09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2013.10.27 (Sun)

「JUST LIVE MORE」=「もっとやったらんかい」?-NOTE



mei さんからコメントをいただきました

作品群をまとめて勝手に名前をつけたりしていたので、実際、どう思われているのかと心配していましたが、特に怒っていらっしゃらないようで良かった良かった。

mei さんが Twitter で「わたしも『萌え絵』が描きたい」と言いだしたのを読んで「ぎゃー!」と思っていましたが、どうやら諦められたようで、それも良かった良かった。

大きい書店のマンガコーナーや家電量販店のゲームコーナーに行けばわかることですが、いわゆる「萌え」と呼ばれるものは、全体のなかでいえば、ほんの一部分のジャンルにすぎません。実際はさまざまな方向性の絵柄が共存しているのですから、自分の作風をムリヤリ流行りに近づける必要はないと思います。

すくなくともわたしは mei さんの描くもの、好きです。Tweet に上げられている試し書きなども美しいと感じています。ただ、正面以外の横顔とかの表現が安定すればさらに良いのですけれど。まあ、そうカンタンにはいきませんよねー。







ひとくちに「レビュー」といってもそこには、それを記すレビュアーの希求するものによって、方向性の異なるさまざまな機能が与えられているのだといえる。

つまり、「製作者やプレイヤーの役に立つように」と望むのなら「コミュニケイション・ツール」としての機能を、「自分の感じたことを伝えたい」と望むのなら「自己表現」としての機能を、といったように「レビュー」の形態をとっているからといって、すべてがおなじわけではないのである。ただメンドくさいのはレビュアー自身、このレビュアー個々人が抱える意識の違いを理解しているとはいえないなかで「統一的な『善い』レビュー像」を論じたりする、この現実だろう。

わたしは、人間の欲求から生まれる「表現」は、社会的な「法」や「道徳」を超えた領域にあると信じている。だからこそ「自己表現」のレビューも「コミュニケイション・ツール」のそれのように「敬意だ配慮だ」という瑣末な気遣いをまるごと無視して、自分の書きたいように(悪口でもなんでも)書くことは「可能である」と断言する。

だが、この「可能」とは、それが「平穏で祝福された道」であるという意味では決してない。恨まれたり否定されたりが大半だし、どちらにせよツマラナイことを書いていれば他人さまからの賛同は得られない。

反感を買うような物言いをするということは、ヲサカナの「Aura の人」が以前書いていた「言い訳のきかない自分自身(の価値観)をさらけ出さなければならない」というレビュアーの、さらに最も過酷な立ち位置にあることを覚悟して、それでも続けられるだけのなにかしらを抱いた人間にだけ許された行為なのである。カンタンに逃げ出すようなら、はじめからするべきではない。

そう考えているからわたしも、名前も変えず、身も隠さずにこうやってグダグダと文章を垂れ流しているわけだが、れんれん堂の作品を上から目線でおちょくったレビュアーってだれね? もしかして、実況動画ん人? もう削除されたんかね?



01:50  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.26 (Sat)

こうなったら 4ケタ 目指そう-NOTE

nornir
ぎごろし・ノルニル


groundzero
うんめいせん・グラウンドゼロ



夏頃から『犠殺シ』の続編と合わせて二部作の物語を妄想して独り遊びをしていた。

ふたつは連続した物語の前後編のようなもの(『犠殺シ』単体でも完結はするけれど)で、テーマは「運命」と「幸福」について。……他人さまのことをどうこう言えない、平凡なテーマでお恥ずかしい限りです。


ちなみに「犠殺シ」は「犠牲」+「殺す」の造語。なかなか物騒だが、音が良くてちょっとお気にである。「nornir」は「運命」と合わせて。以前はここを「Chronus」としていて、そのほうが「ぎごろし・クロノス」と違和感もなく収まりは良いわけだけれども、そこはちょっとこだわってコチラに。

そして『運命閃』は、前作より受け継いだ「運命」が、どがーん! と爆発していろいろと大惨事になるけれども、それでも決着はつくよ。といった感じの意味を込めて。ただ、「うんめいせん」「Ground zero」と、音の流れが途中の「せん」でいったん止まるような印象が若干あるので、だいじょうぶかなあと思ったり。


それにしても「タイトルロゴとかにも凝りたいなあ」という願望があったとしても、デザインの知識も技術もセンスもないシロートが、そんなステキなものを作れるわけない、という当たり前の事実に思い至って、無難でテキトーな方向に逃げてしまったことはヒミツにしておきたい。例え、華美でギラギラしたものよりかはシンプルなもののほうが個人的な好みだとしてもである。



22:46  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.26 (Sat)

「運命」が来た-NOTE

うごご。ヤバい。不意打ちだ。迂闊。いや、先伸ばしのツケか。

どうにか説得できんと困ったことになる。狭いながらも楽しい我が家。

「責任を取る」ということばが世界一嫌いになった。遊んでる場合じゃねえよー!









上記リンクは「れんれん堂」の mei さんの Blog です。mei さんは以前にも FC2 で Blog を運営されていたのですが、気がついたら Not Found になっていて残念に思っていたのです。しかし、また再開されたということで喜んでいたのですが。

エントリを読んでいると、ちらほらと「レビューで悪口を書かれた」という記述が出てくるのです。Blog を最初まで読み返してみると、そもそも悪口を書かれたことをきっかけに Blog を再開したらしいのです。

で、わたしも思いっきり後暗いというか、「非人間れびゅあー」呼ばわりされた身ですので、「もしや自分のことではあるまいか」と気が気ではない心境なわけです。

もっとも、エントリから得られる情報から推察するに、当 Blog のことではないだろうと予想はしているのですが、実際のところはわかりません。騒ぎが大きくなることを懸念してか、mei さんが「悪口レビュアー」の詳細を伏せておられるからです。これも「大人の対応」というものでしょうが、はっきりと事態を把握している当人間はともかくとして、外部から見ているものからしてみると、このボヤかされた感じはすこし歯がゆいですね。ヘタな立場にいると疑心暗鬼になってしまうので。検索しても(ワードの入れ方がいけないのか)サッパリだし。


しかし、こういった製作者さんの嘆きを目の当たりにすると、レビュアーというものは「売れセンの書籍にオススメのポップを描く書店員」のようなことしかしちゃいけないのか? と思えてきます。そういうものばっかりの状況が善いのか悪いのかといえば、わたしは良くないと思いますが、そういった「自由意思」は封殺されるべきなのでしょうか。

なんかもう、Free Novel Game 周辺で説かれる「自由」とは、その名のもとに「善悪が混在する環境」をも許容することではなく、ただ「自分が気持ちの良い環境」「自分が脅かされない環境」を守るためにおたがいが結託するべき、と迫るための口実でしかないように感じます。

まあ、それが現実であるならば、それはそれでどうでも良いという諦観の領域に入りつつある今日この頃ですが。いいかげん、「製作者」「レビュアー」「プレイヤー」の三者は決して対等ではないと、どっかのエライ人にでも宣言してほしいですね。「ツマンネ」「イミフ」レベルの物言いが(あたま悪そうな表現というのはそのとおりにせよ)「悪口」になるというのならね。

別に mei さんを非難しているわけでもないし、嫌われたいわけでもないのですけれどね。



あと、「NaGISA の大先生サマ」がレビュー開始 10周年を記念してなにかやりたいと申しております。ぶっちゃけ、なにがメデタイのか良くわかりませんが。

彼が中心になって運営しているコミュニティがどうにもパッとしない現状を考えるに、明らかに製作者とプレイヤーのあいだには「壁」があるように思えます。おそらくは「善意」によって作られる壁です。

この壁を壊してバリアフリーにできるのか、あるいは、そもそもバリアフリーにすべきなのか、と考えるのもまあ、無意味でしょうから、どうでも良いって気分ですが。



02:20  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.10.21 (Mon)

安堂ロイド も この匂い-NOTE

『零』も『天』も、『Legal High』とカブってる……。


『SPEC』、『結』が終わって一区切りついたら、『翔』以降の作品をまとめた BOX が出ると思うのね。なんだったら連ドラからも含めた「完全版 BOX」も充分にありえるよね。

もう、それで観れば良いのではないかなあ、と。作品の方向性は良くわかったし。







この前の祝日だかに『NHK スペシャル 病の起源』前半の再放送を観た。

太古、アフリカを出たわたしたちの祖先は、その土地土地の環境に適応しながら旅を続けていたわけだが、しかし新しい姿や能力を獲得していったといっても、それらは以前の状態から上書きされるように刷新されているわけではなく、始祖の地アフリカ(あるいは進化の過程)に合わせて育まれた身体的特性がヒトから失われるようなことはなかった。その太古から脈々と受け継がれているシステムが現代人の天敵とも呼べる病、「がん」や「脳卒中」といった弊害を引き起こしやすくしているのだという。

こういった「病の成り立ち」を知って、これはわたしたちの社会も似たようなものだなと感じた。人間は世代を経ることで新たな価値観を獲得していく。個人の狭い世界から見れば、社会は(自分たちの持つ)ひとつの価値観によって刷新されていくようにも思えてくる。このように価値観の隔たりによって、ある部分では世代間の断絶を見せつけられることもあるが、しかし、わたしたちが過去から完全に自由であることはない。

実際いまこの時点でも戦争経験者はまだまだ存命で、おなじ空の下で生活しているのだ。価値観の異なる別世代との係わりを完全に絶つことが困難である以上、善くも悪くも過去から受け継いだものは未来に影響を及ぼし続けているのだろう。


それにしても思うことは「進化ってスゲーwww」ということと、「神が生物を創造した」というのは、だいぶヒドいおはなしだよなあ、ということである。

ミジンコみたいな水中生物が、数億年をかけて人類にまで到達し、あるいはまだその先に向かっているのかもしれない、という「生命史」のダイナミズムを感じると、テンションをアゲずにはいられないというものだ。

あるいは「出アフリカ」にしても、例え人口増加で溢れてしまったものたちが新天地を目指したにせよ、なんの保証もない旅に挑んだ先祖たちの勇気を想うと、胸に迫るものがある。

そういった生命の偉大さのようなものを、「ただひとつの存在」の威光を高めるためだけに捻じ曲げてしまうのは、やっぱりよろしくないよなあ。神も原人のご先祖さまも、どちらも会ったことがないわけだけどさ。



02:00  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.20 (Sun)

羨望-NOTE

日々、悔やまれることばかりだ。

わたしが書いたお返事によって、ナナシ (仮) さんにウザがられたことは確かだろう。要するにナナシ (仮) さんはわたしとツッコんだ議論がしたかったわけではなくて、ただちょっと挨拶程度の関わり方をしたかっただけなのだろうと思う。

思わぬコメントが付いたからといって、嬉しさのあまり長々と持論をぶつようなことをせず、相手の望みどおりに「ありがとうございます☆ ガンバります☆」と軽く返しておけば良かったのだ。

これまでも似たようなことはいくらでもあったのに、毎度毎度、相手を引かせているから Web 世界でもなかなかトモダチができないのである。

自分自身のせいで萎えるわー。







フジで放送していた『山田くんと 7人の魔女』を一気観した。

原作のマンガも知らないし、まあ、しょーもないアイドルドラマなのだろうなあくらいに考えていたが、アイドルドラマというジャンルとして見てみれば、なかなか面白かった。けっこう良いことも言っていたし、『Annie』の「あの有名な歌」もはじめて内容を噛み締めることができた。

結局わたしは、このドラマやテレ東の『LIMIT』、日テレの『仮面ティーチャー』のような、若い俳優さんたちがわんさかと出てくる作品が好きなのだなあ、とあらためて実感する。例え、演技力に難があるキャストがいようとホンが稚拙であろうと、キャリアを積んでいないからこその「若さの煌き」を持つ彼らの存在にココロ惹かれるのだ。(いや、上に挙げた三つがアレだというわけではないよ。どれも面白かったよ)

もちろん、洋画や海外ドラマに代表される硬派でシリアスな作品もおなじくらい好きだけれど、もともとふたつはステージ自体が違う。比べても意味がない。

「仮面ライダーやスーパー戦隊のようなキッズ枠」「深夜枠とかのアイドルドラマ」「ゴールデンタイムの『推し俳優』たちのドラマ」「ちゃんとしたドラマ」というピラミッドがあるとして、わたしはそれを「仰ぎ見たい」と思っている。どの階層の作品にも、それぞれに良さがあるはずで、できるだけどれも好きでいたい。


しかし、考えてみると『やま魔女』はファンタジィの要素はあるものの、基本的には「ラブコメ」で「日常ドタバタ系」なのだよなあ。なぜ『やま魔女』は気持ち良く観れて、一方のノベゲのそれはダメなのだろう。

ふたつはなにが違うのか。なにかが違うとして『やま魔女』のような(ドラマ的な)ノリはノベゲ上で再現可能なのだろうか。なかなか興味深い。



03:00  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.13 (Sun)

気のせいの星-NOTE

いましがたコンビニに行ってきたのだけれど、街灯のすくない場所で空を見上げると、意外と星が瞬いているように見えた。

でもこれは、ほんとうに星がボンヤリとでも見えているのか、それとも、わたしのなかの「星空のイメージ」を空に投影しているだけなのか、いまいち確証が持てない。







どうやらナナシさん(便宜上このように読んでいるだけなので、できればきちんとした名前があったほうが嬉しい)に勘違いされてしまったようで、どうお返事すれば良いかと考えている。

『笑わない』のことでガムベースさんにコメントを頂いたときもそうだったのだけれど、もしかしたらわたしの文章って若干、気持ち悪いのかなあと。

確かに、いただいたコメントにお返事するといっても、わたしの場合は、コメント内容をもとに自問した結果を書きだしている(一方的に球を投げている)だけなので「会話」として噛み合っているかといえば、どうも怪しい。

有尾さんやエコーさんのように、何度もやりとりをした仲なら、そこらへんのことも汲み取って上手く応対してもらえているのかもしれないけれど、「はじめまして」の人からしてみれば「なにコイツ?」と思われるのかもしれないなあ。困った。







『ノベルゲームは衰退しました』のイメージがそれなりに良さげにできたので、ちょっと満足してしまった自分がいるが、さて『衰退しました』はどうするべきなのだろうか。


イメージを見てもらえばわかるとおり、わたしは「レビュアー系ノベル」を一連の系譜上にある作品群として扱うことにした。これは別に、なにか奇を衒ったというわけではない。

まず、最初に「フリゲの制作過程を友人ふたりがおもしろおかしい掛け合いで説明する」という内容のノベゲ作品があった。「レビュアー系ノベル」の一作目である『とあるノベルのレビューサイト』は、このもともとある構造を「レビュー」という観点に立って引用した作品だった。まったくオリジナルのアイディアというわけではない、いわば既存の作品のパロディだったというわけだ。

つぎに、鮮烈な印象の『俺のレビューが単なる悪口のわけない』が登場するわけだが、この作品は「NaGISA の大先生サマ」が指摘しているように、明らかに『レビューサイト』を下地にして作られたと思われる部分がある。そもそも「製作者がおなじなのでは?」という疑いもあるが、振り返ってみれば、両者(の持つメッセージ)はちょうどネガポジのような関係性にあった。

さらに三作目である『ノベルゲームレビュアーは笑わない』は、明確に『悪口のわけない』を意識した、『悪口のわけない』からのメッセージに対する「答え」としての作品なのだと制作者であるガムベースさんは証言している。

そして『衰退しました』は、その『笑わない』中に登場する作品をベースにしているのだから、これまでの作品に関連付けしないほうがおかしいというわけである。もっといえば、つながりを前面に押し出せば「レビュアー系ノベルが増えれば良いのに」というガムベースさんの希望を叶える手助けにもなるだろうと考えたりもした。


では、内容はどうしよう。『レビューサイト』はレビューのあるべき明るい未来を指し示す牧歌的な内容だったが、私怨の炎で「悪口レビュアー」を焼き殺そうと画策した『悪口のわけない』の出現によって、その平穏な空気は破られた。(ただ、この大きな振り幅のおかげで「レビュアー系ノベル」は「自由」なものになったともいえる。主張はロクでもなかったが意義深い存在だろう)

そして『笑わない』は、明確な主張の発信を回避しようと努めた結果、幻想のなかに迷い込んでしまうハメになった。そのためかどうかは知らないが、志を持つ作品ではあるものの、レビュアーにはフックしなかったようだ。

『笑わない』中の『衰退しました』は(全体像は示されないものの)憎悪から生まれた作品であることは明らかだった。となると『悪口のわけない』に近い作風になるはずだが、わたしはレビューにおける道徳的な価値を打ち出すつもりはない。

とはいえ、じゃあナナシさん(仮)がおっしゃるように、例えば「フリゲ制作における『癒し』がどうたら」と作品内で語ったところでおもしろいのか、それは?


ボンヤリと思い描いているのは、レビューは遺る、作品も Vector などに遺る、でも製作者だけは行方不明ということは良くあることで、なんとなしにそういう製作者を捜してみたら、実はすでに死んでいた……というようなおはなし。

たぶん、死んでしまった理由によって作品の方向性が変わってくるのだろうけれど、「衰退しました」といっているからなあ。あと「あの背景」での掛け合いはどうするとか、いろいろ詰める部分は多い。



03:10  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.10 (Thu)

フリゲ制作によって 癒されるのは だれなのか-Free Novel Games

ガムベースさんに『ノベルゲームは衰退しました』の制作を薦められてからというもの、あらためて「制作者」「プレイヤー」「レビュアー」という三者の関係性について考えるようになった。


まず前提として、わたしは「すべての創作作品には『人間を癒す』使命がある」と考えている。物語や虚構のちからが及ぼすものはただひとつ、人間を癒すということなのだ。

今年最大のヒット作で間違いない『あまちゃん』や『半沢直樹』にせよ、あるいは「ゴリゴリのスプラッタ」や「ロリコン趣味のポルノ」にせよ、例えたったひとりでもその作品によって癒されるものがいるのなら、それは「創作作品」の使命を果たしているといえる。これは個人の好悪や社会的道徳に左右されるものではない。需要がある限りは世界から祝福されているのだ。

もちろん、Free Novel Game も同様に、人間を癒すために存在しているはずである。ただ少々やっかいなのは「だれを癒すか」がプロの作品(とあえて書く)とは若干、異なる可能性があるということである。つまり「Free Novel Game とは制作者を癒すためにある」ように思えてならない部分があるのだ。


読み手はまず、「みなさんに楽しんでいただけたら幸いです」という制作者のことばが「真実から出た誠の行動」なのか「社交辞令としての挨拶」なのかを見極めなくてはならないだろう。その答えは大抵の場合、作品に対してのネガティヴな評価によって明らかになる。

仮に、制作者が「読み手を癒す」という目的を持って作品を公開したのなら、どれだけネガティヴな評価がつけられたとしても、それによって傷つくことは少ないだろう。「読み手を満足させられなかった」=「充分な癒しを与えることができなかった」ということで制作者自身、目的を達成できなかったのだから、すぐに改善の努力を始めるはずである。(もちろん、そのことと悪辣で下品な評価を下した相手に対して憤ることは両立する。しかし自分を「被害者」のように捉えることはない)

だが、制作者の目的が「自分自身を癒す」ことであったのならどうだろう。実はこの場合、製作者は「評価など求めてはいない」のだとわたしは考えている。もちろん、作品を肯定されれば大いに喜ぶだろうが、それは副次的な「報酬」に過ぎない。もともと、自分自身を癒すための創作に他人は不必要なのである。このことは作品(というよりも「制作者自身」)を貶められたと認識したときの態度から推測できる。どれだけ気をつけて書かれたレビューであっても、クレームをつけてくる製作者はいるものだ。

創作が「自分自身を癒す」ためのものであるとき、制作者はネガティヴな評価に対して強烈な拒絶反応を示す。大きく動揺し、深く傷つく。フリゲ制作を辞めると言い出したり、作品に関するすべてのことに自己防衛的な諸条件を加えたりする。そして製作者という立場的な優位性を発揮してレビュアーを「断罪」したり、「フリゲは制作者の『精神的報酬』がすべて。制作者の気分を害するレビュアーは不要」などというキャンペーンを張ったりするのである。これらは「癒し」を妨害されたことに対する憎悪からくる行動だろう。


Free Novel Game 界隈ではしばしば「善意」が持ち出されることがある。例えば「製作者が作品を公開するのは、彼らの善意からの行動なのだから、敬意を払わなければならない」といった具合である。

だが、わたしから言わせてもらえば、ほんとうに製作者が「善意」から作品を公開しているのであれば、他人からの評価にいちいち動揺したりすることはないはずである。なぜなら「善意」とは他人を信頼したり、受け入れたり、許したりするちからのことだからだ。

それにも係わらず、他人からの評価に傷ついただのなんだのと泣き言ばかり言っているのは結局、ただ自分を癒したいというだけだからだろう。その様をひとことで表せば「自慰」となる。「オナニーをすると馬鹿になる」はまったくの迷信であるから、いくらでも好きなようにやれば良いとは思うが、せめて自分を癒したい製作者は、自分のココロの声に耳を傾け、その目的に自覚的になってほしい。放っておけばかならず余計な争いの種になるからである。


そしてプレイヤーもレビュアーも、製作者の多くが「自分を癒したがっている」人種であることを認識しなければならない。こちらが純粋に「癒し」を求めることが、かえって「地雷」になることがあると知らなければならない。

そして、おたがいの「善意」を言い訳に、馴れ合ったりいがみ合ったりするような関係から一歩、前進するべきである。



02:11  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.10.09 (Wed)

ノリの違いは 努力では 埋められないのか-NOTE

わたしも、西野カナとか聴いて、世間一般の恋愛というものを勉強しなきゃいけないのかなあ、と『SONGS』を観ながら考えたのが 9月の最終土曜日でしたのことよ。



最近、あらためてラブコメとか中高生がキャッキャしている Free Novel Game 作品のノリが、自分には合わないのだなあ、と認識した。

「NaGISA の大先生サマ」は上記のような作風を指して「娯楽作品」と称しているが、これは決して一般大衆に向けての広がりを持たない、「マンガ的・アニメ的」な「閉じた」ノリでしかない気がする。

なんというか、「日常どたばた系」の笑いって「ダーツの旅」に出てくる面白シロートさんのような、地域性や年齢などからくる一般平均的な(と皆がイメージする)振る舞いとのズレを「ボケ」に仕立てる(例えば、畑仕事をしているおばあちゃんの訛りがネイティヴすぎて、なに言っているか良くわからない。といったような笑い)、あの感覚に近いのではないか。(あとはボケとツッコミのお笑いメソッドね)

別に「ダーツの旅」ならそれで成立するのだが、それでもあれは編集や演出のちからで面白くしているのであって、取材してきたシロートさんとのやり取りを、ただそのまま垂れ流しにしても、あまり面白可笑しい出来にはならないはずだ。

しかし「娯楽作品」では、会話そのままの垂れ流しがデフォなわけで。わたしは個性的(と書いているほうは信じている)な人物たちのやり取りをダラダラ積み重ねたものが「日常」の描写になるというのが、良く理解できないのだよなあ。そこに面白さがあるという解釈も。

ハッキリいって(わたしの好きな)『Legal High』とかテレ朝の『Doctors』のような、剥き出しの人間性(の過剰さ)で笑わせたり唸らせたりするものに比べて幼稚でしょ。(ドラマと比較するなという声もあるかもしれないけれど、面白いものはどんな形態であれ面白いわけだから)

まあ、そもそも登場人物の大半が未成年だったりするのだから、幼稚になってしまうのも当然といえばそうなのかもしれないけれど。ただ「そういう作品もある(=そうでない作品もある)」くらいのレベルならともかく、こうも一辺倒な偏り方をしているとなあ。

所詮はシロート集団でしかない(都合が悪い部分では「シロート」という逃げ場があるのもどうかと思うが) Free Novel Game 制作者に高望みしてもしかたがないのかもしれないけれどさあ。

これなら、まだ書き手の色が表れやすい「自己表現」的な作品を「娯楽」のほうに引き寄せる努力をするわ。用意された感動ではなく、己から導き出す感動だわ。



01:19  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.08 (Tue)

なんか コッチも寒くなったり 鎧武が始まったり-NOTE

9月の、というか『あまちゃん』の最終週は「陸の孤島」に軟禁されていました。まあ、また東北にある(あまちゃんの舞台は海側!)祖父母の家に行くしかなかったのですが。

別に、わたしがいま住んでいる地域も、ものすごく栄えているというわけではありませんが、やはり祖父母の家の周辺と比べればぜんぜんマシなほうです。なんというか空気が違います。夜の 9時を過ぎれば、すでに闇のなかという場所ですから。

ちなみに、家からいちばん近いコンビニ(LAWSON)が片道「徒歩 1時間」だそうで、母に歩いてでもいってみると言ったら「道に迷わないか」と心配されました。そうなると結局どこにも行けない。まあでも、マジで歩いていったらいったで大変だったろうと、帰りの車中から眺め見て、結果的にはそれで良かったと感じていますが。

あの週、関東ではまだ夏寄りの気候だったのだろうと想像していますが、東北はすでに「」でした。半袖どころか薄めの長袖でも寒かったです。というか痛かったです。東北ハンパねえ。

そういえば、田舎といえばやっぱり、星空がさぞキレイなのだろうというイメージがあると思いますが、祖父母の実家は地形的に空が遠いとかで、周りに街灯や家の光がほとんどないド田舎にもかかわらず、星がボンヤリとしか見えないのです。空一面に瞬いているのは確実なのですが、どこか判然としないもどかしさなのです。ちょっと凡人の人生のようでした。


今回、母は実家の稲刈りのために帰省したようですが、その前の週の大雨で、なんだか壊滅的な状況になっていたそうです。Workaholic で身体を壊したくせに、ハリキってやっていました。

その様を見ていて感じたのですが、やはりわたしたちは親子なのだなと。完璧主義というか「できることをできるうちに一気に終わらせてしまいたい」癖とか、自己中心的なスケジューリングにあまり悪気を持たないとか。

さすがに母の生き様はもう治らないのだろうなあ、と感じています。コッチが心配してもどうしようもないので、好きなようにしてもらいたいです。でも、わたしが空気のようになっているからって、ちょっとはコッチの都合もあたまにいれておいてほしいなあ。


あと、母が怖いのは運転ですね。年齢も還暦直前になって「もう目が良く見えなくなってきた」と愚痴っているわりには、高速上ではバンバン、スピード出していましたからね。夜は暗くて運転しにくいとか言いながらね。

確かに夜道の走行中は、横から見ているだけでもどこか吸い込まれそうな恐ろしさがあって、やっぱりわたしは運転に向かないのかなあ、と感じました。……とか言っていたら、桜塚やっくんの事故死で、高速道路での事故がクローズアップされていて、一歩間違っていたら、わたしたちもああなっていたかもしれないと、ますます自動車の運転が怖くなってきました。

あと高速道路って、やたら田んぼばかりの景色が多いので、ちょっと寂しいですよね。街並みが遠くにあって、生活の香りがしないというか。わたしがそういうのが好きだからといって「一般道を走っていけ」というわけにもいきませんし。それと、カンケーないですが、行きも帰りも牛タンばかり食べていました。宮城とか、ギリ福島とかで。



01:28  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.10.04 (Fri)

Mere Impressions, Part 7-Free Game (Novel and Others)

フリゲ、一期一会。


* Check this entry out !! *


雨の降る夜
「光は空の上から(閉鎖)/ ふりーむ! より」:Novel

ノベルゲームレビュアーは笑わない <答えをくれ篇>
「チクル妄想工房」:Novel

あまうた
「お茶漬けソフトアニメーション」:Novel

鹿連れ神様
「お茶漬けソフトアニメーション」:Novel


mei / Unavoidable (renren-do EP 2)

T1 June 14 -Intro-

T2 告白

T3 真章散華~ちるはな~

T4 アヤ先生と私の静かな生活

T5 雪月章

T6 来たるべき終末

T7 may 2 -Outro-

「れんれん堂」:Novel

※一部、作品の公開順がテレコになっている箇所があります。ご了承ください



身長
「水面の花(Website 消滅)」:Novel (Choice)



00:41  |  +ちらし のうら かんそうぶん  |  Trackback(0)  |  Comment(2)
 | HOME |