09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2012.10.25 (Thu)

きん・げん・かん-NOTE



先日観た、亡き大滝秀治さんに宛てた倉本聰さんの弔辞のなかの、




創るとは想うこと


創るとは狂うこと


創るとは生きること





ということばに、やっぱり才能のある脚本家の書くことは違うなあ、と感銘を受けた。だけ。




03:02  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.23 (Tue)

RPG Tkool × Graphics : for after XP alphabet & kanji-Category

以下は「XP, VX and Ace の『RPG ツクール限定』で利用可の画像素材」を扱うサイトさんです


01

JUNKHUNT
C.H.E. creation of heaven and earth
3回目の延長線上
CHOGEMU
CITRUS CAT
CLOSET
CLOSET Ace
CLOSET MATERIAL INDEX
CluckDuck
Faruのツクール日誌

Few visitor Lonly room
Game Studio Rxus.
h.i.g
in a nut shell
KREY FACTORY
LB工房
Lihit Note
Little Rabbit
Lunaria
N-PROJECT

nomicom
pi!
Pruject
Pruject (MoNoTe)
SilverBlue ~碧依と銀~
SunDrivePlus ※本館
TKL症候群
vol.319
Y's 素材屋さん
東方変巡記 製作中 Blog

王国興亡記
化け猫の屋根裏工房
改々工房
犬分補給が最優先だ!
瞬駈天魔のツクール製作日記
象牙の賽
心のまにまに ※15歳未満、入場禁止
新RTPを作りたい気分
真・なまものノなにか
真実と幻想の狭間

和ごころ ~和キャラつく~るのブログ~

41



23:41  |  +素材サイト一覧  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.23 (Tue)

RPG Tkool × Graphics : for after XP Japanese kana-Category

以下は「XP, VX and Ace の『RPG ツクール限定』で利用可の画像素材」を扱うサイトさんです


01

アトリエ・ピッケル
うさぎのこべや
うどん街
うなのゲーム日記
うみどりや
えそらごと
エフェクトVX
カオスポータル
キマイラの檻
くろうさぎのお部屋 ほむぺ版

ゲームの畑!箱庭亭
ゲーム作ってるかもしんないブログ
ここどこ
さんぶら
ジグリパフの落書き帳
そらまにぶろぐ
チョコミントの木
Auld Lang Syne ツクール VX 製の謎解き・探索、素材少々。
つくーるさくせいにっき
ツクツクやったりしています。

てきとーツクール素材
とらねこさんの小屋
トワエモア
のんびりまったり
ひょうぶろぐ
ブギワーツ
ぷらすはうす
pawn soldier - ポーンソルジャー
ヨシダんチ!?
らいおんのしっぽ

30



23:35  |  +素材サイト一覧  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.17 (Wed)

今日も お素 Woo 材-NOTE

あいかわらず素材関係のサイトさんを眺めるようなことをしている。

ほんとうは「Free Novel Game」の感想でも書きたいのだが、「ぷれびゅー」を書いている方が精神的な負担が軽いので、ついついそちらのほうにいってしまう。ある意味での現実逃避のようなものだ。


数日前、ひさしぶりに、しばらく手をつけていなかったカテゴリに振り分けたサイトさんをまとめて洗い直したのだが、閉鎖やサイトの消滅、長期間の更新停止などが目立った。やはり、まったくの個人が広告収入のような支えもなく素材製作を続けるというのは、なかなか根気のいることなのだな、と思った。

そこで必要とされる(らしい)のが、「Conscience」のいうところの「精神的利益」、つまり「NaGISA 大先生」のいう「作品へのポジティブな反応」ということなのだろうが、実際それらが創作を続けるための動機として、それほど強いものであるようにも思えない。

例えば、素材制作において「リクエスト募集!」と他人さまからの意見を真摯に取り入れようとして、はじめはノリノリで対応していても、いつのまにかリクエストに応えることが「義務」のようになってしまい、それがだんだんと精神的な重圧になってしまった末に「やっぱ、や~めっぴ」となってしまうケースを何度か見てきた。

他人さまからの善意や好意が、かならずしも良い方向に働くわけではない。「大先生」などの主張は経験則のうえでは確かに「事実」なのだろうが、だからといってそれをそのまま一般化してしまうのは、少々短絡的なのではないだろうか。(まあ、そんなことはどうでも良いのだが)


そういった現実を省みたとき、(いや、実際は意欲に燃える素材サイトさんだらけなのかもしれないが、わたしの知る範囲での印象なので)先日めでたく公開の運びとなった『エイト・ストーリーズ』の宣伝対象である「Novelers' Material」のような、ノベゲ製作に必要な各種素材を広く共有する「受け皿」の存在は、意外と重要なものになってくるかもしれない。

専用の「Website」を持つほどではないが、自作の素材を有効利用してもらいたいと考えている製作者をきちんと取り込むことができれば、「大先生」たちの思い描く「ノベゲ界の発展」というものも、すこしは現実味を帯びたはなしになってくる。

ただそうなると、画像における「pixiv」や、楽曲における「muzie」のように、競合する「あきらかに強大すぎるライバル」とどう差別化を図るかが、重要な課題になってくるはずである。

例え今回の『8ss』で知名度が上がったとしても、新規参入者が増えず、結局、素材を投稿しているのは「運営側の人間のみ」というような状況では、とても「生きたコミュニティ」とはいえないだろう。


まあ、このエントリ、実物を見ないで想像だけで書いているので、実際は盛況しているのかもしれないがwww



03:20  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.14 (Sun)

正しい 「自己満足」 と 「時間の棄て方」-NOTE

この Blog のように複数のコンテンツを取り扱っていると、興味の「波」が行ったり来たりしたとしても、別の作業に移れば更新が途切れることなく続けていける(可能性が高まる)ので、なかなか良いことだと思う。

最近、過去の「ぷれびゅー」の書き直しにちからを入れていたのだが、他のコンテンツを楽しみにしている方にとっては、あまりおもしろくもないことだろう。「ぷれびゅー、いつも楽しく読ませてもらっています!」とかいわれても、わたしもちょっと困る。



「ぷれびゅー」を始めたのは、「NaGISA 大先生」にケンカを売って、良くわからないまま自爆した件を経てからのことだ。

個人的な人生観や自意識丸出しの「感想文」を否定されたことに反発し、それなら解釈する必要もない「素材」に関する、主観を完全に排した「情報の羅列」なら、だれも文句はないだろうと考えたのである。

そういう意味では「大先生」などが主張する「レビューは他者あってのもの」「レビューは社会貢献」(=それができないものは死ね)という思想に、すなおに乗っかっていたのだともいえる。


始めてからしばらくは、とにかく「かてごりを『?』で埋めよう」「数を稼いで認知されるようになろう」と考えていたので、「情報量」に対してこだわりは持っていなかった。

しかし、時を経るにつれてさまざまな不備が目につくようになり、いつしか「バランス」や「情報の正確さ」を重視するようになった。ある程度の数が揃ってきたので、中身にまで目が届くようになったということだろう。

個人的には、常にその時点での「最良のぷれびゅー」をかたちにしてきたつもりではあるが、いま現在の感覚で見返すと「なんぞこれ」という気分になることが多い。だが、それで良いのだ。

過去に疑問を持つということは、自らが変化している証左である。そして、それこそが「生きている」ことの証左なのではないだろうか。

わたしたちは未来を完全に想像することはできない(例えば、アニメなどでも「ガラケー」の時代に、いきなり「スマホ」的な機構を持ったガジェットが登場することはなかった)。だから自分で歩いて確かめにいくのである。その道中での経験がわたしをまた変えていく。その繰り返しが人生なのだろう。

そういう意味では、過去の蓄積である Blog は「個人的な遺産」であるともいえる。はずかしいことも多いのだけれど。


「情報量」が増えれば文章量も増すし、それに比例して時間もかかってメンドくさいのだが、それもまた楽しい。他人さまにおすすめはしないけどねっ。



17:43  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.14 (Sun)

「いらないひと」 だと いわれて たまるか-Hell in the mind.

フジテレビの「金曜プレステージ」でやっていた『ドルチェ / DOLCE』というドラマを観たが、ヒッドイはなしだった。


(このドラマを観ていない方、「なにそれ?」なうえにネタバレですみません)


義母に殺されてしまった「ほんとうの母親」は、ただ「周りからの要求に応えられなかった」だけであったように思う。

確かに、「幼い息子を虐待していた」という事実だけを切り取れば、それは「悪」であるのかもしれないが、あれはあきらかに精神的に追い詰められてしまった末の行動だったはずだ。それは特別な状況ではなく、だれにでも起こりえることである。

例えば、イジメられている学生が現実に耐えきれずに自死を選んだり、余命宣告された人間が「どうしてわたしがッ!」と取り乱すのとおなじ「混乱状態」にあったのだと推測するのは、それほど的はずれなことではないだろう。であるなら、彼女を押し潰そうとしていた「不安要素」を取り除く(あるいは、彼女自身も変わらなければならなかったのかもしれないが)ことさえできれば、母子の関係は充分に修復可能であったはずだ。

しかし、結果的に、やり直す機会を与えられることもなく「悪者」扱いのまま殺されてしまったうえに、義母と「母娘ごっこ」をしていた見ず知らずのオンナに「母親」の座まで奪われてしまうのだから、死んだあとまでサイアクすぎる。


なにか「イイ話」みたいな雰囲気で終わっていったドラマであったのだが、ほんとうにわたしには「いいたいこと」が良くわからなかった。

「真に子を愛するものこそが親になるべきである(「血は水よりも濃い」の否定)」とか「相応の理由さえあれば、他人を踏み台にして幸せになっても良い(生きている人間のほうが大事)」とかだろうか。

前者のように、いまだに「血統主義」に凝り固まっている日本人に舌を出すような意味があったのならおもしろいのだが、まあ「親子愛」の亜種、ただの人情話だろう。舞台(がわ)は「現在風」になっていても、中身は大昔からなにも変わらない、というような。嫌になる。



03:20  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.06 (Sat)

ぼー ぼーわ ーる-NOTE

最近はだいぶ軟化してきたが、それでもやはりわたしは文尾に(笑)や(汗)や(爆)などと「感情表現?」を加えてある文章が好きではない。

とはいえ、わたしも文尾で「草を生やす」ことはある。(例えば「このようにwww」)しかし、これはあくまで文意を強調するための記号でしかない。「感嘆符(!)」や「疑問符(?)」「三点リーダ(……)」とおなじ扱いである。それ以上の意図はない。

であるから、文尾に「草」の生えた文章は「ジョークめかしている」か、「対象への嘲笑目的」であるかのどちらかであると認識していただけるとありがたい。また、わたしが「草」を生やしているからといって、他人の用いる「文尾の(なんとか)」に肯定的であるというわけでもないことも同様に理解していただけると幸いである。


まあ、つまりは「Semmy」も「NaGISA 大先生」もそのまま「そういうこと」なのであった。




それにしても、「話しことば(というか、話しかけことば?)」よりも「書きことば」で文章を綴るほうが、自分のなかでシックリしてきた。

まず、文章が簡素で美しいし、表現が鋭敏になってくるし、また、コミュニケイションのなかに潜む「嘘」のようなものからも自由であるように感じられてくる。

まあ、一方で「親しみやすさ」からは遠ざかってしまっているかもしれないが、個人的には満足している。それに、コメントへのお返事では、変わらず「にこやかな文章」をつらぬくつもりなので安心していただきたい。



03:27  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.04 (Thu)

いのちの ゆめ ひらく  いのちの はな おちる-NOTE





「大人の世界」のこととはいえ、いのちにかかわるような大病であったのを、親しい共演者であってもほぼ知らなかった(金子さん自身がまわりにさとられないように努めていたらしい)というはなしを聞いて、やはり他人さまのことは「見えているようで見えていない」のだな、と思った。

しかし、この件で思い知らされるのは、人間の「真の価値」を決めるのは「どれだけ長くこの世界に留まったか」という事実ではなく、「どのように生き、どのように死ぬか」、その生き様、人生に対する姿勢なのだ、ということだろう。

それは、金子さんを偲ぶコメントの数々からも、彼が死の直前まで精力的に仕事をこなしていたというエピソードからも感じ取ることができる。

よく、死期を悟った人間が「自分が生きた証を遺したい」と足掻く(執筆活動に走ったりとか)ようなことがあるが、そのような焦燥を超えて、ただ自分に与えられた役割を全うしようとした金子さんの態度は、とても立派なものであった。(『ホンマでっか!?』でボケ気味の発言ばかりしていたのが嘘のように。やっぱりあれは「TV show」だったのだろう)

そして、人々のあいだで受け継がれていくものとは、去ったものが「残そうとして残したもの」よりも、「わたしたちが残したいと願ったもの」のほうなのではないかと思った。

生きているわたしたちが、故人の想いを受け継ぐのだ。その決意が新たな生き様になる。そうやって世界は回っていくのだろう。






さて、この本、電車内の広告で何度か目にしたので、イヤでも覚えてしまったのだが。

まさに金子さんがそうであったように、わたしだってこの先、30代 40代と年歳を重ねるなかで、回避不能な大病にバーンッ! とブチ当たり、そのままあっさり死んでしまうことだって充分にありえる。そう考えると、必死になって長生きしようという気も失せる。(さらに、年金が支給される年齢まで生きていたくないという願望もある)

確かに、とにかく「健康で長生き」をと一般人が欲望したり、医療従事者がその手伝いをしようとココロを砕くことはあるのだろうが、しかし、そもそも「なにがなんでも生き続ける」ことが生物としての正しいあり方なのだろうかとつい考えてしまう。別に長生きする理由のないものは、さっさと死んでしまっても良いのではないかと。

まあ、答えはカンタンにはでないのだが。とにかく、情緒ではない方向から「死」を考えてみたいのだった。








このような痛ましい事件を目にするとき、あなたはどちらに感情移入するだろうか?



娘を殺めてしまったこの母親は「母親になりたかった」が「母親になれなかった」のではないかと思う。娘の出生直後に離婚し、それでもまだ未成年であったことから、結果、娘を乳児院に託さなければならなくなったこと自体が、大変なプレッシャーや負い目になっていたのではないか。

その後、娘を引き取る際の条件が「祖母の助力を得て子育てをする」ことだったそうだが、その祖母からもまた、孫に対する虐待があったそうなので、母親と祖母との関係が良好であったのかも疑わしいし、そもそもこのふたりの過去においても「虐待」があったのかもしれない。

そういった「孤独」のなかで、それでも娘を愛そうとするとき、そしてしかし、自分の思い描いたような「母親」になれず、上手くいかないことばかりが続いたとき、感情がヒステリックな方向に振りきれてしまうことも、わきたつ暴力性を抑えられなくなることも、ありえると思う。

そんな彼女を「未熟である」とか「人間性が欠如している」と難じることは容易い。容易いが、そこまで意味があることともいえない。結局、こどもを産んでさえしまえば、自動的に「母親」になれるものだと信じている人々には、彼女の気持ちはわからないのだろう。この件においては、世の行く末を憂うコメンテーター群の、実体を捉ええないことばなど無価値であるといえる。


「自分を愛する」ことでも「世界を愛する」ことでも、人間は最初からその術を手にしているわけではない。それは他者から与えられるものである。そしてまた、だれもがそれを他者に与えられるわけでもなく、ある意味で限られたものだけの特権であるようにも思える。

わたしはそこに「真の格差」を見る。「愛の格差」は「幸福の格差」であり、しばしばこのような悲劇のすがたを持ってわたしたちの前に現れる。

この格差は、自らに課せられた宿命を自力でくつがえすことでしか逃れられないものなのかもしれないが、それがまた大きな困難であることは、世間を見渡してみればわかるだろう。

こうして悲しみだけが世界に残されていく。くりかえしくりかえし続いていく。



02:30  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.03 (Wed)

「クズ石は それ以上には 輝かない」-NOTE






「livedoor Blog」がどういう仕様になっているのかは知らないけれど、以前はあった(はずの)メールフォームがなくなっているのを見ると、完全な「放置プレイ」を楽しんでいる愉快犯、というわけではないらしい。

というか、「メンドくさい」のと「なんで他人のエゴサーチせなあかんねん」という気分から、くわしく調べてはいないのだけれど、この『俺のレビューが単なる悪口のわけない』という作品の世間での評判はどのようなものになっているのだろうか。

やり口は荒っぽいけれど、自らの立ち位置を考えるには絶好の、問題提起にはなっているはずなのだけれど。だからこそ、訓告好きな「NaGISA 大先生」が食いついたわけだし。

まあ、批判対象を「愛www」のない「悪口レビュアー」に限定したことで、一般的な「フリゲ愛好者」にとっては「他人事」のようにとられたのかもしれないし、題材的に興味を惹くことすらなかったのかもしれない。


それにしても、製作者である「conceited」……じゃない「Conscience」は、この作品に対する「レビュー」に目を通しているのだろうか。

作品内での主張に共感してもらいたいのなら、それを確認しようとする可能性は高まるが、しかし逆に(この作品でいうところの)「ウンコ」を踏む率が高い内容でもあるから、まったくの無視を決め込んでいるということもありうる。彼(?)の目的がはっきりしないので、推測もできない。

まあ、製作者からの「直接的なレスポンス」がないからといって「存在を知られていないというわけではない」ということをこれまでの経験から学んでいる身としては、いっそうのことなんともいえないのだが。


でも、「悪口レビュアー」としての「立場www」から、彼(?)を「批判返し」したこちらとしては、なにも起こらないというのも悲しいものだ。「Vector」の紹介ページから溢れ出る、挑発的で挑戦的な「気迫」に応えたというのに。

まあ、「レビュアーは分をわきまえろ」という高飛車な物言いを「正論」だと信じ込めるような人間だからな。作品内で、さんざん「悪口レビュアー」を打った後に「決してベタ褒めのみが許されるというわけではない。批判するならするで、それなりの書き方があるということなんだ」と「さして思ってもいないこと」を書いてバランスを取ろうとするのも見苦しいし。

結局、「Conscience」は「はてな」の匿名ダイアリ、通称「増田」で愚痴を書いているような連中と同類ということなのだろうか。

匿名性に守られた状態でいいたいことを書き散らすのは、確かに安心ではあるのだろうが、しかしそれは「楽しい」のか? この作品を公開したことで彼(?)の鬱屈した感情は癒されたのか。外野にはなにもわからない。知る術もない。



しかし、これだから製作者という「人種」はあまり信用できないし、「大先生」が掲げる、聞く分には勇ましい信念とやらが「いかにマヌケなものか」ということも、またおなじように感じるかなwww

「大先生」たちは、自分を閉じ込める「監獄」を完成させるために、内側からレンガを積み続ける自覚のない囚人。わたしはもっと自由でいたいよ。他人さまから多少恨まれてもねwww



03:16  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.10.01 (Mon)

後番組の宣伝で 次回予告を ツブスなよ K-NOTE

ひさしぶりに「ぷれびゅー」を追加していたのだけれど、みんな気がついたかな?www






『AGE』、終わったね。

それにしてもガンダムって、「中身がまったくなくてもビジネスとしては成立する」コンテンツなのだなーwww この作品は、どんな「価値」を生み出した? どんな「ことば」を遺した? なにもない。ただ終わるままに終わっただけ。

フツーなら打ち切りものの出来でしょ、これ? おいしいよねーwww


というか、最終回を前にして主要なパイロットがバカバカ死んでいったのに、「アスノの血統」だけがケロッと生きている時点で、もうダメダメ。モビルスーツ間にあったはずのスペック差とかも空気になっていて、とにかく「死ぬから死ぬんだ」みたいなゴーインさで萎えー。

もしかしたら「主人公は殺すな」と「どこか」からいわれていたのかもしれないけれど、シロウトから見れば不自然このうえないからねー。せめて、フリットじじいくらいは死んでおくべきだった(別に「戦死」だけが死に様ではない)のではないのかな。変に「改心」とかしないで良いから。

確かに戦争ではたくさんの人間が死んでいく。それをしっかりと見せるのは間違いではない。でもだからといって「死」を「感動イベント」に変換してはいけないでしょ。それって「すげー醜い」やり口。脳ミソ使ってないのといっしょ。


結局、このアニメに「大人」はひとりもいなかったということなのかも。みんながみんな「幼稚な理屈」で動いていて、それぞれのエゴや思惑やポジションを背負ったうえでのぶつかり合い「ではなく」、つまらない「こどものケンカ」に終始していた、というような。

ほとんど戦闘の連続で「政治」の部分がまったく描かれなかったのも、そういう理由からだと思えば納得できる。まあ、「シリーズ構成」の担当者に、そこまでの「力量とあたま」がなかったというだけかもしれないけれどwww

もしもこれが、現代日本にあふれる「オトナになりきれない大人」を皮肉ってのことなら、すこしは日野さんを見直すこともできるけど、たぶんそれはないなwww

やっぱり日野さんには「こども騙し」以上のことはできないのだとココロに刻んでおくよ。




で、おなじ「ロボット SF もの」だった『EUREKA SEVEN AO』のこと。

正直、前作はそこまで「おもしろい」という感想ではなかった。放送時間が早朝に変更されたことも「さもありなん」だった。というか、作中でさんざん描かれた「Power of Love」の「圧」が過剰すぎて、引いてしまったということなのだけれどwww

でもまあ、『AO』の舞台が「現代」だというのと、監督のコメント(なにか、とても意味深なことを書いていたような記憶が)を読んで、なんとなく観る気になったわけで。

結果としてみれば、悪くはない作品だった。テンションがどこかおかしなことにもなっていなかったしwww まあ、「完結編」を待てるくらいには好きになったわけ。


でも、想定していたものをかたちにするのは、やっぱりむずかしいのだな、とも思った。

前作はまがりなりにも「4クール」作品であったわけだから、ジックリと腰を据えて、ダイナミックな起伏を加えながら物語を紡ぐことができたのだけれど、今回は「22+1話」しかなかったわけで。(あと何回かはあると踏んでいたのだけれど)

だから、本来、もうすこし尺があれば「物語的な盛り上がりどころ」になったであろう「新事実」が、わりとあっさりと提示されたりという「急ぎ足」が何度か見られたのは残念だった。

結局、毎回毎回、なにか「思わせぶり」なかたちで伏線を仕込んで、それを原動力にしてひっぱっていたのだけれど、それもけっこう地味に回収されていたなー、というか。いや、シークレットにトドメをさすときに流れる劇伴で毎回アガってはいたのだけれど。あれ良い曲だねー。

もしかしたら、毎週 1話ずつ物語を追っていくより、まとめて一気に観ることに適した作品だったのかもしれないと感じた。いや、まだ終わってはいないからなんともいえないけれどさっ。




それにしても、『スマイル』の「中身のなさ」に発狂しそうwww 要はあの 5人に対する「キャラ萌え」で成り立っているだけでしょ? それを除いたら、なにも残らない作品www ほんと、『きら☆デコッ!』と良い勝負www



02:54  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
 | HOME |