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2013.03.27 (Wed)

どうせ 馬鹿だと思われている だろうから ここはむしろ 「ガンガンいこうぜ!」-Hell in the mind.

NaGISA12




そういえば「NaGISA@原発は再稼働せよ」が以前、テレビは観ない・新聞も読まない・ラジオはかろうじて聴く「ウチのママン」が、アベ(だかアソウだか)の主張は筋が通っているといっていた、「だから」彼らは正しいのだ……といった趣旨のことを Twitter で吹聴していた。

もしかしたら「マスメディアの情報操作に冒されていないwww」人間の言説に打たれただけなのかもしれないが、それにしても、イイ年齢をしたオトナが実の母親を引き合いに出して自分の正当性を主張する、そのなんともいえない気色悪さを目にして、ああ、コイツは先日亡くなった「あの母親」にいつまでたってもベッタリだったという「鳩山さんちのマザコン兄弟」とおなじ心性なのだな、と思った。

もちろん、そんなことは まったくどうでも良い ことなのだが。



ついに「NaGISA の大先生サマ」が小説の紹介までしだした。まあ、本人のテンションとしては「推薦」を与えたいほどの内容だったのだろう。いまごろは信者のミナサンが書店か電子書籍かに群がっているのだと思う。景気の良いことである。これもアベノミクスのおかげだろうwww


それにしても笑ってしまうのは、「大先生サマ」のいう

「ノベルゲームのシナリオ製作技法」のような本もありますが、技法の問題はともかくとして、あんなものをいくら読んだところで、面白い物語を書けるようにはなりません。面白い物語を書くコツは、面白い物語を数多く読む事です。そして、美しい文章を書くコツは、美しい文章を数多く読む事です。一握りの天才は別として、人間は自分が知った、あるいは経験した以上の事は書けません。

この理屈を「大先生サマ」自らが否定している、この現実である。

「本の虫」であるお母様の影響から、当然「大先生サマ」自身の読書量も、わたしとは比較にならないほどであろうが、しかし、彼の書く物語は別段、他の作品と一線を画するわけでもなく、ノベゲの新たな地平を切り拓くほどの面白さを持っているとは思えない。これはきっと、書いている本人が「意外とあたまのなかはガキ臭く、しかしノリはどこか前世紀的」という干物みたいなパーソナリティだからだろう。思考からなにからが硬直している人間に、他人さまの感情を動かすような物語が書けるわけはない。

また、確かに「大先生サマ」の文章は「読みやすい」ものではあるのだが、それは彼がこれまでに行ってきた「(総数 1,000 近くの)ノベゲを読み、そのなかから取捨選択してレビューを書く」という、一連の「反復練習」によって培われた技術である。文章自体に特段の「美」が宿っているわけではない。いまだに(笑)とか(爆)とか語尾につけているし。(どういう意図で使っているのか知らないが、やっぱりダサくて美しくもないだろう、あれは)

このように、まったく自説を体現できていないのだ。おマヌケである。もっとも「大先生サマ」は「Semmy」の馬鹿のように、自分の作品を過剰に評価して悦に入るようなオナニーを披露しているわけではないので、まあ、害はないのだが。

(しかし、どちらの条件も、なんのヒネリもなく「数多く読む事」だというのなら、もっとまとめてスッキリ美しく書けたのではないか?www)


わたしは「読む」能力と「書く」能力は別物ではないかと考えている。いや、別に知識や文章表現の「型」の蓄積を軽視しているのではない。もちろんそれは、あればあるだけ良いのだろう。

しかし、例えば「100」の物語を読み込んだ人間より、「30」の物語を読んだだけの人間のほうが、より美しい物語を綴ることができる、ということだって「現実にはある」ということをいいたいだけだ。百科辞典のような知識の鬼になっても、書けないヤツは書けないのである。そこはきちんと自分の能力を見定めなければならない。闇雲に本を読むより、自らを省みてみたほうが、よほど収穫もある。


「個性が強いにも関わらず、嫌味がない主人公」「短編でも起承転結がはっきりして、ラストできちんと読者に『はっ』とさせる展開」

ノベゲ製作者のみなさんには、こんな「技法の押し付け」などに惑わされず、のびのびと執筆をしてほしいものである。いまどき、携帯電話すらも拒否するような頑迷なおいぼれには、どうせ未来志向など期待できはしないのだから、真面目にはなしを聞くだけ損というものだ。



02:42  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2013.03.20 (Wed)

Mere Impressions, Part 6-Free Game (Novel and Others)

フリゲ、一期一会。


* Check this entry out !! *


俺のレビューが単なる悪口のわけない
「たけのこ日記 [ Link ] 」:Agitation

ノベルゲームレビュアーは笑わない
「チクル妄想工房」:Novel

Being ―君がいた日―
「clover」:Novel


エイト・ストーリーズ

F9:スタッフコメント

F8:北○芝居

F7:彼女たちは兄の夢を見るか?

F6:Without you

F5:死神女の綺想曲

F4:Edge of the world

F3:Novelers' Material へようこそ!

F2:半透明パレット

F1:恋はメビウス

「史ノベル製作プロジェクト」:Public relations of the Novelers' Union



16:43  |  +ちらし のうら かんそうぶん  |  Trackback(0)  |  Comment(3)

2013.03.18 (Mon)

アイってなんだと きいても 意味ねーわ-NOTE

女優の二階堂ふみさんのような方がいることを鑑みれば、『Ghost Write』なんて、大したことないような気がしてきたwww




まあ、でも二階堂さんは少女みたいな「真っ直ぐさwww」を要求されているわけではないのだから、比較するのも申し訳ないというものだけれどwww 恋愛なんて、女優さまの嗜みのひとつだわなwww


それにしても、エコーさんのいうこの程度で「傷つきました」「苦しいです」「悩んでます」なんて言えるのって、という指摘が気になる。文脈的に「をとめの人」が、わたしの文章を読んでこういっているということだろう。マジか。天然で「願望」をストリップしていたのか。うへえ、まさに「嬢子」ちゃんってこと? これだけだと、どこか目覚めが悪い。

「をとめの人」は Website とか Blog とかやっていないはずなので、これって「NaGISA@原発は再稼働せよ」の掲示板でボヤいているのかなあ。でも、掲示板を覗いてまたイライラするのもイヤなので、確認にいきたくはない。


わたしの勘違いでした。すみません。







おそらく「星見テラセ」さんの倫理観では「ほぼ無理ゲー」なので意味はないと思うが。

もし「創作に全精力を注ぎたい。その妨げになるのなら、働きたくないでござる」と本気で考えているのなら、そこそこ稼いでくれそうな「がんばりやさん女子」をつかまえてきて、彼女のヒモになるのが良いだろう。すくなくとも実家暮らしよりはマシ。

カップル間の結束なんて、ふたりが幸福を感じていれば充分に成立するので、いちいち他人の目を気にする必要はない。あるいは真面目人間が抱きがちな「罪悪感」だって、星見さんの活動が結実すれば「内助の功」の思い出補正でどうとでも美化される。


また別の話だけど、こういうこと見てると、「結婚なんてしたくねえな」って思ってしまう。
 でも本音では、俺にまともな収入が入るようになって、誰か良い人がいたら結婚したいって思ってる。
 結婚して子供を作って、育てて。そういうのは、人間である以上の責務なんじゃないのかって、古くさい考え方かもしれないけど思ってる。
 結婚して支え合うって、なんかギリギリだと思う。
 自分を支えることの出来る人間が、結婚して子供を支え合うべきなんじゃないのか。
 後先考えずに結婚して、周りに多大な迷惑を掛けて、子供に深い傷を負わせて。
 そういうことは、絶対にやりたくない。
 だから安易に恋人も作りたくないし、結婚だってなおのこと簡単にできないと思ってる。
 なんでみんな、安易に恋人を作るんだ。結婚する気もないくせに。ただのセフレだろそれ。
 なんでみんな、安易に子供を作るんだ。ちゃんと育てられるほどの覚悟を持ってるのか。子供は守らないといけないんだぞ。
 なんでみんな、慎重じゃないんだ。
 理解できない。
 何が「恋」だ。何が「愛」だ。
 それが単なる「性欲」でなくて「世間体」でもない人間って、どれくらいいる?
 「好きだから付き合った。好きだからセックス。好きだから結婚。好きだから子供」
 お前らの「好き」ってなんだ? お前らのそれは単なる「性愛」で、それ以上のものじゃないだろうが。
 そういうやつらがいるから、「恋」だの「愛」だのの言葉が、安くなる。
 理解できないし、理解したいとも思えない。お前らはただの動物だ。



こんなナイーブでマヌケな「不平不満」なんて並べていないで、さっさと「狩り」をしに街に繰り出すべき。読書では得られない「現実」を手に入れてくれば?


それにしても、ある意味では微笑ましいな。家族の庇護の下、願望を叫ぶニンゲンさま。これもまた「恋に恋する」価値観。



03:15  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.03.16 (Sat)

汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ-Hell in the mind.

自らの人生に期待しなくて良い状況とは、はたして「天国」か「地獄」か。




「星見テラセ」さんがスゴい。表現者としての意識が高く、自己流の理論を確立し、溢れるほどの情熱と苦悩を原動力に、まさに人生と生命とをかけて創作活動をしている。こんな人は、そうはいないだろう。御本人はもう「フリーのノベゲ作家」というステージから抜け出したがっているが、上手くいってほしいと願っている。その「資格」はきっとある。

こういうすばらしい表現者を前にすると、ヘラヘラと生きながら「物書きの真似事」をしようなどと目論んでいる自分が、心底恥ずかしくなってくる。わたしこそが「ニセモノ」であると情けなくなってくる。

雑記の内容から察するに、星見さんも「文系の素養を持った理系人間」なのだろう。あたまの作りや使い方が始めから違うのだな、と痛感する。やっぱり、わたしのような「文系馬鹿」では、まともな文章表現は無理だと思えてきた。「真似事」くらいならともかく、星見さんとおなじステージには、一生かかっても立てそうにない。

いや、気質は意外と似ているような気はするが、星見さんのほうがずっと真面目であるし、あたまも良く勤勉であるし、わたし程度の人間と比べては申し訳ない。

とにかく、あれだけ生命をかけてガンバっている星見さんには、行けるところまで行ってもらいたいものである。「新しい前例」を作ってほしい。応援しています。







それにしても、いままではうっすらと感じてきたことだけど、「日本社会は知能指数の高い人々のもの」という認識も、それほど間違っていないと思い知らされるというかなんというか。

社会の中核に近づくほど、三流大の出身者や高卒、それ以下の学歴の人間は遠ざけられる。どれだけ上手く立ち回ったとしても、端から「椅子」に座れるようにはできていない。これくらいは、みんな気付いているだろう。「あちら」と「こちら」には、明らかな断絶がある。

だが、その「大きすぎる溝」は、もはや「人間存在」自体の断絶となってしまっているのではないか。つまり、「知能指数の高いエリート」にとって「一般ぴーぽー」に代表される衆愚はもう、この消費社会のなかの「消費物」のひとつなのではないのか。

例えるなら「知能指数の高いエリート」は植物、わたしたちのような「一般ぴーぽー」は植物を育むための養分といったところだろうか。植物が実をつけるためにはたくさんの養分を与えなければならない。しかし、養分そのものが顧みられることはない。ただ消費されていくだけである。だれも気に止めはしない。植物も、それを愛でる「なにもの」かも。

よく、実社会の「アレな人種」を指して「DQN」などというが、社会の「最も高みにいる人々」から「DQN」に認定されたものは、もはや人間扱いされていないと考えて良い。そいつが生きていようが死んでいようが、日本社会の「真の構成員」にとってはどうでも良いことなのである。

年間 3万人も自殺者が出続けたり、遅々として進まない被災各県の「復興」の現状を見聞きしたりするにつけ、わたしはこの考えを強くしていったのだが、しかし、さすがにこれはあまりにも恐ろしすぎて、口にするのも憚られるというものだ。わたしたち「一般ぴーぽー」は「社会の歯車」どころか、火力発電に必要な「燃料」程度のものなのだなどとは、だれも指摘する気にはなるまい。

そう考えると、もはや人生に期待するのも馬鹿らしいというものであろう。知能指数は努力や経験則で覆せるものではない。両親から受け継いだ先天的な資質なのだから。ある意味では、生まれた時点で「すでに詰んでいる」ようなものだ。

だいたい、貧乏人はおろか、中流程度の生活環境のものであっても、真面目にコツコツ生きていたところで、ちょっと年を喰って運悪く大病にバーン! とぶつかってしまえば、あとはもう病院か老人ホームのベッドの上である。独り身だったら、さらに救いがない。

「わたしたちも日本国の構成員なのだ!」と信じ込まされた「一般ぴーぽー」が理想を胸に、必死になって社会にしがみついているさまを見るのは忍びない。どんなに自分たちの信条をぶつけようとも、知能指数の序列でいえば「下位層」に属する「現実主義者」たちに馬鹿にされ、利用され、消費され、死んで終わりである。


と、ここまで書いてきたわたしが、では「絶望しているか」といえば、良くわからない。無駄な執着から解放されれば、逆に身軽になれる気もする。「消費者」の側に回れないからといって嘆くことがなければ、ツライこともない。自分がなにものであるかがわかれば、もう他人さまと勝負しようという発想も浮かばないかもしれない。わからない。

……ほんとうは「馬鹿は馬鹿なりに、文章表現の方法もあるよ、きっと☆」と書きたかっただけなのだけどなあ。



02:03  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.03.15 (Fri)

我慢が足りない-NOTE

最近、寒暖の差が激しさが影響しているのか、身体の調子が悪い。

それに、お腹は減るのだけれど、食事にお金をかけるのがバカらしくなってきた。

なにかヤバい気がする。自殺者が 3万人を下回ったそうだ。







今回の「NaGISA@原発は再稼働せよ」との衝突で、ふと冷静になってみたら、わたし意外と、他人さまのはなしを聞いていなかったのだなあ、と思った。

わたしに向けられた文章は、それが好意のものでも悪意のものでも「連想ゲーム」の対象になっていたように思う。相手の文章から、いかに自分のストックを引き出すか、あるいは新たな思考を導くか、そういう独り遊び。

そう考えると、すでに完成している他人さまのノベゲを膨らませることはできるのに、自分の作品はどこかボンヤリとして全体像を把握できないことも理解できる。これも連想ゲーム。

一部分一箇所を細かくカットして、そこに返事を当てていくわたしのスタイルは、文章全体が訴えていることに答えることには適していないのだろう。相手に汲み取ってもらう率が高いから。信頼がなければ続かない。だから「NaGISA@原発は再稼働せよ」とは決定的に噛み合わなかった。

アドレナリンが溢れでないようになりたい。「NaGISA@原発は再稼働せよ」はできるようになったのか。「おまえみたいな一般ぴーぽーがなにいっても金銭的に損ないぜ!」とかお祈りのたびに唱えれば良いのか。「フランシスコ」さんは関係ある人なのか。なんなのだ。







わたしのもつ「ことばのちから」とは、どれほどのものなのだろう?

やいばのことば、きずつけることば、ひかりはどこに? あくまはここに!

りーどおんりー、ぼうかんしゃ、ゆにーくあくせす、そそがれるまなざし……



03:10  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.03.09 (Sat)

ワイド画面で 浮かれた はなし-Writings

何気なしにココ「フリーサウンドノベル関係の雑記 箸休めvol.57 ノベルゲーム制作入門其の3 : 久住女中本舗」のコメント欄(ページ下部)を見ていたら、あいはらさんが「NScripter はワイド画面にできる」と書いておられた。そのことばに興味を惹かれたので、すこし検索してみた。




まあ、答えがそのまま書かれていたわけではないが、どうやら「NScripter」の第二世代ともいえる「暫定アーカイブ XP 以降版」では、画面サイズを変更できるらしいことがわかった。

実際に確認してみると、更新による追加機能のなかに、「設定モード」として記述することで画面サイズを指定できると書かれていた。つまり「800x600」以上のワイド画面も「640x480」以下のミクロな画面も自由自在というわけだ。

この新機能の存在を知って、思わずテンションが上がってしまったというだけのはなしである。




それにしても、ワイド画面化について調べていくなかで、まだまだ「ワイド画面は不要」とする意見があることに気付かされた。上記リンクの道玄斎さんもそうだし、あるいは




などの著名な製作者・レビュアーからも否定的な声が聞かれる。まあ、数えるほどといえばそうだが、彼らの「声の大きさ」を鑑みると、決して無視はできないだろう。


ただ、個人的には「800x600」でも「狭い」と感じることはある。これは物理的な表示域としてではなく、「情報量の器」として充分ではないという意味。

例えば、背景とテキストだけのほんとうにシンプルなノベルゲームなら「800x600」の画面サイズであってもとくに問題はないだろう。しかし(直近の作品でいえば)『エイト・ストーリーズ』のような、洗練されたシステムやレイアウトで構成された作品となると、その画面内の「情報量の密度」の高さゆえに、どこか各々の要素がスシ詰めになっているかのような圧迫感を覚えることがある。「ドン・キホーテ」の店内をイメージしてもらえるとわかりやすいだろうか。

そういった「ちいさな窓枠に無理やり風景を押し込めた」かのような状況が解消できるのなら、ワイド画面も悪くはないと思うのだが、どうだろうか。

それに、高解像度の写真素材も多く利用できる昨今、せっかく「2000px 以上」もある写真素材を、わざわざ「800x600」「640x480」のようなちんまい画面用にリサイズするというのも、ちょっともったいないはなしだし。

(まあ、わたし自身が「閉所恐怖症」であるから、それこそ「ドン・キホーテ」のような狭苦しい場所にいくと、とたんに不安で息が止まりそうになることが、こういった発想に関係しているのかもしれないが)

もちろん「ワイド画面消極派」が指摘するさまざまな課題が残されていることも事実なのだが、しかし、それをなんとか解決していくこともまた「ものづくり」の醍醐味なのではないか。斜陽のノベゲを盛り上げていこうとしている側の人間が、どうしてその可能性を潰すような発言をするのか理解できない。既存の「ノベゲのイメージ」など、守ってどうする。

わたしたちは慣習の奴隷であってはならない。


もっとも、どちらかといえば、ウチの「XP さん」がワイド級の画面描画に耐えられるかどうかのほうが心配なのだが。『エイト・ストーリーズ』でもメモリ使用量がちょっとアレだったし。



00:46  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2013.03.02 (Sat)

Web 世界なんて 一時の住処に 過ぎない-NOTE

kappa-bonus




河童ボーナスさんの「どこだい」が、休止中になっていた。ががーん!


これがノベゲ界の無常だわ! 世の儚みだわ!


単純な放置ではなく、きちんと「休止」にしたところに河童ボーナスさんなりのお考えを感じるので、外野はなにもいわずに見守ることしかできないのだけれど!


さみしい……。



01:13  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

2013.03.02 (Sat)

500MB の 悪夢-Writings

「Firefox」も仕様がリッチになってきたのか、単純に「軽い・速い」というわけではなくなってきた。いや、そもそもわたしの「XP さん」は、「Mozilla」が想定している動作環境から外れているのかもしれない。

「ふりーむ!」もリニューアルしてからあきらかに重くなった。作品の紹介ページを開いていくだけでも大変だ。ひさしぶりに「Vector」を利用する機会もあったが、似たような印象だった。

おそらくどちらも、ベッタリと貼られた広告が原因だろう。これがテキストや画像ならともかく、グリグリとアニメーションしたり、ヘタをすれば動画だったりすることもあるのだ。そんなものを何種類も読み込み続けていれば、PC がテンパってしまうのも当然というものだ。

低スペックの「XP さん」がガリゴリと処理をしているあいだの待ち時間はほんとうに無駄だし、HDD への負担も大きいはずだ。これは良いことではない。

ということで、ほんとうに新作ノベゲの DL をしばらく我慢することにした。期間は、PC を新調するまでとしてみる。例え数ヶ月のブランクがあったとしても、快適な環境ですばやく DL 作業を終わらせられるようになるほうが、長期的なスパンで見たとき高効率なはずである。

それに、ほかのジャンルと比べて、重大な進行不可などが比較的起こりにくいノベゲであっても、しばしば誤字脱字修正などで version が上がることを考えれば、作品公開後、しばらく時間を置いて DL するのも決して悪いことではない。

もちろん、新作を追うことから一時的に遠ざかっても、HDD 上に積んである作品群は「塵ツモ」なわけで、とくに不自由するわけでもない。ただ、近視眼的になっている自分の価値観をリセットするためにも、変化をつけることは大事なのだ。

まあ、もし「良さ気な作品がありますよ」と教えてもらえれば、その作品だけを DL するくらいの手間は惜しまないので、みなさんよろしくお願いします。


それにしても、目標の「メモリ 8GB」……いまの「16倍」じゃあ! 燃る!



00:07  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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