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2013.05.31 (Fri)

超必のムダ撃ち-NOTE

バイクに乗ろうとして、間違って超必殺技を吐いちゃうよ (´・ω・`)


アクセルとボタンがおなじだからややこしいよ (´・ω・`)


気持ちばかり先走ることは多いよ (´・ω・`)







とかなんとか言っていたら、矢口んトコは離婚だそうで。

どちらかといえば、結婚生活はすでに破綻していたのだろうけれど、それならやっぱり不倫報道はなんのプラスにもならない分、余計な騒ぎだったというわけで。

まあ、その夫婦の実際のところは当人同士にしかわからないので、周りがとやかく言うことでもないわな。とりあえず、本人が表に出てくるまではね。

と思ったけれど、なんかどちらもダンマリで手打ちにしたとかしないとか。でも、世間が関心を失うまで身を隠していたら、座るべき席がなくなってしまうような気がするのだけれど。バッシング覚悟できちんと説明したほうが良くない?


でもまあ、そもそも、この惑いの時代、バツがついてなんぼ、という気もしている。恋愛と結婚の違いを身をもって思い知るというか。それで嫌になる人もいるし、つぎにようやくまともな結婚生活を送れる人もいるし、端から向かない人もいるし、それぞれ。









直接的な著書名は伏せているけれど、どの作品かは容易に推測できる。

というか、わたしも持っている。いや、つい最近読み返したwww

なんか、まともな社会性を身につけたんかいなー、誰かの入れ知恵かいなー、という印象。

まあ、あの書かれようを考えると、まあね。



01:27  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.29 (Wed)

「どうせ 『劣化無双』 でしょ」 とか 思いつつも-NOTE

『KAMEN RIDER BATTRIDE WAR: Premium TV Sound Edition』のこと。


発売日には間に合わなかったものの、言っても「8月末までの期間限定」なら「初回限定版」よりはハードルが低いだろうと、わりと意気揚々と最寄りの BIC CAMERA に。

……通常版ともども、見事に品切れ状態でしたー。

店員さんに確認したところ、今後の入荷はまったくの未定なので、予約(だっけ?)も受け付けていないとのこと。

(おなじ日に発売された)『真・女神転生 IV』はバッチリ平積み状態なのにさー、とか PV 観ながら思ったよ(こっちもほしいなー)。


しかし、発売日前の予約という最も確実な手段をとっていなかったのが悪いとはいえ、これはもしかしたら通常版を買うしかないのかも、と若干の焦りを抱えつつも、近場の YAMADA に。

……はい、フツーに二種類ともありましたーwww

まあ、レジに持っていったら、店員さんが奥で探すのに手間取っていたので、これはもしかして、品切れを把握していないだけの「NUKA-YOROKOBI」か!? とか気が気ではなかったけれど、裏にちゃんと残っていたそうで、無問題。

しかも BIC CAMERA よりも 600 Yen 近く安かったよwww

正直、きょう訪れた店舗の規模と品揃えで比べれば、明らかに BIC CAMERA のほうが勝っているけれど、しかし、ことゲームソフトにおいては、YAMADA は期待を裏切らないなーと。


……3DS LL も欲しいぜよ。







不具合発見。

「フィニッシュ攻撃」を習得していないライダー(またはフォーム)で、フィニッシュ攻撃の「コマンド入力で出た攻撃」を当ててボスを倒す(=フィニッシュ攻撃でボスを倒そうとする)と、デモから復帰後にボタン入力を受け付けない状態になってしまう。(同時押し以外の)攻撃が一切できなくなるため、ほぼ進行不可。(メニュの呼び出しは可能)

「クロニクル」序盤、低レベルの「ウィザード」各スタイルで試してみようwww



01:33  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.23 (Thu)

長辺 ÷ 1.78 の商に近似する 整数-Free Novel Games

これが「ワイドサイズ画面の短辺」になる数である。

例えば長辺が「1280 pixel」であるとき、導かれる商は「719.1011236...」となるから、短辺を「720 pixel」とすればワイド画面になる、というわけである。

この倍率さえ覚えておけば「長辺 800 pixel のワイド画面」といった誰得な作品を作ることもできるので、ちょっとしたオリジナリティを気取りたい方にはぴったりなのではないだろうか。

いま現在、「Free Novel Game 愛好家」の使っているモニタの解像度がどれくらいのものかはわからないが、長辺「1,000 pixel」を超えるものが一般的であるはずなので、ちょっと変則的な画面サイズにあえて挑戦してみるのも面白いかもしれない。

ちなみに、「640x480」「800x600」の画面サイズは、どちらも「長辺=短辺の 1.333倍」となっている。数字で比べてみると、けっこうな差があるように感じる。

……わざわざ液晶テレビの画面を測ったりしてしまったwww




エコーさんからのコメント:#379 from Entry 840


エコーさん、こんばんは。今年に入ってからはなかなかお忙しいようですが、そんななかでもコメントをいただけてありがたいです。



一画面上に表示される文字数、は難しい問題ですね。最近では商業でもアマチュアでも極力少なくしている傾向にある気がします。そのもっぱらの理由は akino さんはじめ、多くの人が指摘しているように「読みやすさ」にあるのでしょう。確かに一画面上に多くのセンテンスが表示されると圧倒感を受けます

まあ、実際のところ、画面サイズが「640x480」「800x600」くらいで収まるノベゲの場合、「小さいフォントで十数行、改行もなくビッチリ」といった狂気じみた表示方法を取らない限り、テキスト自体にはそれほど苦痛になる要素はないと思っていますが。

もし圧迫感が生まれるとすれば、それはやはり「画面内の情報量」が大きく関係してくるのではないでしょうか。特にテキストと背景画像とが重なって表示されがちな「テキスト全画面表示」形式の場合は、制作者が注意深く画面を構築しないと、テキストと画像のどちらが主であるのかが判然としないようになってしまい、結果、読み手に無駄なストレスを与えることになるでしょう。

まあ、例えば『ラメドラマティック』の、あの荒涼とした画面のなかでなら、どれほどテキストを表示したとしても圧迫感を覚えることはない、ということです。逆にあれで、わざと「数行しか表示しない」という画面構成になっていたとしたら、「どうかしている」と感じるかもしれませんがwww



「進行」に時間がかかる。この「進行」時間の加重は、ゲームというジャンルにおいては大きなデメリットとなります。

この「進行」がなにを指しているのか、ちょっとわからないのですが、もしかしたら、テキストを「テロテロテロ」と表示しているときの「待ち時間」のことなのでしょうか?

そう考えると、確かにセンテンスが増えれば、それを表示するための時間も増えるため、それをデメリットと呼ぶことも可能になりますが。テキスト表示速度が遅いうえに変更不可だったら、読み手もイライラしますし。



でもわたし個人としては、できるだけ一画面上に多くの文字が出てくる方が好みなのですよね。理由としては、次に進むためのクリックが少なくてすむ(常に「一気に表示」に設定しているので)ことと、文脈が掴みやすいことの二点です。

ちょっと話が逸れますが、エコーさんは早読みなのですね。というか、読書量が多い人は早読みの傾向がある気がします。「NaGISA の大先生サマ」も道玄斎さんも早読みのイメージがある。

ゲームとしてではなく読み物として、の意識が強いのかも」というタイトルからも、そんなことを考えました。



特にゲームの会話シーンなどではセンテンスがやたら短かったりするので、その都度クリック連打するのが非常にかったるい。一画面表示ならワンクリックですむところが、五回、六回押さなければならないとか、ちょっとした拷問です。

ノベゲにおけるクリック回数はユーザビリティにもつながる重要な問題だと以前から考えていたので、そこを拾ってくださったのは嬉しいです。とおりすが Z さんからは「当たり前すぎて考えたこともない」と無下に一刀両断され、苦々しい思いをしたものでしたwww

ただ(早読みの方には申し訳ないのですが)ノベゲにおける「文章送り」は紙の書籍で「ページを捲る」動作よりかは、むしろ映像作品における「カット割り」や漫才での「掛け合い」に近いものであるといえます。作品内の進行や流れやテンポを文章送りで「生み出す」ことができるのです。

例えば、会話シーンでそれぞれのセリフを文章送りで表示させることは、まさに「会話」を擬似的に再現しているともいえます。あるいは、文章送りをはさむことによって、直前の「フリ」に対する「オチ」や、「ちゃぶ台返しの急展開」を演出することもできる。これは、小説的な文章表示に寄せる「一気に表示」では適わない機能であるといえます。

だから、単純にクリック回数を削れば良い、というわけでもないのですよね。さじ加減の難しいところです。


とりあえず、左クリックや Enter の押下だけでなく、マウスのホイールダウンでも文章送りができるよう、ツールを問わず機能を統一してほしいところではありますね。これは個人的な感覚かもしれませんが、「押す」という動作と「ひっかけて引く」という動作では、後者のほうがだんぜん負担が軽いですから。あと、利き手以外での操作も容易です。

とはいっても、例えば「NScripter」でホイールダウンでの文章送りを実装するためには、ちょっと面倒なカスタマイズをしなければならないので初心者には難しい、というハードルがあったりするので、現実的にはなかなか厳しそうなのですが。



また、一画面で多量に表示されると、前の文章と後ろの文章とにおける意識内での切れ目が少なくなり、一連の流れとしてスンナリ入ってくる。これが細切れ状態だと、どうしてもクリック(要するに小説での改ページですよね)で寸断されてしまいます。

「文章送りによって流れが生まれる」と書いた手前、あまり賛同することができなくなってしまいましたがwww 全画面表示のほうが「文脈が掴みやすい」ことは確かですね。

例えば、テキスト表示が数行の「小出し型」だと、会話でも地の文でも「あれ? 直前になんて書いてあったっけ?」とウッカリ忘れしてしまったとき、すこし困ります。まあ、そうなっても既読部分を呼び出して確認すれば良いだけのことなのですが、そのちょっとした作業がストレスになることもある。

これがテキスト全画面表示で、情報がひとつのページで完結するように収まっていれば、ウッカリ忘れが起こっても、そのまま表示されている直前のテキストを確認すれば良いだけなので、非常にユーザーフレンドリであるといえます。一長一短って感じですね。



書き手=制作者としても、物語がひとつの縒った糸であれば、前段を受ける後段を適度に遠ざけてみたいと思うのが自然に思えるのですけれど、ゲームでは困難なことなのかもしれません。

えーと……ダメだ、わからんwww

「前段を受ける後段を適度に遠ざけ」る(?)ことが「ゲームでは困難な」理由がwww

すみません。



ネット小説が読むに耐えられないのは、純粋に(略)レベルです。もうホントに信じられないくらいに。一方でノベルゲームは、まだスクリプトを組んだり演出を加えたりと作り手にある程度の素養が必要なので、水準はその分上だと思います。

あー、なるほど。

誰でも書きこめる掲示板や Blog のコメントに、たまに日本語として理解不能な怪文章が混じっているのと似たような感じですかねwww



もっとも、平均点ではノベルゲームに軍配が上がりますけれど、ハイスコアは明らかにネット小説の方が上にあるでしょう。以前、いくつかまともなネット小説を摘んだことがありますが、結構感心した記憶があります。

これ、なかなか面白い指摘ですね。それこそ Web 小説は純粋に「読み物」として勝負しようとしているからなのでしょうね。



期待する作者さんがいなくなった上に時間までなくなって、最近ではパソコン上で制作物を見る機会も極端に減ってきました。まあそのうち余裕もできてくると思うのですけれど、それまでに凡百ではない骨のある送り手が現れてくれていればと願うところです。

なにか、「NaGISA の大先生サマ」や道玄斎さんのレビューが停滞気味なことと、どこかでリンクしているようで、不思議な気分になります。

わたしも、新作を DL したい気持ちもありますが、そのためには PC を新調しないとなので……。

ほんと、派手な広告や貼っつけてある動画ですぐに重くなりやがるのは「XP さん」のせいか「火狐」のせいか。ニュースすらも読めやしないwww



03:22  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.05.20 (Mon)

気に入らないことのためには 一秒も 使いたくない-Free Novel Games

以前から気になっていることがある。Free Novel Game の所要時間のことである。


例えばテレビドラマ。日本の標準的なゴールデン帯のテレビドラマは、一話につきスポットも合わせて 54分である。二時間ドラマだと、そこに一時間が足される。最近はここぞというタイミングで微妙に伸びたりもするが、基本的には統一されている。

あるいは映画。秘密主義に徹底している作品であっても、上映時間を伏せているものはない。上映スケジュールを見れば一目瞭然であるし、ソフト化される際にもパッケージにきちんと記されているだろう。

それに書籍。どんなに長大な内容であってもそれらはページ一枚一枚の集積であるから、本の厚みから推測すれば、いま自分がどれだけ読み進められているか容易に判断できる。

と、ここまでいろいろと例を挙げてまで、いったいなにを言いたいのかといえば、要は「ノベゲって全体の尺を把握しにくくてイライラしない?」ということである。



だいたい、作品の公式ページやレビューに載っている所要時間ってわりと信頼性に欠ける部分がある。テキスト量から計算したのか、実際にプレイしてみての数字なのかはわからないが、あたまの良い人は文章を読むのも早いので、わたしのようなものにとっては、あまりあてにならないものなのである。

さらに、所要時間もなく「短編」「長編」などの大まかな尺の長さだけ示されているものは、もう勘に頼るしかなくなる。一言で「短編」としても、一時間以内で終わるものもあれば、二時間近くかかるものもある。まあ、作品の容量から尺の長さを推測することはできるが、それもぜったいではない。

そもそも、「長編」といえば「10時間を超えるもの」が常識だと信じているものにとっての「短編」とは、どこまでの長さまでを指すのだろう? という疑問がある。明確な基準はない。

(ちなみに、わたしは「10時間を超える長編ノベゲ」など「気が狂っている」としか思えない。「Super Hero Time」で換算すると 10週分にもなるなんて、恐ろしすぎる)


こうなると、「Free Novel Game」でも、紙の書籍のように全体像を把握できるような仕組みを取り入れべきではないかな、と思えてくる。

例えば、目次のようなものを目に止まる場所に掲げておくとか。もちろん、「第一章が 30分」で「第二章は 2時間」といったような、ムチャクチャな時間配分をされるとどうしようもなくなるけれど。

あと、物語のクライマックスを終えて、クレジットまで流した後に、しかしエピローグがけっこう長いとか、ツライよね。



02:21  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.18 (Sat)

今年初の gkbr が出た (´・ω・`)-NOTE

母の甥(わたしのいとこ。母の妹の子で最近まで学生だったらしい)が、去年の末に入籍して、今年の春にこどもまで生まれていたことを、ほとんどの親戚に昨日の昨日まで隠していたことが発覚し、叔母たち、つまり母や母のお姉さんがマジギレしているらしい。せっかくの祝事をずっと黙っていたことが気に喰わないのだそうだ。


その話題から派生して。

わたしはいままで、母という人は、大阪のオバチャンのよう、とまでは言わなくても、わりと誰とでも仲良くなれる、それこそ「Open Heart」な人物だと思っていた。

しかし、どうやら「自分のテリトリ」にまで他人が踏み入ってくることは、どうあってもガマンならないのだそうだ。それが知らないオンナ(例えば「嫁」とか)であれば当然であるし、あるいは自分がお腹を痛めて産んだ実子であっても似たようなものだと言っていたwww

すこし前に、母が(わたしの)おとうとくんの彼女さんにどこか冷たい、と書いたが、意図的にそういう態度で接していたことがこれで証明された。特に嬉しくもないwww

やっぱり、わたしの家族は、どいつもこいつも自分本位なのであった。



02:28  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.17 (Fri)

夏よ ようこそ 早よ帰れ-Free Novel Games

あいかわらず「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」のまとめ Blog を読んでいる。

で、エピソードに寄せられたコメントを見ていてふと思ったことなのだけれど、オカルト好きの人たちって、わりと Pure だよなあ、と。

こういう怖い話には「因果応報もの」や「強い思いを遺した人間からの影響」「人外の存在が無慈悲な暴威を振るう」という内容のものが多い。たぶん、これらの話は、毎度毎度のなにかしらに、実はそこまで明確な理由があるわけでもない、この不条理で理不尽な現実をやり過ごすために必要なファンタジィなのだろう。

バカバカと人が死んだり狂ったりという物語を欲するものは、純粋に善を希求しているのだ。創作か実話かもわからないのに、登場人物の「クズ」への呪詛や、「被害者」の冥福を祈るコメントで溢れていたりするのだもの。

ただ、もちろんこの世のなかは広く、わたしの知らない世界がいくらでもあるのだろうが、それにしても、なんかわからん異質な法則によって動いているモノがある、というのは、納得いくかいかないかといえば、納得いかない。「宇宙も死んでいく」と知って、ああ、ちっぽけなムシケラから宇宙まで、ひとつの法則のもとに存在しているのだな、とストンと安心できるような印象はない。




まあ、そんなことはどうでも良いのだが。

そのまとめ Blog、当然ブラウザで読むことになる。背景がホワイトでフォントも小さめなので、良く目が滑る。ボンヤリとあたまに入ってくる感じである。

そこで、以前エコーさんと「ブラウザで読む Web 小説よりノベゲのほうが文章が入ってくる」みたいなやりとりをしたことを思い出した。(いや、エコーさんが「良くわからないが最後まで読めた」と言っていたのかな)

理由はいろいろとあるのだろうけれど、単純にフォントが大きかったり、ひと画面に表示できる文字数に限りがあったり、ページをめくる手間があったり、背景画像が切り替わるなどの変化があったりすることが上手く作用しているのだろう。

個人的には、ノベゲにしても、長々と文章を表示するのはあまりよろしくないと感じている。テキスト全画面表示形式にしても、ひとページはパッと見たとき意味が通じるくらいの文章量に収めてくれると助かる。たまに、そこらへんのことにまったく配慮していない、ただ書いたままのシナリオを貼っつけているだけの、ダラダラ表示の作品とかに当たると萎える。決定的に不快というわけでもないところがまた困る。


ちなみにこの Blog でも、余白を多めに取るなどして読みやすくしようとココロがけている。フォント小さめでゴメンネ。



02:41  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.05.15 (Wed)

無敵論法-NOTE

これさー、「命がけで国家を守った英霊に感謝の意を表するのは当然」とおなじく、「愛国の兵士を慰撫してなにが悪い」という「善意」から出た理屈ってことだよねー?




この「(軍の規律を守るために)必要なんやからしゃあないやん」という現実に立脚した合理主義的態度を前にしては、理想主義はどこまでも無力なのだろうと思う。この発言に対する批判の多くが「女性の人権を無視している!」などのクリティカルに相手を切り崩せないような程度のものに留まっているのがその証左だ。原発論争でもそうだが、理想が純化すればするほど(例:原発即時全廃)どこか滑稽になり、最後はかならず現実に押しつぶされる。不毛すぎて悲しい。

もっとも、学者からも政治家からも、あるいは軍部のなかからでさえも「ぜったいに負ける。アホか」という反対の声が上がっていたにもかかわらず、それでもニポンが戦争に突っ走っていった愚の、その原動力はなにかといえば、それもまたこの「しゃあないやん精神」なのだろうけれど。

結局、「(その他よりも)正しく見える」からといって、それでみんながシアワセになるわけではない、ということかな。そもそも、わたしは「必要なんやからしゃあないやん」という理屈が「誰が利益を得て誰が割を食うのか」という肝心の部分をウヤムヤにしてしまうようで、好きではないのだ。


それにしても、この発言に関する Tweet をまとめた Togetter のコメントで、「慰安婦制度は、戦地における強姦行為を防止する役目を担っている」などと、「ポルノが性犯罪を抑制している」とおなじような理屈を並べている人がそれなりにいて笑けた。

そんなわけねーだろ。「要は、ヌイてしまえばおとなしくなるんでしょ?」だなんて、発想として単純すぎるのではないか。

わたしは、人間を強姦に駆り立てるのは「性欲」などではなく、ただ相手を「同類視」しないという「判断」だと考えている。もっとカンタンにいえば「相手を人間だと思っていない」から「強姦できる」。

これは、ペットを家族同然に捉える心理との表裏である。お犬さまやニャンさまを自分(人間)と同等の存在として扱い、その死によってほんとうに傷つき、精神的に立ち直れなくなる人がいる一方で、おなじ人間をそれこそ虫かなにかとおなじくらいの存在としかみなさない人間もいるのだ。

しかもこれは「人格破綻者の異常な認識」というよりは、むしろ「嫌悪感」に近い。例えば「なになにをするヤツは人間的に欠落している」とか「どこどこ国人はニポン人より劣っている」とか、あるいはすぐに相手を「アスペ」や「糖質」などとレッテル張りをするような態度とおなじだ。これくらいのことは Web 世界を探せばいくらでも目にすることができる。

もちろん、これらの文言を書き込む人がどこまで本気なのかはわからない。いや、ほとんどの場合は、ちょっとしたストレスのはけ口くらいのものなのだろう。しかし、この「嫌悪感」というものは、それほどカンタンに人間のココロに宿るのだ。特別なことではない。

さらに言えば、そもそも戦場という環境に置かれること自体が、すでに強姦を誘発する一因になっているとも思える。戦中のニポンで、さんざん敵を「鬼畜米英」と煽っていたことからもわかるように、相手を「同類」だと思っていては、とてもではないが撃ち殺すことなどできない。相手を同類視しないことを強制されるような空気に晒され続ければ、かならず強姦という「判断」を下す人間も出てくるだろう。

というわけで、わたしは慰安婦制度を整えようがなにをしようが、かならず戦地での強姦は起こると確信する。もっともらしい理屈をこねて他人を馬鹿扱いしている連中はどうにかなってしまえば良い。







あと、アベね。

あのロコツな国民栄誉賞といい、国内のバカウヨにアッピールするだけのためにわざわざ近隣諸国にケンカを売るパフォーマンスといい、イヤになっちゃうね。

まあ、自民党が結党以来ずっと抱える、アメリカという「父親」の引いたレールから自由になりたいという切実さは、心情的にわからなくはない。

ただ、それにしたって、なぜ現憲法を「より稚拙なもの」に書き換えようとするのか、まったく理解できない。こうなると、途端に自民党が「父親」に対する劣等感をこじらせただけのバカ息子にしか見えなくなってきて幻滅させられるのだ。自主憲法にさえすればニポンがまともなものに生まれ変わるだなんて、もうただのオカルトでしょ?

だいたい、国民の mind をわざわざ規定しようという「余計なお世話」がいただけない。例えばこれが、戦後もゆうに半世紀を越え、社会がやっと成熟してきたから、憲法をより「放任主義」的な方向に更新するというのならいざしらず、小学校の道徳の時間に垂れ流すようなことを憲法に書き入れようとしているなんて。アホか。

憲法改定を支持しているウヨも、自分たちが馬鹿にされているっていいかげん気づきなよwww



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2013.05.14 (Tue)

オカルト好きって 夢見がちな 側面もあるよね-NOTE

道玄斎さんトコの最新レビューで「2ch 系ホラー」に関する作品を取り上げていて、そのなかで言及されている有名なエピソードというのが気になったので検索をしてみたら、




「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」を中心にまとめた Blog を発見。で、なんかハマってしまったwww ひさしぶりに読んだけれど、やっぱり面白いわーwww


正直(ちょうど今日もやっていたけれど)テレビでの超常的な分野のネタを扱った番組は、さすがにもう素直な目では観れない。いちおう「リアルでの出来事」という触れ込みになってはいるけれど、「スーパー戦隊」や「仮面ライダー」といったコドモ向けの特撮ドラマよりもずっとウサン臭いからwww

でも、「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」は、そのエピソードが実体験だろうが創作だろうが、とにかく「死ぬ程洒落にならない怖い話」だったらなんでも良し、というスタンスだから、余計な穿った視点を持つ必要がないのが良い。

例えば、「エンタテインメント的」な流れやオチがなかったとしても、むしろそれが「リアル」っぽく見えたり、実話の顔をしているくせに「ちょっと作りっぽくない?」という箇所が目についたとしても、「まあ、創作がいけないわけではないし」と納得できたりする。あるいは、胸の悪くなるような展開も、フィクションだと思えばやり過ごせる。


ただ、エピソードの内容によっては Blog のコメント欄が正義感や差別意識の吹き溜まりのようになっていて、その光景がなんとも気持ち悪いwww

あの「世を憂いているからこそ、辛辣な正論をあえて書く」みたいなポーズがいちばん怖い。きっとみなさん、抑圧されてストレスが溜まっているのだろうな。「世界の暗黒面」に惹かれている人は、知らずのうちに攻撃的になってしまってダメだ。「呪い体質」というか。まあ、どうでも良いけれど。


それにしても、道玄斎さんの、いちいちノベゲと古典のなんたらとを結びつけるアレは、どうなのだろうか。まあ、古典は彼の専門分野(らしい)なので、特に意識もせず書いているのだろうとは思うけれど、そこだけ「ふわっ」とするよね。古典に詳しくない人間からするとね。



03:06  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.14 (Tue)

いろんな 人が いますね-NOTE

sugaZlog



とおりすが Z さんのこと。

有尾さんが以前、「相手にこちらの真意を理解してもらおうと一生懸命に説明したけれど、結局叶わなかった。悲しい」とおっしゃっていましたが、ちょうどそんな気分でした。

コメントをいただけること自体はウザくもなんともなかったのですが、態度がちょっとアレだったかもしれません。


コミュニケイションは「キャッチボール」に喩えられます。

わたしもそのつもりでコメント欄を開いているわけですが、これが実は「ドッヂボール」で、しかもコート内、両陣地にひとりずつ残ったもの同士が、延々とボールを避け続けるのが正しくカッコイイのだ! とか言われて、思わず「はあ?」となったような感じとでも言いましょうか。

まあ、とおりすが Z さんは幾度か「いつもはこうではないですよ。聞く耳持ちますよ」と弁解されていましたが、「いや、だったらその『いつもの感じ』でお願いしますよ」というのが正直なところでした。たぶん「そこはブレないので無理です」と返されそうですが。


なんか、実は周りにあまり話を聞いてもらえていなかったなかで、まったく知り合いでもないわたしが「私論」に興味を持って質問してきたという状況が嬉しかったのかなあ、という邪推をしてしまいたくもなるというか。

「議論は自己確認の手段であり、そこに『同調』の余地はない」という理屈が(百歩譲って)正しいのだとしても、それに固執することで相互理解の道が閉ざされてくのなら意味ないな、と「わたしは」感じたわけで。というか「わたしに興味があったのか」のかも怪しくなってくる。

コメントの内容から察するに、わたしより年上(でなければ、何歳で PC ゲームに手を出しているのだ、ということになるし)で、それこそ「NaGISA の大先生サマ」と同年代くらいのはずなので、あたまが固まってしまっているのかもしれません。「ブレない理想」裏を返せば「柔軟性に欠ける」。

つぎがあるのなら、お互いのために会話の内容は選んだほうが良いかもしれませんね。



それにしても、すごい環境でアクセスしてくださっていたのだなあ。何年前の PC なのだろう。

Windows 2000 でも、スペックさえシッカリしていれば、現在の Web 世界でも問題ないということなのでしょうか。ちょっとうらやましい。



01:34  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.10 (Fri)

クサクサ してても しかたない-Free Novel Games

コミュニケイションに用いられる文章には、特に書き手の性格が表れる、とわたしは思う。


さて、とおりすが Z さんがお薦めしてくださった『あふさきるさ』について「これほどに手の込んだ演出、それこそテキスト全画面表示と相性が悪いような気がするのですが」と書いたところ、

そう感じたなら、多分そのままの印象で終えると思います。と返された。

……まあ、これは「揺るぎない、ブレのない理想」からくるものなのだと思うことにしよう。「議論に同調を求めるな」とも言われたし。


ただ、このままではアレなので、わたしの「気がする」を「そのままの印象で終える」ために、すこし考えてみることにする。




とおりすが Z さんが「この作品ってキャプ絵からでは中身が全く伝わってないので損してるんですけど」と書かれるように、SS 一枚では良くわからないので、連続画像として載せてみる。

以下は作品冒頭、最初のページ送りまでを追った SS である。



ak1

ak2

ak3

ak4



すこしは雰囲気が伝わっただろうか。

このシーン、文章を送るたびに背景がアニメイションして「描き足されていく」のだ。その他にも中央に立つ主人公の髪や服が風になびいたり、雲が明滅したり、右下のゲージ(?)がペカペカしたりと、シックな見た目ながら、実物は非常に動的な印象を受けるものになっている。

まあ、現代的な「アニメ」と比べればいささか原始的な技法ではあるが、記号的に簡略化されたデザインはセンスがあるし、「背景演出のインパクト」に感動するのも理解できる。


ただ、SS を見てもらえばわかると思うが、画面内の情報量が増えると、少々ゴッチャリとした印象になってしまうように感じた。これが「テキスト全画面表示と相性が悪いような気がする」と書いた理由である。

一枚目ならまだ「テキスト」と「背景」のバランスが取れてはいるが、これが四枚目ともなると、主張の強い背景のうえにあるテキストがそのなかに溶け込んでしまっているため、どちらに注目すれば良いのか判然としなくなってしまう。

わたしは、文字情報である「テキスト」と言えども「背景などの画像とともに描画される」以上、ひとつのヴィジュアルのなかで調和していなければならない、と考える。テキストが画像の邪魔をしてはいけないが、しかしテキストが画像に埋没してもいけないという、矛盾した条件のなかでどうやってバランスを取るかが重要なのだ。

そしてこの作品の場合、「テキスト全画面表示」形式といっても文章量はそこまで多くないのだから、「表示領域制限」形式にしてしまっても問題ないはずである。それに「テキスト」と「背景」とで分割されていれば、どちらに注目するのかを「読み手に委ねる」ことができる。似たような構成でも、どんどんと流れていってしまう「洋画(の字幕)」よりかはよっぽど優しい設計だと思うのだが、どうだろうか。

さらに言えば、「640x480 pixel」という画面サイズも若干「狭く」感じてしまう。まあ、描画領域が広くなるなればなるだけ、当然、制作者さんの作業量も跳ね上がるのだろうから、現実的に考えてそこはしかたがないと思うが。


この『あきさふるさ』の動的演出を見て、わたしは往年の名作ノベゲである『Collage』を思い出した。あの作品の画作りはどちらかといえば「雰囲気」を演出していたように思うが、アニメイションの多用という面では、非常に近しいものがある。

まあ、個人的には、アニメイションではないものの、「影絵劇」な演出が光った『イケドラクサ』のほうが好きだな、やっぱり。



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2013.05.08 (Wed)

母の影響を モロに受けていると 考えたくない 日々-NOTE

完全な身贔屓といえばそれまでだが、ウチのおとうとくんは、なかなかのイケメンであると思う。

まあ、別に「DQN」や「リア充」や「ゆとり」と評しても良いのだが、とにかくおとうとくんはそういう人で、フツーに彼女さんがいるわけだ。

わたし自身はきちんとお会いしたことはないが、声を聞く限り悪い子ではないように思う。ちゃんと挨拶できているし。いや、挨拶は大事だよ。


だがしかし、ウチの母はなぜか、その彼女さんにものすっごく冷たいのである。これも声を聞けばわかることだが、明らかに敵意めいたものを感じるのだ。

封建的なド田舎で育った母は、どうにも古臭い価値観や倫理の持ち主なので、もしかしたら「自分の家に」知らないオンナが居着いているのが気に喰わないのかもしれない。または見た目がちょっとチャラいのかもしれない。

わたしとしてみれば、彼女さんにだって、親戚や知人の娘さんに対するものとおなじように、オープンかつ親身になって接すれば良いのにとも思うのだが、なにかが違うのだろう。

まあ、とにかくそういう母の不機嫌な空気を感じ取っているからなのか、おとうとくんと彼女さんは基本コソコソしている。母にしてみれば、それがまた腹立たしいのかもしれない。不毛である。


ハッキリ言って、彼女さんがいるときの実家は、いつもの数倍ギスギスしていて非常に居心地が悪い。それならおとうとくんも、さっさと家を出て同棲でもなんでも好きなようにすればよっぽど気楽だろうに、と考えるわけだが、たぶんそれなりにメリットがあるのだろう。わたしには良くわからないが。

というか彼は、いまだに朝、他人に頼んで起こしてもらっているようなところがある。わたしからすればこれは「責任転嫁」のようなもので、そういう人間は確かに、独り暮らしもしたがらないのだろうとも感じる。


なんだか、ウチの家族は全員、身勝手で自意識過剰な性格なのかもしれないと感じた。



02:00  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.06 (Mon)

「甥なら仮面ライダー 姪ならプリキュア 死角はない!」-NOTE

去る 4月 29日、いわゆる GW の前半最終日に、家族で福島にいる母の知人に会いに行った。

片道 3時間ほど、日帰りで。各々のスケジュールや渋滞状況などを考慮したために、けっこうな弾丸っぷりだった。

すでに数年の時間を経たとは言え、当然、あの震災に関するはなしなどを見聞きして、確かにこの地は「フクシマ」なのだと実感した。いや、バッチリと建てた持ち家とかあっての天災だと泣くに泣けないわ。


それにしても、こどもの成長の早さというものは、すでにオトナになってしまった人間のタイムスケールからすると、なにかとてつもないサイクルで、なんだか恐ろしくなってしまった。いまより数年前にはまだおチビちゃんだった子が、いまから数年後にはもうオトナの学生になっているのだから。自分がスゴイ年寄りになったようでヘコむ。

その一方で、こどもも良いものかもなあ、という気分にもなった。いや、ハッキリ言って、あのテンションとタフネスの持ち主どもと四六時中いっしょにいて、精神的にマトモでいられる気はしない。ウチのおとうとくんは、身内には冷たいくせに、こどもと動物にはスゴイ優しくて、どちらからもメッチャ好かれまくっているのだけれど、わたしには無理だ。空気になってしまっていた。

ただ、自分を中心に「人の繋がり」が広がっていくのは面白いかもしれない、と思った。自分が子育てをして、それでハイ終わりではなく、息子や娘がまた人の親になって、その孫がまた成長してといった、枝葉のように家族が広がっていくさまを「プレイヤー」として悪戦苦闘しながらも体感するのは、まったくなにも波風立たない、自分本位だけの人生よりかは楽しいのだろう。

まあ、そのためにはこのご時勢、「慎重さ」など微塵もない、ウッカリと「さずかり婚」してしまうようなこどもに育てないといけないわけだけれどもwww

とりあえず、甥か姪に期待したほうが現実的かな。わたしの負担も軽いし。他力本願www



あと、リアル JC は、確かにちょっとガキっぽいかもしれないわwww



01:32  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.04 (Sat)

手元 Reset-Free Novel Games

とおりすが Z さんの「私論」。



#364

一言で表すなら「メディアミックスの体現」ですね。テキストを主体とした画像と音の演出による融合を目指してます

画面に映し出された映像と小説に書かれた情報が脳裏で再生され相乗効果を生み面白さが 2倍にも 3倍にもなって作品に引き込まれました



#369

私から見て「ノベル」でありながら「映像」を優先する人たちは過去に存在した「デジタルコミック」や「やるドラ」などのアニメ演出を重視した ADV の復活を望んでノベルゲームに居着いてるだけじゃないのという疑念があります。もしそうであるならば、「ノベルゲーム」ではなくて「ビジュアルゲーム」とジャンル名を区別してもいい頃合じゃないかなと最近の作品を見ていると感じます

その他に、テキスト下表示の構造に引っ張られるように年々テキスト量が減っていることが面白さに繋がっているのか疑問を持っています。ノベルゲームの画像演出は簡易的なものです。ある意味テキストはそれを補うことになってるわけですが、画面で演出するからそれを削っても問題なしって言えるほどのレベルには到底なれないと思うのです。簡易表現なのですから

今のノベルゲームはこの「2001年宇宙の旅」のようにテキストで表現した方が効果があることまで画像で表現して作品をつまらなくしてるケースもあるんじゃないかと感じることがあります



#370

改めて言いますけど、画像演出を主体とした現在主流の下テキスト表示の作品も好きなのですよ

私は初期の頃から散々やりまくっているので、現在までの進歩の仕方を目の当たりにしてます。特に強烈に残っているのが初期作品に対する演出否定の批判です。この演出否定はフルボイス化が本格的になるまで続いて、ある意味ノベルゲームの方向性を歪めたと私は感じています。この辺りにも「読み物」と称する人と差別化をするために「メディアミックス」と称する動機があります

私の説明が上手くなくて否定的な部分を強く感じているかもしれませんけど、「映像」と「ノベル」のどっちを取るか選択を迫られたとき、どちらかと言えば「ノベル」を取るというだけです。こうやって考えをぶつけているから私論として際立ちますけど、普段はほとんど気にしてません。でなければ、現在主流の構成も好きだとは言いませんし。私にとっては、意識したとき譲れない部分ではあっても、他人に押し付ける気まではないといったところでしょうか

あとはそうですねー、詳細な語り口が合わない人も当然いますけれど、これはもう好みの問題なので範疇外として批判は当たり前と割り切ります



#373

私の言う「メディアミックス」は正確に伝わらないでしょうけど、何となく違うと思えれば良いのです。そこが大事

PC ノベルゲームの中での話なので、違います。96年にビジュアルノベルが生まれ、2003年からフルボイス化が本格的になります。この間の作品はテキスト下表示とテキスト全画面を好む人でゴチャゴチャ言い合っていることも多く、テキスト全画面を好む人にとって下テキスト表示は邪魔だったのでしょう。無差別に演出を拒絶して「読み物だー、読み物だー」と言ってました。

それで、フルボイスがいよいよ本格的に根付きはじめた2003年からは製作コストの問題もあるのでしょう。それまであった演出が一斉に消え去り、表情変化のみの演出にレベルが低下します。(同時にテキスト全画面はキャラ表情が隠れるのを嫌われ自然と下表示が主流となってきます)

変わりに技術進歩したのは使いまわしの効くシステム関連です。ここから「読み物」と叫んでた人に都合の良い機能が盛られていきます。なので、自然と演出批判も小さくなりました。で、いよいよシステム部分もやり尽くしちゃったから仕方なしに手付かずの演出に近年ようやく手を出しはじめたという流れです


文士目線では、下テキスト画面表示というのは1画面に表示できる文字数の制約を受けた窮屈な仕様です。その縛りの中で負担を強いられている文士に想いが及ばす、演出の手を抜いているというのが共同製作されている作品をプレイした場合に「文士は小間使いじゃないぞ。負担押し付けるならキッチリ演出しろや」と思うときがあるのです



#374

復権というよりも「非主流もっと頑張れ!」ですね。押し付けは碌なことがないってのを実感してるので「望むなら自分で作るべし」なのです

オーソドックスで十分ですし「読み物」って声高に叫んでいたことで過剰に高機能化していったんだと思いますそして商業作品の場合では見た目の豪華さで誤魔化すことで労力減らせるので都合の良い言い訳としてそれに乗っかったのだと思います。

フリゲの場合は理由が違っていて、そのシステムは必ずしも作品を製作してる当人たちが作っていることばかりでありません。高機能のシステムに羨望を抱いてネットに落ちているサンプルを拝借して製作してるケースも多いです。元の自力が低いので立ち絵動かしてアニメしたいけど出来ないというのが真相だと思います。

短いネタでも良いので実際に試して動かせば見た目と違ってどれだけ大変か理解できると思います。(慣れればどうってことないですけど、コツが分かるまでが辛過ぎて慣れようとする行動力ある人が少ないのでしょう)


前々回だかに書いたと思うのですが、そう言われてしまうと「映像ならアニメ・ドラマ・映画などの方がより表現が豊かになるでしょう?」で終りなのです。好き嫌いはもう好みの問題で私にはどうにも出来ないので、「残念だけどアナタとはご縁が無かったですね。好きな作品に出会えると良いですね」としかいえる言葉がないです。何をどうしたって不満をいう人は必ずいます。それを割り切れる胆力を持つことも作品をつくるのであれば非常に重要になります

そして、ご想像の通り「製作の見通しの甘さ」ですね。コミュ不足というよりも実現できるほどのスキルを元々備えている人員が居ないのです。製作当初は能力以上のことを手が届く範囲のことと錯覚して無理してやってるので息切れするのだと思います。

あと、製作内での文士と絵師のパワーバランスですね。akino さんがそうであるように、テキストよりも絵が重視されがちなのです。

下テキスト表示という構成から想像できると思いますが、発言権は文士よりも絵師の方が高いです。で、作品はシナリオがなければ成り立たない訳ですけど、極端なことを言うと絵は無くても作れます。けど、絵が欲しくて参加してもらっているので無下に出来ないわけです。そんな絵師は自分の絵を「素材」として位置付けられていることに少なからず不満をもってます。つつき過ぎるとヘソ曲げて音信不通になるのも居ます。製作半ばでそうなるのは困るわけで、ハズレ絵師を引いたときに残念な出来になるのです。こういった作品をプレイしたときに「これ面白いのに失速して残念だなー」って思うわけです




最新コメント:

#375




コメントを読み返してみると、確かに一貫性のある主張だし、これだけの情報量があれば「私論」の全体像を考察することもできるけれど、なんだかメンドくさくなってきた。

「テキスト表示の形式」がどうとか、「映像とテキスト」の対立関係とか、「商業 PC ノベゲがどう手を抜いてきたか」とか、「共同制作における各々のパワーバランス」とか、そんなことはさほど重要ではない、重箱の隅に思えてきたからである。

なにか、正対して「議論」しているようで、実はお互いまったく別々の方向を見ながらもくもくと Tweet している感じ。目的を見失いかけている。

そもそも、「私の中では完全に固まっている理想なのでブレるようなものじゃないのですよ」というのなら、つまり、これ以上の発展性を見込めないというのなら、別に情報交換を重ねる必要もなくなるのだ。「与ふ」にしろ「奪ふ」にしろ、「Give and take」が成り立たないのだから。

すでに「12回」もコメントをいただいているわけだから、すでにわたしの「知人」であることは明白なのだが、「信頼関係」けているのかはまた別のはなしなのであった。

とりあえず、「メディアミックス」と「テキスト表示形式の違い」における具体的な演出技法について考えてみたほうが建設的なのかなー。意外と抽象論的で、パッとイメージが湧くようなものでもないからなー。



というか「メディアミックス的演出」って、それこそ本家「サウンドノベル」シリーズでいくらでも試みられてるんじゃね? という気もしているの (´・ω・`)



18:22  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.05.03 (Fri)

保田の圭ちゃん 結婚おめでとう-Free Novel Games

エントリのタイトルでは、わりとカンケーないこと書いたり、ボケたり、ことば遊びをしたりしているけれど、読むほうからすれば、わかりやすいほうが良いのかなあとか、思った。だから?



とおりすが Z さんからのコメント:#374



復権というよりも「非主流もっと頑張れ!」ですね。押し付けは碌なことがないってのを実感してるので「望むなら自分で作るべし」なのです。

なるほどね。まあ、とおりすが Z さんの実践主義はすばらしいと思いますよ。




>うーん、やっぱり背景画像だけの「非主流」型だと、一般ぴーぽーにはなかなかフックしないのかなあ。

多分ですけど、立ち絵でアニメする考えは持っていても背景画像でアニメしようという考えが抜け落ちてるのだと思います。そういう作品、今はあまり見ないのでイメージすることが難しいんじゃないかと。


いやいや、「テキスト全画面表示で背景画像だけ」と「テキスト下部表示で背景の前にアニメっぽい立ち絵」を Screen Shot で見たときに、どちらをプレイヤーはより魅力的に感じるのか、というはなしなのですが。

ほんとうに見た目が地味というだけでプレイヤーにキックされることがあるというのなら、「非主流」型は不利なのだな、と感じただけですよ。




「あふさきるさ」やりました? この作品ってキャプ絵からでは中身が全く伝わってないので損してるんですけど。面倒ならようつべとニコ動でうpされているので本編開始 30秒程度みるだけで背景演出のインパクトを実感できると思います。

ほんとうにちょっとだけ立ち上げて、30秒くらい観てみました。確かにこれはスゴイですね。

でも、これほどに手の込んだ演出、それこそテキスト全画面表示と相性が悪いような気がするのですが。あと、ちょっとチャカチャカしていてテンポがアレかなとか。ほんとうにちょっとしか観ていないのでまだなんとも言えませんが。




>システム周りだけがやたら豪華な作品ってどうなの?

ですね。オーソドックスで十分ですし「読み物」って声高に叫んでいたことで過剰に高機能化していったんだと思います。そして商業作品の場合では見た目の豪華さで誤魔化すことで労力減らせるので都合の良い言い訳としてそれに乗っかったのだと思います。


いや、ユーザビリティや機能性の追求は、「商品」を送り出す側としては当然に行うものだと思いますけれど。そんなに悪いことなのかなあ。

しかし、こういった「陰謀論」を主張する根拠はどこらへんにあるのですか?

そもそも、「システム面の豪華さ」って、そこまで重要なのですか? 「絵師さんはこの人で~」「声優さんはこれだけ出て~」「ムービーとか、こんな感じですよ~」とか宣伝するほうがよっぽどフックするような気がするのですが。




フリゲの場合は理由が違っていて、そのシステムは必ずしも作品を製作してる当人たちが作っていることばかりでありません。高機能のシステムに羨望を抱いてネットに落ちているサンプルを拝借して製作してるケースも多いです。

確かにこれはありますね。「NScripter」の作品でも、システム画面の(デザインは自作していても)機能が、他とほぼいっしょというものが多いですから。

例えば、「総プレイ時間 10時間以上」「選択肢で複雑に分岐」という作品なら、多機能的なシステムでガッチリ固めることに意義はあるとは思います。そこにケチをつける気はありません。

けれど、「Free Novel Game」の、しかも数十分で終わるような短編で、ここまでの機能がいるのかな? という気分になることはありますね。わたしは、どちらかといえば「シンプル」と「機能美」を兼ね備えているほうが好きなので。




元の自力が低いので立ち絵動かしてアニメしたいけど出来ないというのが真相だと思います。短いネタでも良いので実際に試して動かせば見た目と違ってどれだけ大変か理解できると思います。

うーん、「システム」と「画像演出」の因果関係が、いまいち理解できないのですが。どことなくまた「陰謀論」の臭いがwww




>ノベゲにはノベゲの表現方法があるわけで、それがイヤなら Web 小説でも書いていれば? と言われてもしかたがないかもしれませんね。

前々回だかに書いたと思うのですが、そう言われてしまうと「映像ならアニメ・ドラマ・映画などの方がより表現が豊かになるでしょう?」で終りなのです。


いや、文字数制限を気にせずに伸び伸びと書きたいのなら、わざわざノベゲを選択する必要もないのでは? と思っただけです。厳密にいえば、テキスト全画面表示でも無制限に文章を垂れ流せるというわけではありませんし。

とおりすが Z さん、演出やテキスト表示形式などにこだわりはあっても、作品全体を通してのグランドデザインとかには興味ない人ですか。




下手につついたり反発すると「ひぐらしのなく頃に」を製作した 07th の現状のようなヒサンな状態になりかねないです。

あれ? 彼は落ち目になっているのですか?www




akino さんがそうであるように、テキストよりも絵が重視されがちなのです。

わたしは別にテキストを軽視しているわけではありません。テキストも画像も劇伴も、美しく響き合っていればそれで良いのですから。

ただ、「ノベルゲームだから~でなければならない」という強迫観念から、もうすこしだけでも自由になったら良いのでは、と願っているだけです。

文章表現の求道者にしてみれば「ノベルトハー」と叫んでいるのがキモチイイのでしょうが、そうではない側からすると息苦しいだけなのですよ。




あと、製作内での文士と絵師のパワーバランスですね。

下テキスト表示という構成から想像できると思いますが、発言権は文士よりも絵師の方が高いです。

で、作品はシナリオがなければ成り立たない訳ですけど、極端なことを言うと絵は無くても作れます。けど、絵が欲しくて参加してもらっているので無下に出来ないわけです。そんな絵師は自分の絵を「素材」として位置付けられていることに少なからず不満をもってます。

つつき過ぎるとヘソ曲げて音信不通になるのも居ます。製作半ばでそうなるのは困るわけで、ハズレ絵師を引いたときに残念な出来になるのです。


そういうツマラナイわだかまりや意見の食い違いなどを解消するためのコミュニケイションだと、わたしは思っていますけれど。なんか、ギスギスしているのが前提なのでしょうか?

お互いに尊敬もなく、ふわふわと制作していたら、そりゃあ上手くいかないのも当然でしょうね。




アドバイスではなくて、自ら「ちょっと惜しいからオレが直してやるわ」って負担を被るなら場合によっては相手も乗ってきます。そうやって手を貸したこともあります。燃え尽きてても本人が不本意に思っているのにかわりはないので非常に喜ばれますし、こっちはこっちでスキルアップの機会にもなるので刺激になります。

えー!? 以前から親交があるのならともかく、知らないプレイヤーからいきなり「ちょっと手直しさせろ」と言われて「うわーい!」と乗っかる制作者がいるのですか!?www

それこそ「大きなお世話」という気もしないでもないですが、世のなかは広いのだなあwww



03:16  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

2013.05.02 (Thu)

3日も含めて ぜんぶ休みに すれば良いのに-Free Novel Games

まあ、休みが分割されたことによって潤う場所もあるのだろうから、なんとも言えないけれど。



とおりすが Z さんからのコメント:#373



「主流」「非主流」はそのイメージで良いです。

わかりました。

どちらかといえば、とおりすが Z さんは「キャラクタ性」寄りになっているノベゲにおいて、クラシックな「非主流」型が復権してくれれば、と望んでおられるようですね。




>商業作品はともかく「Free novel Game」だと、どちらのタイプも良くありますね。

例えば、複数人参加型短編集である『エイト・ストーリーズ』は、さまざまなタイプが見事に混在していて、見ていて面白かったですけれどね。立ち絵が用意されているにもかかわらず、あえて全画面でシンプルに構成されているシナリオもありましたし。




これは共同製作をすると痛烈に感じることですけど、全画面テキスト表示を作っている人でも下テキスト表示に対する憧れはかなりのもので、「立ち絵さえ用意できるのであれば」下表示にしたいって人かなり居ますよ。

わたし自身、そんなものかなあと思っていましたけれど、実際、良くも悪くも地味めな印象だった「NaGISA の大先生サマ」の作品も、立ち絵を駆使した「主流」型のノベゲに移行していっていますから、まったくないとも言えないようですね。

うーん、やっぱり背景画像だけの「非主流」型だと、一般ぴーぽーにはなかなかフックしないのかなあ。でも、いくら立ち絵があるといっても、画のクオリティや統一性といった部分で、すべてがすべてプラスに働くとも思えないのですけれどねー。

あと、「Free Novel Game」の立ち絵って、ほんとうに「立っている」だけなので、なんかツマラナイのですよねー。あれをちょっと工夫するだけで、ぜんぜん印象が変わると思うのですが、制作者のみなさんは、あまりトリッキーなことを考えるのが楽しくないのかなあ? とか思ってしまいますね。




共同製作の場合、下テキスト表示で作ることは既定事項といって良いですからw

あー、そうなのですか。

でも、考えてみれば、絵心や音楽的才能のまるでない、シナリオが書きたいだけの制作者でも、各種素材を駆使すれば「非主流」型のノベゲは自力で作れるわけで、それにもかかわらず、わざわざ他人と共同制作するのだから、どうせならオリジナルの立ち絵や楽曲を用いたいと思うのかもしれませんね。で、結果的に「主流」型のノベゲになると。

でも、立ち絵が主要キャラか、あるいはオンナノコだけ、とかされるとスゴイ冷めますけどね。共同制作とかはカンケーありませんが。




PC ノベルゲームの中での話なので、違います。96年にビジュアルノベルが生まれ、2003年からフルボイス化が本格的になります。

あー、そうなのですか。

個人的な感覚でいえば、PS や SEGA SATURN といった家庭用据え置き機の時代からすでに(厳密なフルボイスというものはすくなかったのかもしれませんが)ボイスでの演出は存在していたので「90年代半ばから後半」くらいかな、と思っていたのですが、ちょっと違ったようですね。




この間の作品はテキスト下表示とテキスト全画面を好む人でゴチャゴチャ言い合っていることも多く、テキスト全画面を好む人にとって下テキスト表示は邪魔だったのでしょう。無差別に演出を拒絶して「読み物だー、読み物だー」と言ってました。

あー、そういった論争がすでにあったのですね。すでにそこは越えてきた道なのかあ。でもそれ、ちょっと感情論的で不毛っぽいですねwww




それで、フルボイスがいよいよ本格的に根付きはじめた 2003年からは製作コストの問題もあるのでしょう。それまであった演出が一斉に消え去り、表情変化のみの演出にレベルが低下します。

とおりすが Z さんは「フルボイス化」と「画面演出」とのあいだに因果関係があると考えておられるのですね。で、その影響が、商業作品のコピーに陥りやすい「Free Novel Game」に表れていると。ふーん、なるほど。




(同時にテキスト全画面はキャラ表情が隠れるのを嫌われ自然と下表示が主流となってきます)

「全画面かつ立ち絵がある」ノベゲが駆逐(?)されていったのは、需要と供給による淘汰ということですか? ふーん、なるほど。




変わりに技術進歩したのは使いまわしの効くシステム関連です。ここから「読み物」と叫んでた人に都合の良い機能が盛られていきます。なので、自然と演出批判も小さくなりました。

「都合の良い機能」……「既読スキップ」「オート読み進め」「クイックセーブ・ロード」「選択肢までの直ジャンプ」「フローチャートでのシーンジャンプ」とかですかね。最先端の作品に触れていないので、若干ふわふわしていますがwww

「Free Novel Game」では、わりかしオーソドックスなシステムのものが多いので、あまり気にされていないのかもしれません。というか、わたしは内容に釣り合っていない、システム周りだけがやたら豪華な作品ってどうなの? と考えていますので。まあ、ただの好みですけれど。




例えば、演出をガシガシとやりたい人は、意気込んではじめのうちは無闇に動かすんですよ。それが、話が進むにつれて息切れして表情変化だけになるっていうパターンとか、戦闘シーンでアニメさせる気だった部分が挫折したのか掛け声のやり合いで終わってるとか、ですね。

確認しておきたいのですが、これは商業や同人だけでのはなしでもなく、「Free Novel Game」でもありえることなのですよね? そうだとすると、ちょっと見切り発車で計画性に欠けるノベゲ制作だとは感じますね。

これは「Free Novel Game」を外部から眺めていて感じたことですが、個人制作にしても共同制作にしても、きちんとシナリオを完成させた上で、それを指標として他の要素をかたちにするべきなのではないでしょうか。

サークルとかでも、肝心のシナリオがいつまで経っても仕上がらずに、いつのまにか作品がエターなることも多いですから。そうカンタンにもいかないことも理解できますけれど、だいたいシナリオ担当が言いだしっぺなのだから、「もうすこしシッカリしなよ」と思うこともあります。




文士目線では、下テキスト画面表示というのは1画面に表示できる文字数の制約を受けた窮屈な仕様です。

確かに。

でも、見方によっては、長文がダラダラと表示される全画面表示よりも、テキスト表示領域に制限があるほうが見た目に美しいということにもなります。というか、わたしはセンスのない全画面表示は、ハッキリ言ってキライですwww

ノベゲにはノベゲの表現方法があるわけで、それがイヤなら Web 小説でも書いていれば? と言われてもしかたがないかもしれませんね。




その縛りの中で負担を強いられている文士に想いが及ばす、演出の手を抜いているというのが共同製作されている作品をプレイした場合に「文士は小間使いじゃないぞ。負担押し付けるならキッチリ演出しろや」と思うときがあるのです。

これは個人的な恨みからくる主張でしょうか?www

どっちが負担を強いられているかを気にするとか、そういう不満が出てくるのは、お互いにちょっとコミュニケイション不足のような気もしますよwww




こういった類の作品は製作に燃え尽きちゃってるので、だいたい放置されます。

まあ、そうですね。そもそも、フリーゲームというものは、無料であることと引き換えに「ゲームを起動した際に生じる損害」や「不具合の修正」などの責任を負わないという「契約」で成り立っているので、放置されても文句は言えないのですが。

でも、だからといってこちらからの働きかけがまったく無駄だとも思えないのですけれど。



02:00  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.05.01 (Wed)

とりま これま で-Free Novel Games

ガムベースさん、ありがとうございました。


ガムベースさんからのコメント:#371


そうですね。例えば「吉里吉里で STG を作る」なんて制作者さんもいるのだから、みんながその気になれば「ノベルゲーム」はもっと自由で豊かな、多くの可能性を秘めたものになっていくと予感していますね。

まあ、とはいえ今後も「Novel」+「Game」という語意の重力、というか「言霊」に多くの人が縛られていくのだろうな、とも思っています。「声の大きなレビュアー」の影響も、まだまだ強いですしwww ほんと難しいですね。「ノベルゲーム」というと、人によっては同人や商業の作品にまで広がっていってしまいますからね。


今後も、お互いに思うところがあったときには、また意見交換できれば幸いです。そのときはどうぞお気軽に。また、ガムベースさんの次回作がどのようなものになるのかはまだわかりませんが、楽しみにしています。

でも、こんなはなしをしたからといって、なんか妙にトリッキーな作品に仕上げてしまう、というのは、ウケが悪そうなので止めたほうが良いかもしれませんねwww







通りすがるさんからのコメント:#372

ありがとうございます。通りすがるさんのお役に立てて光栄です。



02:41  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.05.01 (Wed)

ノベル述べる Communication-Free Novel Games

テキストベースのコミュニケイションでは、すこししつこいくらいに説明しておいたほうが良いような気がしてきたよ。長いと読まれないらしいけれど。



とおりすが Z さんからのコメント:#370



改めて言いますけど、画像演出を主体とした現在主流の下テキスト表示の作品も好きなのですよ。

とおりすが Z さんのおっしゃる「主流」「非主流」をわたしなりに整理してみますと、「主流」ノベゲは画面が「テキスト表示領域」と「立ち絵やスチルなどの画像を用いた動的演出領域」とに分割されている「キャラクタの比重の多いもの」で、「非主流」ノベゲはテキスト表示領域が全画面で立ち絵などを用いないこともなるシンプルな構成のもの、といったようになるでしょうか。

商業作品はともかく「Free novel Game」だと、どちらのタイプも良くありますね。




なるほど。なら作品タイトルを挙げるのは参考にならないかもですね。

まあ、有名な作品ならちょっと調べれば雰囲気くらいは掴めるはずなので、すこし手間がかかるくらいですけれどね。




私は初期の頃から散々やりまくっているので、現在までの進歩の仕方を目の当たりにしてます。特に強烈に残っているのが初期作品に対する演出否定の批判です。この演出否定はフルボイス化が本格的になるまで続いて、ある意味ノベルゲームの方向性を歪めたと私は感じています。

とおりすが Z さんは、なかなか筋金入りなのですね。

しかし、「初期作品に対する演出否定」というものは、具体的にはどのようなものだったのでしょうか。ノベルゲームでフルボイスが本格化したのは、たぶん 90年代の半ば頃だと思うので、それより以前のことですよね? その当時の「ノベルゲーム」がどんなものだったのかも良く知らないので、どのように「方向性が歪められた」とお感じになったのかも教えていただけるとありがたいですね。




この辺りにも「読み物」と称する人と差別化をするために「メディアミックス」と称する動機があります。

なるほど。ずいぶん前から考えていたことだったのですね。いま、一般的に「メディアミックス」というと、ある作品がアニメやラノベやマンガやゲームなどの、複数のメディアで一斉に展開される、という意味になることからして、テキストと視覚・聴覚情報を組み合わせることを「メディアミックス」と称することが良くわからなかったのですが、こういうことだったのですね。なるほどなあ。

でも、そもそもノベルゲームがテキストベースの「読書体験」でなければならないとか、いちいち気にしている人っているのでしょうかねー。




>「商業の三軍」

ああ、なら良いです。

商品として作品を提供している同人は、さながら「商業の二軍」、そしてその同人の「体験版配布の場」になっているというフリゲギョーカイは「三軍」に過ぎないのか、と考えていたので。

いや、個人的には「Free Novel Game」が斜陽になっているという感覚すらないので、どうでも良いことだったのですが。




あえてボイスとテキストの併用で引っかかりを覚える点を挙げるなら、セリフを読むときに読点を無視して声優さんが独自解釈で喋るケースです。これには良い時もあれば、悪い時もあるので目立つんですよね。

それって、「メディアミックス」の難しさでもありますねwww




あと、作業感もホント意識したこと無いですね。ボタン押しについては、テキスト読んだら無意識に押しているし「そもそもそういうもの」と思ってます。

ああ、そうですか。まあ、それならそれで良いですが。

ただ、制作側としては「クリック回数=プレイヤーの負担」にまで気を配ることも必要かな、とも思うので、わたしはいろいろと考えてみますね。




私の説明が上手くなくて否定的な部分を強く感じているかもしれませんけど、「映像」と「ノベル」のどっちを取るか選択を迫られたとき、どちらかと言えば「ノベル」を取るというだけです。(略)私にとっては、意識したとき譲れない部分ではあっても、他人に押し付ける気まではないといったところでしょうか。

なるほど。そういうことでしたら、了解しました。




あと、完全に製作目線ですが、単純にテキストを削ることへの疑問は共同製作される作品や面倒臭がりな一人製作者に大きく絡んでます。文士が画像で演出と判断して書いたシーンが、絵師の都合で素材が用意できず実現しないケースがそれなりにあります。この部分は出来上がりが最悪です。テキストに修正を加えるか、何が何でも素材を用意させれば良いですけど、手習いでスルーしてる作品も多いです。そういう作品に出会った時は中途半端にするなら初めからテキスト主体で構成しとけと思ってしまいます。

これって、全体を俯瞰したとき、不自然にテキスト量が減っている部分があるということでしょうか? それは確かに目立つかもしれませんね。

まあ、「Free Novel Game」なら直接、制作者さんに該当箇所を指摘して、修正してもらうという手もありますけれどね。結果的に作品の完成度も Version も上がりますし、プレイヤー側から働きかけてみることも必要かもしれません。



01:51  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)
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