ」が少ないように思える)

この価値基準のズレを、Free Novel Game の感想に活かすことができれば良いのだろうが、それもなかなか難しいのである。(だって味方が少ないから)







mei さんが、事あるごとに「飽きる飽きる」と繰り返している、その気持ちは良くわかる。

人間の集中力には(陸上競技に例えるところの)長距離走的な「持久型」と、短距離走的な「瞬発型」の二種類があり、mei さんやわたしはおそらく後者に属するのだろうと思う。

このふたつは性格の特性であり、「良い悪い」の基準で判断するようなものではないが、創作活動を続けるということでは、持久型のほうが有利であることは間違いない。現に mei さんもアレコレと苦労しているようである。

とはいえ mei さんも、ひとつの絵や作品を手がけることではすぐに飽きが来てしまうが、「絵を描くこと」「文章を書くこと」自体は根気良く長続きしているわけだから、堪え性がないというわけではないのだ。ただ、集中力が切れた瞬間に取り組んでいた事柄への興味も失ってしまうというだけなのである。瞬発型の集中力は大抵その場限りで、長く持ち越すことは容易ではない。

まあ、気が移ったあげくに結局ボツってしまった掌編群も、後に再利用することもできるようなので、まったく無駄ということもないのだろう。そういう創作スタイルなのだと、深く考えないほうが勝ちである。


30分アニメすら途中で飽きる」というのは、単純にその作品に(あるいはアニメ鑑賞自体に)興味がなかっただけだと思いますよ。mei さんの正直さから推測するに。

それと、「シナリオの意味が自分でも良くわからない」というのも、わたしのこの Blog の文章にしたって似たような状態ですし、あるいはプロの作家さんにしても、「(自分で書いた)登場人物のことが理解できない」とか「この作品はなんだったのだろうと悩む」といった話をされているのを見聞きしたことがありますので、特別おかしなことでもないと思いますよ。

それに、作品からなにを得るかは、読者しだいなところもありますので。むしろ、制作者が作品の読み方・感じ方まで指図するようなことになるよりかは、「良くわからん」とブン投げるほうがマシなのではないでしょうか。


あ、あと mei さん、今年もよろしくお願いします。

昨年末に拍手でお礼を書こうかと思っていましたが、機会を失していましたのでココで。なんかすみません。



01:23  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.01.07 (Tue)

的場さん、劇場版の敵ライダー役なら あり得るのでわ-NOTE

今日の『ジェネレーション天国』、ぜんぜん面白かったけれど、やっぱりわたし、すでに特撮ドラマの世界に胸のあたりまで浸かっているのだな、と感じた。

「スーパー戦隊」も「平成ライダー」も、あの程度の情報量では初歩の初歩のさらに下、魅力の数千分の一にも満たないレベルだからなー。『豪快』に当てて『ディケイド』選ぶのかよ! みたいな。そもそもアメコミ・ヒーローは「変身ヒーロー」か?

まあ、地上波のゴールデンタイムでは、あんなものなのだろう。せめてテレ朝の番組だったら、とも思ったけれど、大して変わりないか。特撮ドラマは本編がすべてよねー。







独り暮らしのメリットは「生活のすべてを自分でコントロールできる」ことだと、お正月を実家で過ごして考えた。

炊事・洗濯・掃除といった生活の上での面倒事すべてを抱え込むことになるが、その代わり、同居人の都合に振り回されることもないのだ。こんなに楽なことはない。

効力の疑わしい口約束みたいなもののためにストレスを溜めるなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しいので、わたしは(そういう意味では)他人を信用しないことにしている。どんなに近しい人間であっても(いや、むしろ近しいからこそ)、こちらの思い通りに動いてくれるはずはないし、都合の良い期待をかけるだけ無駄というものだろう。それなら初めから、自分でどうにかする算段をつけておいたほうが精神衛生の上でも良い。相手を恨まなくても済むし。

といっても、やっぱり時間が迫ってきているのに出先から帰ってこなかったりするとイライラしてしまうのだけれどさ。またウチの家族は自己中心的だからなー。







これも縁起物だと初日の出を拝みに行った。

といっても、富士山上空などの気合の入ったものではなく、そこらへんのちょっと見晴らしの良い場所だったのだけれど。母とは「どうせなら世界でいちばん早い初日の出が見たいね」と話した。

けっこうたくさん集まっていた人々は、当然のようにスマホなどで初日の出の瞬間を切り取っていたわけだが、朝 7時前のあの空気感は伝えることはできないのだろうと、眼に刺さるような太陽光を避けながら考えた。



01:37  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2014.01.07 (Tue)

生きている-NOTE

お正月のド深夜、というか朝方に放送していた『皇帝ペンギン』を観た。

画面越しに、あらためてペンギンを観察してみると「やっぱり鳥なのだな」と実感する。ずんぐりとした印象のわりに首が思いの外「にゅー」と伸びたり、よたよたとしたなんともいえない哀愁が胸キュンな歩きすがたも、鳥類の身体構造がそうさせているのだろうし。

この映画は、ペンギンのカップルの出逢いから、次世代の仔ペンギンの旅立ちまでの一年間を追ったドキュメンタリなのだが、そのなかで、(直積的な交尾の映像というわけではないが)明らかに「ペンギンのラヴシーン」を表しているのだとしか思えない、お互いが絡みつくような撮り方をしている箇所があって、「さすがフランス人(の感性)」と妙に感心してしまった。


わたしは漠然と、自然は「生命を育むために用意された場」であり、生命はそのなかで進化を繰り返すことで「終着点」に辿り着くための旅をしている(人類もまたその通過点)のだと考えていたのだが、それもちょっと違うのかもと思えてきた。

『皇帝ペンギン』でも、あたかも厳しい自然環境が生き残るべき生命を「選定」している(自然が生命の目的達成に関与している)ように見ることもできるのだが、実際には、完璧にデザインされた自然というサイクルのなかに、生命という別要因が放り込まれただけに過ぎないのではないだろうか。生命の旅とは、遠大な目的意識などない、ただ未開の地へと挑み、自らを変えていくだけの旅なのか。

世界は、生命をそれほど祝福しておらず、それらが生きていようが死んでいようがお構いなしなのかもしれない。しかし、そう考えると「逆に」精いっぱい生きるべきだと思えてくるから不思議である。特別なものではない、捨て置かれるちっぽけなものだからこそ、足掻く必要があるのだ。

これこそ雑草根性とでも呼べば良いのか。植物は、生命よりも自然の側であるように思えるが。



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