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2013.06.29 (Sat)

ワイドサイズ画面 の見る夢-Free Novel Games

映画鑑賞の話をしよう。

わたしは映画館で映画を観るとき、かならず前列中央の席を取ることにしている。昨今のシネコンでいうところの「C」か「D」辺りの列といえばイメージできるだろうか。

この位置では、まさに視界全体が一面スクリーンとなり、とても迫力がある。まあ、この前列付近が適切な鑑賞位置として想定されているのか疑問だし、実際、小さめのシアターの場合、スクリーンとの距離があまりにも近すぎて軽く後悔することもあるが、わたしは映画館に(音響も含めた)ある種の「非日常」を求めているので、あえてこのような鑑賞方法を選択するのである。

一方で後列に座る人たちも当然いる。一般的な映画館には傾斜がついていて、後列になるほどより高い位置に座ることになる。ずいぶんと後列に座る機会がない(高いトコ怖いし)ため、ほとんど記憶にないのだが、スクリーンとの距離や目線の位置などから推測するに、後列から観る映画は、ちょうど「大画面テレビ」で観るそれと似たようなものなのではないだろうか(つぎ映画館に行ったとき、こっそりと確認してみよう)。

聞くところによると、スクリーンのあの大画面は、新しい娯楽媒体として驚異となりつつあったテレビに対抗したものだそうだが、いつのまにか映画館でもテレビ感覚で映画を眺めることになるとは、世の儚みを感じる。



さて、Free Novel Game におけるワイドサイズ画面のことである。

いまはまだ「何度も言っていますが、ワイド画面ってノベルゲームには全く不向きだと私は思うんですが……」とレビュアーがボヤくような状況である。当然、こういった物言いに影響されてしまうプレイヤーもいるかもしれない(ページ下部) カラム長すぎなんだよなー (´・ω・`)

仮に「NaGISA の大先生サマ」らの言うとおり、ワイドサイズ画面というものが総合的にはマイナス点のほうが目立つのだとしても、それを理由にワイドサイズ画面に「不適格」のレッテル貼りをして「まったりと」排除しようとするのはいかがなものなのだろうか。

これが例えば「ノベゲにワイドサイズ画面が適する・適さない」で裁定するのではなく、視点を変えて「ワイドサイズ画面上で、どのようにノベゲを表現するか」と考えれば、この先いくらでもアイディアが湧きあがってきそうなものではないか。なぜ製作者の持つ想像力を信用して見守ることすら放棄するのだろうか。

(とはいえ、直後に「あえてワイドを選択するなら、ワイドならではの演出が一カ所でもあれば良かったのではないかなという気がします」このようにフォローされてはいるのだが。ワイドサイズに「ノベゲ」としての必然性を見出すことができるなら許容するのだろう)

「Free Novel Game の発展」などと理想を説きながら、実際はこうやって発展を阻害する。偽善とまでは言わないが、いまいち理解できない。


別にわたしは、彼らの「最良の『ノベゲ』を追求する」という「レビュアー」としての姿勢を否定するつもりはない。それは好きにやっていれば良いが、ただ、「古い価値」と「新しい価値」、ふたつとも認めてしまえば二倍楽しいのに、と考えているだけなのである。

ワイドサイズ画面を「いままで親しんだ画面サイズ」と同線上に置くのではなく、まったく別物の体験(の入口)として捉え直し、楽しめば良い。それが個人的な好みにそぐわないものだったとしても、こういった未来志向なメッセージを発信することだけでも意味があるのではないかとわたしのようなものは考えるのだが、どうだろうか。


あと、「Material」って、まだリニューアル前だよね? どうなっとうとかねー?



02:46  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.06.28 (Fri)

「成熟」 とは 「息苦しくなる」 こと-NOTE

例えば、『ドキ!キュア』で使われているモチーフから「キュアエース」という名称を予測することはそれほど難しいことではない。しかし、なんの情報もなく、仮面ライダー新シリーズのモチーフとタイトルを当てるのは、もう超能力の領域である。

……あと半月くらいかなあ。







いままでわたしは、「NaGISA net」のレビューについて、いろいろとさんざんに書いてきたわけだが、ふと立ち止まって考えてみることにした。

例えば想像してみると、独立したエントリで、作品の Screen Shot まで載せた上で、肝心の本文が数行というのでは、さすがに成立しないだろう。そうなると、ある程度の文章量を稼げるような作品を選択しなければならなくなるだろうし、またそれによってレビューの内容が定型的になっていくこともある。もちろん、敵を作りたくなければ、製作者やプレイヤーにもそれなりの配慮をしなければならなくなる。

と、つまりはこういうことなのである。「NaGISA net」のレビュー形態は「NaGISA の大先生サマ」に文才がある・ないということとは別の、ある種の必然であるかのようにも感じる。


それと、「NaGISA net」の一覧性の高さと使い勝手の良さは特筆すべきことである。ここらへんの卒のなさは「大先生サマ」の性格的なものなのだろうか。

それにくらべて例えば、道玄斎さんの「久住女中本舗」は一覧性にかなりの難がある。直近のいくつかのレビューはフォローされているが、じゃあ一年前にどういった作品を取り上げていたのか、いままでにどれくらいの作品を取り上げたのか、ということはほぼわからないのだ。(エントリ下部・右カラムなどからタグ「レビュー」を呼び出すと、「エントリを上げた日付」と「タイトル」が一覧になって表示されていた。「NaGISA net」と見た目ほぼおなじ。タグの付いたエントリの総数もわかる。勘違い。ごめんなさい)もっとも、これは Blog という媒体のほうの問題でもあるのだが。

「NaGISA net」の高い利便性は、レビュー単体のそれというよりも、むしろ Website 全体としてその価値を高めているのではないか。彼のレビュー単体には読み手を知的に刺激するような要素はなにもないが、Free Novel Game の「良作カタログ」としては充分すぎるほどに機能しているのだ。

そしてその姿勢はきっと正しい。いつ読み返してもおなじような印象しか得られない一方で、作品についてなんとなく理解できたような気分にはなれる。彼の文章は、その「なんとなくの気分」を植え付けるのが上手いのだ。(そう、「大先生サマ」はノベゲ作品を独自の理論でいろいろとカテゴライズしてはいるのだが、それが作品本来の雰囲気を伝えられているわけではない。作品に流れる「空気」を捕まえることができるレビュアーはそういない)


とかなんとか、上から目線で書いてはいるが、だからといってわたしの「感想文」が優れているなどとはまったく思っていない。これはわたしの性格かもしれないが、過去の文章を読んでも特に感慨もないし、むしろ「文体がキモい」と悲しくなったりもする。

いちおう、カテゴリを呼び出せば、感想の本文を読まなくても作品の Website に行けるようにと気を遣っているのだが、これってきちんと機能しているのだろうか。

あと、わたしの「感想文」は、ある作品では数行、ある作品ではムダに長い、という正直な熱量で吐き出すのがおもしろいのだと思っている。というか、そこくらいしかおもしろいところがない。

褒められると嬉しいけれどねー。そもそも、知識の蓄積もなく作品を裁定することが「正しい」のか疑問になってきた。



脱法ハーブ、握手会、風営法、放射能、ダサいダンス、ダウンロード…… (´・ω・`)



03:23  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.06.28 (Fri)

Current Topics: 140-NOTE

20130627



『pokémon』の、シリーズ第一作目からのポケモンすべてを最新作でも使用できる、というポリシーはすごい。

例えば『真・女神転生』にもシリーズおなじみの悪魔がたくさんいるのだが、それでも作品によって出たりでなかったりということはある。シリーズの持つ「大きなルール」を何作も続けて継承することは、なかなかできることではない。

(とはいっても、わたしは過去作からポケモンを連れてきたことがないので、実際にはどういった感じになっているのか、いまいち判然としていないのだが)

それにしても、ポケモンも 3DS になっていよいよ立体化である。それに伴う新しい遊びも追加されたそうである。が、いまいち乗り気になれないというか。「え? こんなもの?」というか。

ちょっと前に『FF VIII』の Ending Movie を見返したことがあったのだが、登場人物みんなの服装がシンプル過ぎて驚いた。当時の技術力を考えればしかたのないことなのだが、緻密な画作りに慣れてしまった現在の目で見ると、どうにもチープでしかたなかった。

そして、これは立体ポケモンにもいえることなのである。ディテールのシンプルさはチープさにつながる。二次元的なデザインを立体にするのは難しいのだなあ。まあ、ただの「慣れ」の問題なのかもしれないが。



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2013.06.22 (Sat)

ランスが可愛いとか 「荼毘い」ってどうなのとか-NOTE

YO! Check it, Like it !!


『ドキ!キュア』が DANZEN にツマラナイでござる。

まこピーと仲良くなってから、そしてレジーナが登場してから、どんどんと作品世界がトーンダウンしてきて、いまはもう別のアニメのような印象になってしまった。追加プリキュアは薔薇薔薇しているよ、と言われても「ふーん、あっそ」という感じ。

こうなると、どうでも良いことが気になってくる。実際に画を確認すればわかるのだけれど、『ドキ!キュア』のキャラクタの顔を見ると、鼻(にあたる部分)が「へっこみ」というか「影」のような線でくるっと描かれている。

これはアニメに限らず、マンガなどでも使われている記号(?)である。当然、わたしもこれを素直に「鼻」として受け入れているわけなのだけれど、しかし、考えてみるとこれって「三次元」のどのあたりを表現として落とし込んだ結果なのか、いまいち謎なのである。

あれが「影」なのだとすれば、たぶん「小鼻」あたりのものかなあ、と思える。がしかし、どちらかといえば顔の中心線上、口の近くに位置しているようなので、それなら「鼻のあたま」を描いたような気もする。でも、そうするとあの若干「縦長」のフォルムが腑に落ちない。本来、鼻は顔から出っ張っているのにもかかわらず、あれはやっぱり「へっこみ」っぽいのだ。謎なのだ。

さらに、Ending Theme にノッて踊っている 3DCG のプリキュアたちも、おなじ「鼻」をしているのである。さすがに真横を向くとフツーに高さが出る「鼻」なのだが。たぶん違和感を与えないようにと、あえてそうした(そのわりにはビミョーに雰囲気が違う)のだと思うが、立体になっても「あの鼻」とは、ますます謎である。

まあ、どうでも良い wanna。

(ちょうど『金田一少年』がこんな「鼻」だったような気がしたので調べてみたら、ちょっと勘違いで残念だった「金田一少年 - Google 画像検索」のだが、この「影で鼻の輪郭を表す」手法をより記号的な方向に進めた結果が『ドキ!キュア』の鼻なのだろうとは思えたので、良しとする)







ある対象とのあいだに一定の距離を保とうと努めるとき、いつのまにか対象に対する興味をも損なうことがある。例えそれが、対象との良好な関係を願ってのことだとしてもである。

なにかに追われるかのように新作 Free Novel Game を DL し続けるサイクルに疑問を感じ、一時的に新作公開の場から遠ざかってみようと決めてから数ヶ月、確かに心理的な重荷はなくなり快適ではあるが、同時に Free Novel Game に対するさまざまな欲求もまた減じてしまったかのように思える。

かといって、「NaGISA の大先生サマ」や道玄斎さんのところでまたポツポツと上がりだしたレビューを眺めても、なにかココロ打たれるわけでもなし。

まあ、湿度のせいにでもしておくのがいちばんである。「予告」もしているのだし。







あと、もうひとつ引っかかっているのは、「(みなぎる)」「叡智(の光)」「勇気(の刃)」ときて、なんで自分だけ「ひだまり(ぽかぽか)」なん? という。

「(四葉の)Clover」というのは、プリキュアシリーズでは良く使われているモチーフだから、あえて変えてきたのだろうとは想像がつくけれど、なんか浮いてるよ、という。

まあ、「キュアエース(仮)」だか「キュアローゼス(仮)」だか「キュアキュエェーン(仮)」だかがバランスを取ってくれるのでしょう。(幼児雑誌ではもう解禁しているのかな? ないか)



03:09  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.06.11 (Tue)

小林よしのりは 憤死 しましたか?-NOTE

『真・女神転生 Strange Journey』、周回プレイにも気が配られていて、とても好ましい。とくにエンカウント戦闘を無効にできるのはかなり助かる。高レベルの仲魔さえ揃えられればボス戦だけでも充分なのだ。基本、瞬殺だし。


この「真・女神転生」というシリーズでは、「LAW」と「CHAOS」の霊的勢力、つまり「神」と「悪魔」の闘争という、キリスト教的世界観に基づいた戦いが物語の背景にあることが多い。どちらの勢力もニンゲンの味方であるわけではなく、それぞれの論理に従って、この星の新たな支配者として君臨しようと画策しているのだ。

そして、その戦いのはざまで翻弄されるニンゲンは、「秩序」と「混沌」というどちらかの価値観に共感し与するか、あるいはニンゲンの立場(中間スタンスである「NATURAL」)を貫くかを選択することになる。二十年前に、このような価値観の対立を描いたのは斬新だったのだろう。


『Strange Journey』でも天使と悪魔がお互いを否定し罵る場面が良くあるのだが、この光景を見て、ふと思い出したことがあった。3月に「NaGISA の大先生サマ」がわたしの発言について言及したことがあったが、そのとき

私は、彼の私に対する発言には、捏造とか思い込みが多く含まれてますよ、と、それだけはアピールしておきます。それはアピールしておかないと、私が迷惑ですので。何せ、特に私の Blog はリアルの知り合い、小学生の子供達まで読んでますから。私のサイトをご利用くださる方は、どうぞ彼の Blog には関わらないようにお願い申し上げます(NaGISA net - 2013.03.10)

このようにわたしのことを「大嘘つき」呼ばわりしていたのだ。

さて、「悪魔」というものは言葉巧みにニンゲンをかどわかし道を外させようとするそうだが、この「大先生サマ」の警告は、まさに「悪魔のことばに耳を傾けるな」ということではないかと思えて、そのあまりにもベタなキリスト者的振る舞いに、なんだか愉快な気分になってしまった。もちろん、わたしは「CHAOS」の勢力を気取るつもりなどないが。

それにしても、こどもに悪影響があると言わんばかりの「大先生サマ」の物言いには、すこしばかり腹が立った。確かにわたしはこどもが苦手だが、そのことでネガキャンを張ったことはない。また、他人の悪口はともかく、明らかなウソや教育上よろしくない下ネタなどは書いたこともないのに。むしろ、自分にとって都合の悪いことには口を噤む「大先生サマ」のようなニンゲンこそが卑怯者ではないのか。

とか書き続けていれば、そのうちまた「大先生サマ」にリーチするのではないかと考えている。



01:27  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.06.07 (Fri)

この気持ちを なんと 呼ぼう-NOTE

そもそも、一般ぴーぽーの趣味の、それもフリゲのようなニッチなジャンルには、挫折と断念が山のように堆積しているわけなので「またもや更新が止まっています。4月で忙しいのが一段落ついたかと思いきや、またあれこれ用事が増えてきまして(略)もうしばらくお待ちください。一応、目星をつけている作品はありますので、5月中に 1本はレビューを追加したいと思っています」(2013.05.24)このような口約束を破られたからといって、真剣に怒る人はいないだろう。

それにしても、この楽器の練習量や音楽イベントへのちからの入れようを見るに、「NaGISA の大先生サマ」にとってノベゲ関連のもろもろは「趣味の優先順位」としてみてもだいぶ下のほうになってしまったのだな、と実感する。

もしかしたら、Blog のエントリを上げることによって「文章を書く習慣」もまた守られているのかもしれないが、「レビューにさらに輪をかけた、面白味もなにもない近況報告だよなあ」というのが正直なところである。


インターネットが身近になり始めた頃、Web 世界というものは(ある種の人間にとって)現実世界と比肩するか、それ以上の居場所になるのだろうと期待されていた。「現実世界は上辺ばかりだけれど、顔の見えない Web 世界だからこそ、ほんとうに本音の関係性が築けるのよ」とか「現実世界では凡人でも、Web 世界では Super Star になれるのよ」とか無邪気に信じていたわけだ。

それから十数年、Web 世界は SNS 流行りでみごとに現実世界と地続きとなった。Web 世界が「特別な別世界」などではないことが証明されてしまったのだ。

まあ、というか、フリゲ制作者たちの入れ替わりの激しさを見ていれば、Web 世界が現実世界ほどに「強い」場ではないことくらい想像に難くなかったのだが。


フリゲとは泡沫のようなものである。わたしたちは、その儚さを愛するしかない。










例えば、直近のエントリを見るだけでも、道玄斎さんという人は、マニア的な知識の蓄積とそれを考察する学者的なあたまの使い方には秀でていても、クリエイティヴな方面に関してはほぼ可能性のないことが、なんとなく感じられるというものである。

単純に言えば、彼の文章には他人を惹きつけるような輝きがない。この輝きとは、それが何気ない文章であればあるほど、如実に顕れるものだ。

とはいえ、そういったクセもなく切れ味もない、皆に優しい文章だからこそ、多くの人に支持される(御本人は「草の根運動」とおっしゃっているが)のかもしれない。ファッション誌の映画紹介にだって、ちゃんとお金が払われているわけだしさ。



02:09  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.06.06 (Thu)

自由遊泳-Free Novel Games

ほんとうは『真・女神転生 IV』が良いけれど、3DS 本体も同時に購入しなければならないというコスト面の問題から、しかたないので終盤で止まっていた DS の『Strange Journey』を再開することにした。

この「真・女神転生」というシリーズは、戦闘中の会話で悪魔を説得して「仲魔」にしたり、手持ちの悪魔同士を「合体」させて、より強い悪魔にしたりを繰り返しながら物語を進めていく RPG である。

攻略本などを見ると、ダンジョン内のザコやボスが持つ属性との相性や攻撃パターンから導き出される自パーティの「最適解」というものは確かにあるのだが、しかし、実際のところ、いま現在の手持ち悪魔やその所持スキルをどうにかヤリクリして強敵と戦うのが楽しいのだ。テキトーに合体させた悪魔が大して役に立たなかったり、ヘタをすれば相性的に不利だったとしても、その苦労がまた良い思い出になったりする。

「メガテン」が愛される理由のひとつは、こういったパーティ編成の自由度の高さと、そこから生まれる「一回性の体験」にあるのではないだろうか。似たような感覚のものに「ポケモン」シリーズがあるが、あちらには合体要素がないので、自由度ではちょっと劣る(そのかわり、一個体に対する愛着はポケモンのほうが強い)。


この「自由度の高さ」と「一回性の体験」は、ノベゲや ADV にも応用できる、とわたしは考えている。誰が読んでもおなじ展開という「読み物」としての価値感が持つ呪縛から、わたしたちは自由になれるはずなのだ。

ただ、もともとは「一回性の体験」に挑戦していたはずの「サウンドノベル」はいつのまにか「複数の Ending を回収する遊び」へとシフトしてしまった。そしてフリゲも当然、その様式に回収されてしまっている。挑戦的なものより、王道的な作品のほうが好まれる風潮もある。

まあ、考えるだけならタダなので、気長にやっていこう。



03:09  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.06.06 (Thu)

映画館でかかっているものが「映画」であるとは限らない 13.06.01-NOTE

TDR 内にある映画館「CINEMA IKSPIARI」はディズニー配給の映画を相当長めに上映しているので、フツーの映画館ですでに公開終了している場合の、最後の拠り所となります。

まあ、ちょっと遠いとか、TDL の目の前まで行って映画観るのかとか、カップルや家族連れが多いとか、半屋内だから場所によってはムダに暑いとか、いろいろ思うところはありますが、たまに行くには良い感じですね。




仮面ライダー X スーパー戦隊 X 宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦 Z

……あのサイコロンってヤツ、ちょっと前の「ドラえもんの映画」で見たような気がwww

「もう米村はアンパンマンだけ書いていれば良いよ」とか思ったり。いや、米村さんも好き勝手に脚本を書いているわけではなく、周りから与えられた「素材」を使って上手い具合に「美味しい料理」にしてくださいね、とお願いされているだけなのかもしれませんが。

内容的には、またまた「いつものヤツ」でした。いやホント、「大戦」を冠する劇場版作品は、過去数年のシリーズに関する知識がなければ、どれが新しくてどれが古いのか、ほとんど見分けがつかないのではないでしょうか。

とはいえ、そもそもシリーズ化された「こども向け特撮ドラマ」というのは、いままで培ってきたパターンの繰り返しをある意味での様式美として捉え、それを是としている側面があります。わたしもそれを重々承知していますし、またそれを愛し、楽しんでもいるので、相変わらずの「いつものヤツ」だ、と批判することがかならずしも的を射ているわけではないと理解してはいます。

ただ、このパターンの繰り返しをただのマンネリに留めておかないのは、シリーズごとに「良く練られた設定群」という下地と、4クールをかけて描かれる物語という「大きな流れ」があるからだとも考えています。一話一話の積み重ねによって作品が完成することを理解していれば、繰り返されるパターンもさして苦ではなくなるのです。

そう考えると、シリーズの設定から解放される「VS」シリーズや、単品のみで完結しなければならない「大戦」シリーズは、脚本の出来がよっぽど良くない限り、おもしろいものにはならないのだろうなあ、という気がしてきました。いや、別に「アカデミー賞クラスに研ぎ澄まされた脚本でなければダメだ」とムチャな高望みをしているわけではなく、もうすこしフツーにまともなシナリオにならないものかなあ、と。

例えば、森田涼花さんが二役あるのだから「共演」させてみようというアイディアはわかるのですが、出来上がりがコレかよ、と。蒸着できない状況に陥ってからのピンチの連続で、それでもやっと変身できるんだという普遍的なカタルシスとして見てもイマイチだし。

おそらく今冬、なにかしらの劇場版で「キカイダー」が登場するはずですが、もうすでに、クロスオーヴァー的にたくさんのヒーローを並べるという「画のインパクト」で観客を騙くらかす手法も通用しない時期だと思うので、いまさら小粒に見えてしまうとしても、出演するヒーローを絞ったほうが良いかもしれませんね。オリジナルキャストを招いて、声だけでもいいから長く出演してもらうとかね。

もっと地に足をつけてほしいです。いや、「Sorcerer」は楽しみにしていますがwww




シュガー・ラッシュ / WRECK-IT RALPH <日本語吹替>

あらためて公開日を調べてみたら「27 March」だったという。それでもまだ日に 4回も上映しているという。さすが日本での本拠地。

いやー、泣いた泣いたwww これぞ「厳選した素材のすべてをひとつも無駄にせずに作られた料理」という気分。特段、複雑なことや奇抜なことをしているわけでもないのに大満足。こういうことですよ。

主人公のラルフはもう超安定感の「山ちゃん」としか思えませんでしたwww が、ヴァネロペは可愛かったですね。これは同時上映の『紙ひこうき』でも感じましたが、「PIXAR の血」は入っていても、主要女性キャラはやっぱり「ディズニーヒロイン顔」なのです(まあ、なんたって彼女は実は「……」ですから)。その大きな瞳と豊かな表情がとてもイキイキとしていて魅力的なオンナノコでした。CG アニメの特性を遺憾なく発揮した感じですね。

ただ中盤あたりに、危機を脱するためとはいえ「魔法のハンマーがあるからダイジョーブ!」というノリで、フェリックスがカルボーン軍曹に自分を何度もドツくようにお願いして、それが「あるもの」の笑いを誘うというシーンがあって、ディズニーにしてはけっこうブラックなジョークだなあ、と思ったり。

あと、この作品ではキャラクタの「レトロ感」を強調するために、フレームレートを極端に落としたようなカクカクとした動きをさせる演出があるのですが、それとはまったく別に、ヴァネロペたち「最新鋭ゲーム」のキャラが「クレイアニメ」のような質感に見える箇所がいくつかあって、そこだけ「作り物っぽい画」になっていたのがちょっとだけ気になりました。これはわたしだけかもしれませんが。

しかし、公開直前の宣伝特番を観てビックリした(ことを忘れていた)のですが、ヴァネロペ役の「諸星すみれ」さんって、13歳の「リアル JC」だったのですねwww 確かに『アイカツ!』を観ていても、この人の声は「大人の女性声優さんが技術で発するこども声」とはちょっと違う響きだよなあ、と感じていたのですが、まさかほんものの「思春期ボイス」だったとわ。その容姿と相まって、すごく納得しちゃいましたwww けっこう好きな声質なのですが、成長とともに聴けなくなってしまうのだろうなあ。

それにしても『Sugar Rush』は「マリオカート風の日本製ゲーム」という設定らしいのですが、あの雰囲気を持つゲームって、日本ではちょっとお目にかかれないですよね。

……冒頭の 30th Anniversary のパーティに SKRILLEX っぽい DJ がいたのはコレかwww




「Disney Store」での PIXAR 系商品の品揃えの薄さに泣いた (´・ω・`)

ワゾウスキのポーチがあればクリティカルだったのに。

デザイン的に、まんまるで使い勝手が悪そうだけれど。




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