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2013.08.27 (Tue)

1,000円、1,500円を大差ないと思えるようになりたい-NOTE

ふと The Beatles に「Blackbird」という曲があったような気がしてきて、調べてみると案の定だった。歌詞を見るとモロに「Blackbird singing」とある

ほんとうにただの思いつきで(あるいは無意識に記憶をさらったのかもしれないが)タイトルを変えただけなのだが、Sir James Paul McCartney という偉大なミュージシャンのアイディアを安易にパクってしまったようで、ちょっとだけ恥ずかしい。

飽きるまではこのままで行くけれどさ。









ブドウと中華鎧がモチーフのライダー「龍玄」の人が、昨年のドラマ『高校入試』や、いまやっているファブリーズだかの CM に出ている子で、見知った顔だとテンションが上がった。準レギュくらいの出演時間でも記憶にフックする、なかなかの美少年だと思う。

しかし、「ライダー戦国時代」と和の風を装ってはいても、ライダーの顔ぶれはどこか『龍騎』に似ている。カラッと明るめな雰囲気は『電王』かな。シリアスにならんとも限らないけれどね。

あと、なんか「(動物の)サイのライダー」まで控えているそうですよ。『龍騎』のアイツはなんて名前だったっけなあ?

すみません。確かにカラーリングは灰色っぽいけれど、あたまはつるっとしているし、どちらかというとドラクエに出てくるお城の兵士のような、素朴な印象のライダーでした。どこがサイだ。







日テレの 24h TV、深夜枠にやっていた『しゃべくり』はクソつまらなかった。フジの 27h TV のような熱気も勢いもなかったし。

公共の電波で 24h TV を流しながら、一方で汚染水を大地や海に垂れ流しているのが「この国のかたち」なのだが、それにしても「なぜニポンジンはお仕事で(無理矢理)走らされている人間を応援することで感動を得るという茶番が好きなのか」とか「24h TV に参加している人と批判している人とでは、どちらがより『善』を求めているのか」とか考える機会を与えてくれていると思えば、すこしはマシなのだろうか。



03:04  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.08.25 (Sun)

メガシンカしてやんよ!?-NOTE

軽く自己嫌悪。

値段的にも数百円とか数千円で、欲しくもないものをムリヤリ買っているわけではなくても、「欲しいもの」「欲しいもの」「欲しいもの」と続いてそれなりの物量と金額に達したときに「これほんとうに必要だったのか~!?」と苦悶するというか。確実に(予想以上に)サイフも軽くなるわけだし。

こういうとき、自分の物欲に心底ウンザリする。寝て起きたら忘れているのだろうけれど。








子役から仕事をしていたせいでいろいろとシンドイ思いをしたと聞き、また『GO-ON』で「ドルドル!」言っていたこともあって、浪川のことを好きではないことなどまったくないのは確かなのだが、それでもやっぱりジョルノの「無駄ァッ!」は朴さんの声が良いんだよ~! CAPCOM 版のだよ~! (男性の)浪川じゃあイメージが合わないんだよ~!



ちょうど朴さんも出演しているのだから、役を交換すれば良かったんだよ~! 浪川がコーイチくんを演る分にはぜんぜん構わん!



それと音石……。確かにキャラも立っているし、人気もあるのかもしれないけれど、彼を入れるのだったら『Stone Ocean』からもうひとりくらい参戦させても良かったのではないかな~?

あの 3人なら組み合わせとしてせめてアナスイかエンポリオをさ~! 確かに FF は銃タイプのスタンド使いが被るから納得できるけれどさ~! 前半の部に比べて『Stone Ocean』も『SBR』も冷遇されてる気分だぜー!







ところで、PS2 時代から続く the Best のパッケって なんであんなダサいの?

なんか、急に『TOG f』がやりたくなったのだけれど、あの黄色いラインの廉価版じゃあ、テンション上がらないなあというおはなし。とはいえ中古品は PS3 に入れたくないしなー。



02:23  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.08.23 (Fri)

LIGHT-CHAOS 地母神ブラックマリア-NOTE





それがどんなものであれ、他人さまン家の文化をあたまごなしに否定することは恥ずべき行為であるとは思うが、それにしても上記リンクのエントリを読む限り、キリスト者というものほど、よっぽど「自虐的」でマゾ的気質を持った存在もないと感じる。いったい、どの口でサヨクを批判しているのか、良くわからない。


まあ、それはともかく。わたしはすこし勘違いしていたのだが、どうやら「他国による侵略行為」に対して武力を持ってこれに応戦することは、現在の憲法 9条下であっても可能であるらしい。(と、池上さんが解説していたwww)

そうなると「NaGISA の大先生サマ」の「オマエら、例え生命を失ってでも国家の捨石になりやがれ」という扇動も、たんなる「机上の空理」などではない、もっと現実的な啓蒙活動だったことになる。

しかしこうなると(以前にも書いたことだが)扇動者である「大先生サマ」が「覚悟」とやらを表明していないことが気になってくる。ぜひ御本人に「あなたの『危惧』するとおりに、例えば中国などが日本に対して侵略戦争を仕掛けてきた際には、あなた自身が率先して逸早く戦線に趣き、見事、立派に散華する『覚悟』がお有りなのですよね?」と伺ってみたい。どう考えても、腰の引けている一般ぴーぽーよりも意欲のある「愛国者」のほうが、より多くの戦果を期待できる点において合理的というものであろう。

有事の際には無差別的な徴兵制で産出された兵隊などではなく、志願兵として、お勇ましい「愛国者」どもが戦線に立つというのなら、その戦争を応援してやっても良い。ぜひ見事にクタバって、時の総理大臣に「感謝と尊崇の念」を捧げてもらってほしい。彼らはきっとそれで満足なのだろうから。


先日、母の実家に帰郷したとき、改めて客間(かなんか。お盆のための祭壇などを組めるほどの広い部屋。都会ではほとんど見られないようなヤツ)に掲げられている写真について説明を受けた。祖父の父とその兄弟は、あの戦争で亡くなっているらしい。生まれてこのかた、何度顔を見てもピンとこないはなしではあるが、わたしもあの戦争とまったく係わりのない存在ではないということだろう。(まあ、三世代も離れていれば、もう他人のようなものではあるのだが)

例によって今年も、終戦記念日の前後には、あの戦争についての特集番組が多く組まれていた。そのなかで、取材を受けていた戦争体験者たちは口を揃えて「もうコリゴリ」だと言う。これにはおそらく政治的・思想的な意味合いはないはずである。天災に巻き込まれた人々がその状況を喜びはしないのとおなじように、疲弊し傷つくことの多い生活などウンザリというだけのことだろう。そしてわたしはその証言のほうにこそ共感するのだ。

だいたい、わたし自身のことはともかく、わたしの友人たち、有尾さんやエコーさん、冬生まれさんやアヤメさんの生命が危険に晒されることのないようにと願うことが、それほど愚かなことか。

「大先生サマ」は「戦争反対だけ叫んでいれば平和が転がり込んでくるなら、苦労は要りません」などとほざいていたが、しかし平和というものは「特定の政党や政治家」が与えてくれるものでもないはずである。保守政党にマンセーマンセー言っているだけの「ネトウヨ」が、他人さまに説教しようとは片腹痛い。あるいはキリスト者の傲慢であろうか。

そういえば、自身も戦争体験者である美輪明宏さんが「文化にせよなんにせよ、あの戦争によってすべてが断絶してしまった」と語っていたことがある。もしかしたらウヨクの連中は、その「断絶してしまったもの」を取り戻そうとしているのかもしれない。すでに行き詰ってしまった現代ではなく、失われた遠い過去にこそ救いがあると縋りつきたいのかもしれない。

だが、それはきっと叶わない夢である。70年近くも前の日本に立ち返ったところでなんになるというのか。80年代や 90年代ですら、いまはもう人々の記憶のなかに留まっているだけの、実体を持たない残影である。今冬放送予定のセーラームーンだって、むかしのすがた、そっくりそのままではいられないのだ。


ただ、考えさせられる部分もある。「平和」だ「誇り」だなどと抽象的な表現をするとボヤけてしまうが、「国を守る」とは要するに「生活様式を守る」ことだろう。

オイル欲しさに難癖をつけて戦争まで起こしたアメリカや、日本の海底資源を狙っているだけとしか思えない中国が強欲だといえばそのとおりだが、それもまた自国の生活様式を守るために必要なのだと言われれば、誰がそれを強く非難できるのかと疑問に思えてしまう。

生活様式がその国の文化や国民のアイデンティティに強く影響するものである以上、そこには「強いちから」が生まれる。それこそ他人や自分の生命すら顧みないようなちからである。そして結局のところ、そのちからの働きによって「平和」もまた維持されるのなら、確かに「戦争反対だけ叫んでい」ても意味がないのだ。

(ごめん。なんだか良くわからなくなってきた。許容量オーバー)



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2013.08.20 (Tue)

考える時間だけはあった-Free Novel Games

16日から三夜連続で放送していた『朝まで「あま」テレビ』を観た。

世間での爆発的な人気、またナイナイ岡村さんのようなテレビに携わる人までもが熱く語っているのを見聞きしたりすると「逆に」観たくなくなるという、いつもの天邪鬼ぶりを発揮して、実際どんなものかなーと興味本位程度の関心度だったのだが、ダイジェストに編集されたある程度の流れを駆け足で追っただけでも、確かにみんながおもしろがるのも理解できると感心した。日本人が好きそうな雰囲気があるというか。

それにしても、放送時に「まさにその地域にいた」状況で、おなじ県内でも海側と山側ではこんなにも違うのかと、あちらがフィクションだということを差し引いても不思議な気分だった。まあ、ジジババばっかりの環境だったし。

そういえば親戚のおじさんが「じぇじぇじぇ!」と言っているのを聞いたが、あれは普段遣いというよりかは流行りに乗っかったギャグのようなものだと思う。というかあんなフレーズ、いままで一度も聞いたことがない。クドカンのオリジナルという可能性もあるが、調べるのもメンドくさいのでまあ良いか。

あと、どうでも良いけれど、アキと先輩は特に目元あたりが似ていて、けっこうな似たものカップルだよなーと思っているわたしの目はマトモなのだろうかとかなんとか。物語ももう終盤、9月末まであとちょっとですね。ここまでくると後番が大変だ。







わたしは「Free Novel Game」、というか「テキストを中心に据えたフリーゲーム」とは、あるものは「映像寄り」、あるものは「マンガ寄り」、または「アニメ寄り」だったり「よりインタラクティブなもの」だったり、そしてもちろん「読み物寄り」と、製作者の感性ごとに幅広い作品形態を持ち、かつそのような多様性を許容する懐の深さを(アマチュアの作であるからこそ)持っているのだと考えているのだが、その一方で「NaGISA の大先生サマ」のような原理主義めいたレビュアーの主張に触れていると、わたしの思い描く「ノベゲ像」もまた甘ったるい理想論なのかもしれないと感じてしまったりする。

例えばこれを音楽に置き換えて、まさに「クラシック厨」である「大先生サマ」が「クラシックこそが最高の音楽」とかふんぞり返っている横で、「いやしかし、現代にはこれだけ多様な音楽ジャンルがあるのだ」と、そのすべてを肯定しようとガンバっているようなものなのだと考えればすこしは気が楽というものなのだが、どうも弱気になってしまう自分もいる。

やっぱり、再三書いているように「Novel」+「Game」という呼称が良くない。後者の部位はまだ、いまはもう「一本道」の作品が「ゲーム性を持ち合わせていない」ことを責められることはないだろうが、「読み物」の体裁から大きく外れた作品の、その作品自体の性格を無視した「ノベゲとしての出来」を問われることはあり得る。それは、長い目で見ればマイナスである。

うーん、なんだろう。Lady Gaga の新譜をもじって「ArtText」とか? 略して「アーテキ」。とにかく、もっと言霊の縛りの緩い名称のほうが良い。



01:44  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.08.19 (Mon)

高速道路沿いって 水田しかないの-NOTE

先週は母の実家に帰郷していた。ただ、どうしても行きたくて行ったというわけではない。

母が言うには、独りで 8時間以上も高速を飛ばすのはさすがにシンドいらしい。欲を言えば、免許を持っているもの同士で代わる代わる休みながら進めるのならサイコーだそうだが、ウチのおとうとクンは休みが前にズレてしまってダメだし、でもとりあえず、横に誰かが乗っているだけでもだいぶ違うということで、まあ長居もしないというし、ちょっとした親孝行だと思って同行することにしたわけ。やっぱり自分の家とは勝手が違うし、気も遣うしで基本的には嫌なのだけれど。


それにしても、ちょうど日曜に終わったモスクワの世界陸上でも昼間は暑い暑いと繰り返されていたように、いかに東北のド田舎といえども、日中 30度を超えでもしたら、屋内であっても肌がチリチリとヒリついてくるものだ。さらにサイアクなことに、祖父母のデカいだけの家にはクーラーなんて文明の利器はないから(おトイレなんて未だに汲み取り式だし)。

ただ、日が暮れる頃には徐々に気温も下がってきて、夜中にはもう寒いくらいになってしまうのが「自然が豊かすぎる」田舎だなとは思ったけれど。コッチに帰ってきたら、夜中でも湿気(?)がキツくてメガネが曇ったものね。とりあえず、水田ばかりの青々とした風景は、目にするだけなら涼しかった。


それと、今回の帰郷の目的のひとつに(以前にもすこし書いた)母の甥・姪のなかで、いちばん早くにコドモができた(わたしにとっての)イトコ夫妻が祖父母の家に挨拶に来るというので、そこに同席する、というものがあった。伯母である母は直近の親戚だし、特に「妹の孫・甥の娘」である赤ちゃんに対する関心は高かったらしい。ある意味での「祖母ゴコロ」というものである。

結論から言うと、「はじめまして」であるイトコの連れ合いさんは善い人だった。まあ、事前に聞いた娘さんの名前がいわゆる「キラキラネーム」ではないマトモなものだったので、シッカリとした女性なのだろうと容易に想像はできていたのだけれど。ただ、聞けばわたしと同い年ということで、若干、しょぼんぬではあったのだが。

あとやっぱり、いくら親戚の赤ちゃんといえども、周りのオトナほどにトキメキを感じることはなかった。自分に甥・姪ができれば変われるのかな。


結局、そのイトコ夫妻が来た一日以外は大して面白くもなかった帰郷での愉しみといえば、行き帰りでのお土産選びくらいのものだった。地図上ではおなじ SA・PA であっても、上り下りでは別の建物、もちろんそのすべてに停車するわけでもないので、これはある意味での「一期一会」ということになる。その出会いが楽しい。

わたしは食べ物よりかたちで残るお土産品が好きで、そういえば、新ライダーの『鎧武』は伊達政宗公が着用していた甲冑のデザインをパクモチーフにしているようなので、宮城県ではやっぱり伊達政宗公に乗っかったキャラクタ商品に目が入ってしまった。あの兜を被ったチェブラーシカさんとか。それと岩手県遠野のカッパ。カッパ、カワイイよねー。

あとは「ご当地ヒーロー」ね。まあ、ローカル臭漂う似たような見た目のヤツばっかりなのだけれど、けっこうリキが入っているものもあって、特に茨城県の『イバライガー』は関連グッズの熱気がものすごかった。アレって番組も持っているのかなあ。ただ、腰のベルトが『クウガ』というか『アギト』というかな雰囲気だったのだけれど。


最後に、福島のローカル天気予報では、県内の放射線量の測定値を表示するコーナーがシッカリとあった。ニュース番組でも震災について触れていたし、そういう「日常」なのだな、と。



23:37  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.08.13 (Tue)

悪について-NOTE

例えば「有事の際にはオマエら、進んで死にに行けよ」とお節介にも他人さまに強要する「愛国者(かつ、医療従事者でありキリスト者)」がいる

そもそも「近隣諸国は日本を侵略したいと考えているに違いない」という不確実な思い込みを根拠に「(あくまでも)自衛のために国民は国家のために生命を投げ出さなければならない」と英雄的な情動を煽り立てている時点で噴飯もので、わたしはもう、この戦後生まれの平和ボケした「名誉ネトウヨ」のことは一切信用しないとココロに決めたわけだが、ではこの男、「NaGISA の大先生サマ」が悪人なのかというと、そうとも言い切れない部分が大きい。

彼が中心的な役割を担っている「Novelers' Union」の周辺では多くの人間に信頼されているようだし、また彼が趣味についての Blog で時折、自分はコドモ受けが良いのだとアッピールしていることがあるが、それがフカシである根拠も理由もない。事実を素直に捉えれば「大先生サマ」は「善人」なのだ。

だがしかし、この善人の内に宿る悪こそが最も厄介なものなのではないだろうか。フィクションのなかの「怪物的な悪」ではなく、精神という混沌から立ち現れる「気まぐれな悪」こそが恐ろしいのだ。自らの善を信じるものは自らの悪に対して過小評価的な態度を取り、またいつでも善に立ち返ることができると考えているからである。


(おっと時間だ、また今度)



14:24  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.08.13 (Tue)

欲求と欲望-NOTE

日曜に放送していた『有吉反省会』で語られていたことだが、保田の圭ちゃんはネットでエゴサーチをかけることが日課になっているらしい。当然(?)「悪い取り上げられ方」をされていることが多いそうだが、あまり気にしていないそうだ。ここまでのキャリアのなかでイジられ倒されてきたことで耐性がついているのだろうが、ある意味でスゴイ人である。

あと、ちょうどその日に見かけて印象に残っていた「圭ちゃんが表紙の雑誌」が、そのまま番組内でイジられていたのも笑ってしまった。その雑誌の付録が「KFC のクーポン券」で、なんて実用的なのだろうと思ったから。

それにしても、『有吉反省会』の収録日がどれくらい前なのかはわからないけれど、圭ちゃんのお父さんが失踪中なのは、さすがにどうでも良いニュースではないだろう。ほんと、人生って不思議なものである。









いよいよ発売日が今月末に迫ってきたこの時期、さすがに周回遅れも良いところだとは思ったけれど、『黄金体験 BOX』がどんなものなのかを調べてみた。

するとこの限定版は「数量限定生産」ということで、どうやら予約が始まった 2月末から 3月のあたまくらいの時点ですでにほとんどがはけていたようである。要するにこれはライブのチケットなどとおなじような、限りある定員数に購入希望者が押し寄せる「早いもの勝ちレース」の賞品なので、どれだけ想いを持って粘ろうが溢れてしまう人が出ることは確実なのであった。

そういう事実を直視すれば諦めもつくというものだが、それでもまだ手に入れられるものなら手に入れたいという気持ちもあったりする。だがしかし、そもそもこの諦めきれない気持ちはわたしの本心なのだろうか。

『黄金体験 BOX』の内容物はあくまでコレクターズアイテムである。商品の「本体」であるゲームの内容になにか影響があるものではない。それにわたしにはフィギュアを並べ立てるような趣味はないので、フィギュア(しかも対の一方)やアートプレートにそれほどありがた味があるわけでもない。仮に『黄金体験 BOX』を手に入れられたところで、そのこと自体に満足してしまう気がする。

結局、わたしは「限定版」の持つレアリティに目が眩んでいるだけなのだと思う。数あるゲームソフトのなかからこの作品を選んだこと、そして手に入れた後に思う存分楽しみたいと願うことはわたしの「欲求」であるが、それに付随する希少性のあるアイテムを所有したいというのは他の誰かから与えられた「欲望」である。きっと、真に自分の内から湧き上がってきた感情ではないからどこか納得がいかず、苦しいのだ。

なんとなく、人間、欲求と欲望をきちんと選別できるようにならないとシアワセにはなれないのかもしれないと感じた。


それにしても『JoJo's All Star Battle』、PV からの情報から推測する分には、まだまだ「究極のジョジョゲー」を冠するには物足りない印象である。ファンが嬉し泣きでウンザリしてしまうくらいの濃厚な物量に届いているとは思えない。発売前に失礼な物言いだけれど。続編で「誰がプレイアブルになるのか?」とかいって、ヤキモキ引っ張る計画なのかな。

とりあえず、プッチ神父までラスボスが揃っているのだから、大統領もヨロシクね。あのチート軍団をなんとかゲーム的にチューニングしようとする姿勢は買うからさ。







テレ朝で世界水泳、TBS で世界陸上と続いていて、なんだか楽しい。

イラチのわたしとしては、他の試合時間の長いスポーツに比べて、例えば「十数秒でチャンピオンが決まる」というテンポの早さが心地良いのである。

あとアスリートって男女問わず、良いカラダをしているものだし。筋肉のつき方とか動作の無駄のなさとか、より動物に近い美しさがある。



12:21  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.08.02 (Fri)

「世間」を恐れるニポンジン-NOTE



住民側の反対理由を読んでも、こじつけ感のほうが強い。とくに「世田谷のナンバープレートを付けているだけで住所を公表しているのと変わらない(のでプライバシー侵害)」というのは飛躍しすぎではないか。Web 上で「全世界に向けて」住所や電話番号を晒すのとは次元が違うし、家のなかを盗聴されるといった犯罪被害と比肩するほどの危険性があるとも思えない。

21世紀を迎えてからというもの、やたらと「プライバシーの侵害」だの「個人情報」だのと叫びたがる人たちが多い日本だが、そもそも公共サービスやさまざまな契約、あるいはポイントカードを作るだけのことでも「個人情報」の提示を求められるような社会のなかで、「透明人間」のように生きていくことは不可能である。さらにいえば、個人レベルでどれだけ警戒したとしても、情報を管理している側が悪意を持ってこれを運用してしまえば、もう防ぎようがないのだ。

そういった現実を前にして恐怖におののく気持ちもわからないではないが、しかし、ありもしないことを恐れてジタバタすることに社会的価値があるとはいえない。プライバシーを懸念する人たちは、どうも自分に関心がありすぎるように感じる。

まあ、さすがに世田谷区側も「説明を続けていく」と折れそうにもないので、反対住民のゴネ得になる確率は低そうだが、似たようなことはいくらでも起こり得る。




人間社会において、事は「正しいから成される」のではない。「欲求が強く、声の大きいもの」の願いこそが叶うのだ。わたしたちの世界はそういった闘争の場なのである。



02:08  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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