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2012.05.30 (Wed)

とにかく 眠いんだ パトラッシュ-NOTE

どうもわたしの文章は褒めているのか、そうでないのか

判断に困る部分があるらしい。


しかし、(たまに)溢れるこの情熱を伝えたい、ときもある。




で、以前「意識の高い」レビュアーたちが、

「点数で作品を評価するのって、なんかナシじゃね?」

的なことを書いていたのを思い出したので、

それを採用することにしましたwww


しかも、10点とか 100点とかといったみみっちい数ではなく、

一気に「」まであげちゃおうと決めました。

ここまで大きい数なら、失礼でもないでしょ? 敬意、敬意。これマジでwww




「どうだ~い? 発想が小学生みたいだろ~う?((C) くまだまさしさん)」


……さあ、いくぜ!(「吉幾三」! 『雪国』最高や~!)



20:48  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.30 (Wed)

相沢紗世さま が 美しすぎた ので-NOTE

とくにコンタクトレンズ(「1-DAY ACUVUE」?)とか「Melty kiss」の広告に起用されていた頃が最強だった。マジでこんなにキレイなひとがいるのかと思った。

ちょっと前に「Another Sky」で(たぶん)ギリシャに行っていたのをたまたま観たけど、良い意味でフツーっぽい、おだやかなお姉さんといった雰囲気で、またファンになった。

まあ、タレントとしての「アクの強さ」のようなものには欠ける気はするけど、あのままほんわかと生きていってほしい。そういう人生があっても良いと思う。これも、ある意味での「夢」かな。





「大きな目的」に「相乗り」しているだけなのに、それだけで俄然「イキイキ」してくるような人間は信用できないな、と思った。具体的にいえば、この国の「愛国者」のこと。

アイツらの「近隣諸国」と「その国民」に対する、貧相なレイシズム丸出しの罵詈雑言は、見るに耐えないどころか吐き気がしてくる。

確かに、外国から日本にくるひと(あるいは、ずいぶん前に来たひと)のなかには、「お行儀の良くない」部分もあるとは思う。だけど、結局それは、世界中に広がっている「シビア過ぎる現実」を背負っての行動なのではないだろうか。要するに、自分たちが生き残るための手段を選んでいる余裕はないってこと。お人好しで、日本国内にしか目が向いていない馬鹿には、それが理解できないのだろうな。

日本がダメになった原因は「国外からの勢力」なんかよりもむしろ、オマエらみたいな馬鹿が「イキイキ」と愛国活動しているせいだよっ!www


それと、今日観たバラエティ番組で「歴史と伝統がこれほど長く続いた国は日本しかない」といった「愛国的な」発言をしているひとがいた。正直「フザケんな」と思った。

いまの日本は、サブカルと「遺物」だけが世界で認知されているだけの、「ゴミ溜め」のような国だよ。それを認めたくない人間ほど、過去から立ち昇る、真夏の陽炎のような「優れた民族像」にすがりたがる。バーカ。

当たり前だが、どんな国家・地域にも「歴史と伝統」はある。例え「単一国家」としての歴史は浅くても、いや、おなじ土地に住む人々が枝葉のように分裂していった「歴史」にこそ、より深みがあるのではないか。

そういう世界の国々のつながりが持つ遠大さも考えずに、ただ「長く続いているから偉い」と鼻息を荒くするなんて、それが「オトナ」のすることかよ。

「歴史と伝統」を他国と比べて優劣をつけるような、くだらない物言いをしなければ自尊心を満足させることができないなんて、なんとも貧しく、卑しい根性だ。ほんとうに好かない。

彼は USA は「若い」国家であるから、歴史も伝統もないと笑うのだろうか。





と書きつつ、外国人に「日本が好き」と言われると嬉しくなる自分がいる。





ひさしぶりにテンプレートをイジりました。以前はメイン記事部分にすこしだけ「圧迫感」があったので「囲み」の幅を広くしました。すこしは文章が読みやすくなったのではないでしょうか。

ただ、感覚でテキトーにやった末の「ラッキーパンチ」のようなカスタマイズなので、どこかで不都合がでているかもしれません。もしなにかありましたら、お教え頂けると嬉しいです。



03:31  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2012.05.29 (Tue)

前2ヶ月分 滞納で OUT-NOTE



今日(5月28日)、電気止められちゃいましたーてへぺろ☆



まあ、半日程度だったけどねっ!


考えてみれば、ケータイなんてソッコー止められるのだから、

これでも猶予があるほうだよねっ!


でも、自分のなかでは突然すぎた。通知見てなかったからねっ!



「いまけっこう混み合っている」という東電さんからのおことばに、

「そんなに送電止められた人がいるのか……」と思ったよっ!


払い忘れたコッチが悪いのに、東電さんは親切でしたっ!

これもご時世かなっ!



02:01  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.24 (Thu)

戦わずして すでに 「支配」していたッ!-NOTE

「Free Novel Game」の攻略について。

「のべるげ」の製作者さんは、自作品の攻略情報を、あまり積極的に公開しない印象がある。貧乏性なわたしとしては、何ヶ月もかけてやっと完成させた作品を、すぐに「消費」されてしまうのが気に喰わないのか、とも考えるけど、実際には「ネタバレ」を極端に忌避する文化が、その根底にあるような気がする。

これが他のジャンル、例えば「Role-Playing Game」だと、わりとしっかり攻略方法を載せていることも多い。それはやっぱり、「Role-Playing Game」が攻略を前提とした「ゲーム」だから、ということなのだろう。「ゲーム」で「先に進めない」ということは、(いくら「ヌルゲー」ということばがあったとしても)本来はあってはならないことだ。ある程度「自由度」に縛りのある作品なら、ひとつのつまずきが致命的なものになる可能性もある。そこでゲームを投げ出されてしまうのも、製作者にとってはツライことではないか。

そう考えると、攻略方法を「出し惜しみ」している製作者の意識は「ゲーム屋」というより、むしろ「物書き」に近いものなのではないだろうか。というより、そのものずばり物書き然としている製作者も多い。そして、物書き的製作者には「重要なネタが割れると、作品の価値が損なわれる」という、ある種の「強迫観念」じみた不安感があるのではないか。

でもまあ、その気持ちは判らなくもない。わたしにだって、自分の作品について、どこかミステリアスな演出をしたくなる感覚は容易に想像できるし、「感想文」で他人さまの作品を扱うときにしたって、「これはわざわざ書くべきではない」と判断する場面がある。多くを語りすぎることによって失われてしまうものは確かにある。

だから、「ある瞬間」までは、一切が謎であってほしい(=自分の思い描いたとおりに他人の感情をコントロールしたい)というのは、製作者の心情としては、決して間違ったものではない。いや、もしかしたら、もっとドライな「ただの損得勘定」かもしれないのだが。


そのような製作者側のこだわりも理解できる一方で、プレイヤーとして歯痒くなる場合もある。製作者はそもそも、自らが設定した難易度が「適切にチューニングされているか」どうか、真剣に考えてみることはあるのだろうか? 難易度の調整は、その道のプロである「商業ゲーム屋」ですら幾度も失敗することのある、大変難しい作業である。

これが例えば、選択肢のみの単純な分岐で Ending が決定するという程度なら、まだプレイヤー側の努力でなんとかなる。だがしかし、複数の要素が複雑に絡み合って進行しているような手の込んだ作品となると、もう努力でどうとかいっていられるようなレベルではなくなってくる場合がある。なにより、攻略にかける時間が惜しい。

かといって、Wiki のような「情報の羅列」を攻略としてしまうのは、味気ない。そして、前もって仕入れた情報を後追いするだけでは「体験」とは呼べない。「体験」を通じてしか「感動」は生まれ得ないのに。これも確かに、「攻略」を毛嫌いする一因ではないだろうか。作品をただ、意味もなく通り過ぎていくだけでは寂しすぎる。


だが、「体験」から得る感動を損なわない程度の、しかし的確な「攻略(あるいはヒントと呼んでも良い)」は、かならずあるはずだ。むしろ、その部分にもまた、「文章表現」や「ヴィジュアルの作り込み」とおなじくらい「センス」が光ると思うのだが、どうだろうか。

もちろん、ひとつの作品に対しての楽しみ方はさまざまだし、その「可能性」の部分を摘み取りたくない、という製作者さんの意向も判る。しかし、プレイヤー側に攻略の責任を「丸投げ」して、自分の役割はすべて済んだ、という顔をされるのもなんだか虚しい。いや、フリーゲーム製作者には、「料金を取るわけではないのだから、責任とかはカンベンねっ!」という必殺の切り札があるのは百も承知なのだが。


製作者の方には、ある意味でプレイヤーに寄り添うような「寛容さ」を持っていただけると、ありがたい。いちばん確実な「情報」を握っているのは製作者さんなわけだし、それを有効に使えるのもまた、製作者さんだけなのだから。



03:15  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

2012.05.23 (Wed)

無宗教者に 「懺悔」 はない-NOTE

信仰の対象を物質世界の「外側」に求める数多の宗教者よりも、目に見えない「絶対的支配者」に頼ろうとしない無宗教者のほうが、よほど困難な道を歩んでいると思う。

自分の信仰の対象(「金」「服」「車」「音楽」「二次元」「SEX」「DRUG」……)をすべて失えば、そこにはもはや「死」しか待っていない。「肉体の死」の前の、「精神の死」である。

そして、無宗教者には「死後の平穏」すら約束されていないのだ。



……と、そんな前置きなどまったく関係のないはなしをしよう。



03:45  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.22 (Tue)

Mere Impressions, Part 0-Answer to comment



「名無し」さんの元コメント:#237


はじめまして。コメントありがとうございます。

「感想」と称した「中傷文」で不快な思いをされたのなら、申し訳ないです。

わたしが「オススメ」する作品はなにか? とのご質問がありましたので、以下にまとめてみたいと思います。よろしくお付き合いください。



00:21  |  +ちらし のうら かんそうぶん  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

2012.05.21 (Mon)

ざんねん ノーミソ Network-Hell in the mind.

そりゃあ、「レビュー」だろうが「感想文」だろうが、自分の作品についてネガティブなことを書かれたら、良い気がするわけがないということも判るよ。

わたしに対して好意的なひとも「このひとアレだけど、まあ、おもしろいか」というレベルで、ほかの大多数は「社会不適合者」か「気が違ったひと」程度にしか思っていないことも知っているよ。どれくらいのチメイドなのかは知らないけど。

例え「エコーさん」のようなひとが「感想文」を読んで、密かに溜飲を下げているとしても、マイナス効果のほうが大きいことも判るよ。



でも書きたいのだわ、「感想文」。善きことも悪しきことも、包み隠さずにすべて。当たり障りのない部分だけを上手い具合に切り出した「平穏な文章」にはできない。それは「生きてはない」から。そんなのは無意味だし。

こうなるとすぐ、「そんなのチラシの裏にでも書いておけ」という「幻聴」が聴こえてくるけど、そんな「正論」自体が「チラシの裏」レベルだ。書きたいと思ったときは、すべて吐き出したいとき。そうしないと、ほかのことが考えられない。ことばがわたしを「支配」する。だから困る。



結局「止める・止めない」で悩むときは、自分がよく判らなくなるときだ。わたし以外のすべてが正しく見える。わたしの思考が、肉体が、すべて「まがいもの」に思えてくる。無意味無意味無意味無意味。

「それは自分に自信がなくて、かつ、自分を認めてもらいたいと思っているからだよ」と、誰かが言う。判っている。そういう「てい」だ。

わたしたちが「わたしの人生」と信じている事象もまた、「どこかで編集された物語」にすぎない。わたしたちは「人生(という物語)の主人公」なのではなく、まったく人工的な「物語」そのものなのだ。悲しみも喜びも「わたし」が描く。



そもそも、わたしは「考えている」のか? わたしの思考は、ただ脳内の「火花」がパチパチとはじけている「だけ」で、実は現実には「存在していない」のではないか?

わたしの文章はすべて、まったく「宇宙語」のようなものなのではないか? という不安はいつもある。マジで他人さまはこの文章を読んで意味を理解できるのか? ことば足らずで読みにくいというレベルを超えて、文章として認識できているのか? と。だから、コメントがキチンとつくことが不思議に思えるときもある。



でも、「感想文」に「悪意」がある、とすぐに判るくらいだから、そうでもないのだろうけどなッ!

いちおう、「下品」にならないように、以前にくらべれば、ずいぶんと気を遣って書いている(たまにそうではなくなる)けど、ムダなのだなと思いましたまる。

というか、「感想」ですらすでに「ネガティブな記述などありえない」というイメージなのか。ネチケットはそこまで浸透していたのか。それともただ「芸」がないというだけか。わたしも、おもしろみがない人間だとは思っているよ。

なんかなー、わたしも「大先生」のテンプレートをパクっちゃおうかなー。「敬意」さえ感じてもらえたら、どんなにとんちんかんなことを書いても、とくに指摘もされないなんて、うらやましいねっ!




まあ、これも寝て起きたら、ほとんど忘れているのだろうけど。これがなかなか忘れられなくなって、ずっとあたまのなかにあるようになったら、わたしも「1人」のなかまいりだな。



03:41  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.21 (Mon)

どうせ わたしが 間違っているのだろう けど-NOTE

「大先生」による『ハローワールド』の評に、こういう一文がある。


作者さんの作品紹介を読むと、「1000人に面白いと言ってもらえるより、1人の心を動かしたい」とありました。まさにそういう性格の作品だと思います。私は十分心を動かされましたし、とにかく全体に押し付けがましくないので、多くの人の心に響く物語なのではないかと思います。


「大先生」が引用した部分を、製作元である「EaSt」さん(のトップ・エントリ)ではどう書いているかというと、


そのコンセプトは、小林修曰く、「全国に三万人いる自殺者を一人でも減らすこと」らしいです。つまり、1000人の人に面白いと感じてもらうのではなく、1人の心を動かすことが私たちにとって大切だということです。


と、なっている。で、ここからが本題なのだけど。



「大先生」は、あくまでも「作品の持つメッセージ」によって「心を動かされた」のだよね? 一方、「EaSt」さんは「自殺者を一人でも減らす」ために、「1000人よりも 1人を選ぶ」と言っているわけ。これは「EaSt」というサークルが掲げる「ポリシー」であって、『ハローワールド』で描かれているテーマ(メッセージ)は、そのポリシーを「届けるべき相手」に伝えるための「手段」に過ぎない。

なにが言いたいのかというと、「面白い」と感じただけの「1000人」の内のひとりに過ぎない「大先生」が、自分が「特別なひとり(ほんとうにことばを届けたい相手)」であるかのように公言するのは、(例え「善意」からであっても)おこがましいことなのではないの? ということ。

「EaSt」さんは、「多くの人の心に響く物語ですね」ということばを「聞きたいのではない(いやまあ、それはそれで、もちろん嬉しいのだろうけど)」。むしろ「1000の賞賛」なんていらないと、きちんと「書いている」。

それよりも、人生に絶望して、生きていくことすら諦めようとしている、どこかの「1人」に対して、それでも「生きていてほしい」「死んでほしくない」と願っている。それだからこそ、その「1人」の「心を動かす」ことができる作品を作り続ける、と宣言しているわけでしょ?

そして、その結果が、「世界」を信じて「Hello」と声をかける(能動的に係わろうとする)とき、「世界」はかならず応えてくれる、という「メッセージ」を込めた、『ハローワールド』という作品になるわけ。そう考えれば、これは逆に「非常に押し付けがましい作品」である、とも言える。ここまで力強い宣言がついているならね。そういう書き方だってできるというだけですよ。


わたしも「作品自体のメッセージ」に関しては大いに賛同しますけど(現にトモダチいないし)、自分が「特別なひとり」であるとは、とても書けませんよ。だってわたし、死にたくなるほど本気で生きていませんから。結局は、「面白い」というしかないだけの「1000人」の側に過ぎない、ということくらいは自覚しています。

だいたい、「1 / 1000」にしか「きちんと届かない」作品である、と書いてあるのに、「多くの人の心に響くのでは?」と評するところが謎ですが。たぶん、「心を動かしたい」という部分だけを切り取ってこんな持ち上げ方をしたのだろうけど、「わかっていない」ことには変わりないな。とんちんかん。

まあ、「大先生」が、「死にたい」とつぶやく気力がないほど精神的に追い詰められている、というのなら、はなしは別ですけど。どうだかね。知らない。





「意識の高い」レビュアーって、「赤ペン先生」よろしく、作品の「添削」をしているだけなのでは? と思えてきた。「大先生」の『ハローワールド』評は「生徒が提出した課題に、教師が添えたメッセージ」みたいな雰囲気がある。「推薦」「純推薦」もなんだか、「よくできました」「大変よくできました」のスタンプのよう。

まあ、これもまた、「製作者」と「プレイヤー」に向けた「最良の手法」ということなのだろうけど。実際、すでに「敵」もいないのだろうし。なんだかなー! ど、どうでも良いけどねっ!


そういえば、以前「自爆」したときに、「akino さんって NaGISA さんが大好きなのですねっ!」というコメントをいただいて恥ずかしくなったことを思い出したけど、いま忘れた。



03:08  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.19 (Sat)

わたしは クズ-Hell in the mind.

世のなか 必死に生きているひとは たくさんいるよ。



にんげん 死を欲すれば からだが死に向かうように

生を欲すれば どこまでもムチャをしても 案外 はたらき きることはできる。



いちにちいちにち はたらいてはたらいて やすみもなく はたらいて

それでも果てのみえない 低気圧のイタズラのような風に

いともたやすく ふきとばされて しまうような

どうしようもない社会の バランスのなかでも 生きているひとはいるのだ。



それは TV の報道や ネット記事のなか などではなく

あなたのおとなりや またはそうすでに あなた自身の おはなし。



耳をすまし 目をこらせば どこにでもあるような フツーの歴史

そのただの まったく瑣末な いちぶ。



はたからみれば ダイナマイトかかえて ハードル跳びでも かましているような

ちょっと悲壮なすがた にさえ にんげんの意思のかがやきは たしかに宿る

それが 働く ということなのだね。




だが そして そのすがたを 認識しても なお

G.U. な あしたの風にふかれて チンタラ生きたいと 思っている

わたしは  クズ。



02:45  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.17 (Thu)

どうか 倒錯と ワルツを-NOTE

ノーミソつるつるの凡人でしかないわたしは、「倒錯」の強い創作作品に対して、畏怖というか警戒心というか嫉妬というか、無意識の内にココロにブレーキがかかるような傾向があるように思う。

もちろん、そういう作品を制作なさっている方々に、ケンカを売るようなマネもできない。だから、わりと無難(でほとんどが退屈な部類に入るような)な作品を選びがちになるのではないか、と。まあ、コズルいことですね。

正直、「商業作品の劣化コピー」にしか見えないものは、どんなにムチャクチャなことをしていても、それは「倒錯」ではないように感じる。暗に「判ってやってますよ~」という「空気」というか「下心」が透けるというか、刺さるような「違和感」がないのですよねー。まあ、だから無難で、読者を選ばないということなのだろうけど。


でも、倒錯の強さが「作品の質を底上げしている」部分もあるはずなので、真の意味で「良い作品」を求めているのなら、やはりそこは外すべきではない、という気にもなってきた。

そもそも、倒錯は「善悪」を超えた部分で人間存在を証明する……と、それっぽいことを学もなしに書こうとしてしまった。でも、目を背けたくなるようなことのなかに「人間」を理解する「鍵」があるというのは、確かだと思う。そうでなければ、倒錯的な作品が存在する意味がないし。

いつかは、他人さまの倒錯を理解する……というのはあまりにもおこがましいので、倒錯と「適切な距離感」で渡り合えるような人間になりたい。つまり、無駄なモラルから「解放」されている人間。相手の「倒錯」を、社会正義を持って難じない人間。まあ、これは「あるのは害だけで、まったく意味がない」といまでも理解できるから、しませんけど。

そのためには、人生経験を積むしかないんだよなあ、おそらく。はやく「大人」になりたいねー。



03:05  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.09 (Wed)

映画館でかかっているものが「映画」であるとは限らない 12.05.05-NOTE

朝も早くからすでに、ウェイティング・フロアに行列を作っている人々の群れを見て、ほんとうに「GW って恐ろしい」と思いました。

そもそも、満員電車の座席みたいに横一列、空席もなくひしめき合いながらじゃあ、映画を真に楽しめるとも思えませんよ。とくにまわりがぜんぶ家族連れとかだとね。

でも、上映終了日が迫っているとなると、どうしようもないのですけどー。




『ウルトラマンサーガ』

「ウルトラマン」が「情操教育」的な物語ばっかりなのは、あきらかに「世間からの要請(規定された「ボクらのウルトラマン」像)」であるのだろうし、製作側も「そちらに乗っかっている方が良い」と考えているのだろうなあ、と思う。

いや、別に「ハード SF」とか、「正義とはなにか?」とか、チャレンジブルな企画に挑戦することもできるのだろうし、実際にやってきてもいるのだろうけど、その結果、会社が「ウボアー」しちゃうし……といったところなのだろうなあ。

つまり「そういうエーガ」です。


ひとことでいえば「ダイナ・メモリアル」的映画。ただ、「過去作品のヒーローを出しとけば良い」といった安易さではなく、いちおう「新しいおはなし」に組み込まれているかたちになっていたので、まだ良心的であったと思う。

ただ、展開がけっこう「駆け足」だったので、そこはもったいなかったかもしれない。これが全10回の TV シリーズで、「チーム U」やこどもたちそれぞれキャラクタや、アスカとの関係を掘り下げていったら、もっと良いはなしになっただろうと思いました。

まあでも、前半のコミカルなシーンは、不覚にもなんか笑えちゃったし、AKB のみなさんも『私立バカレア高校』なんかに比べれば、ぜんぜん存在感があったよねwww


そしてやっぱり主演の DAIGO さん。実際、まだまだの演技だった(とくに、叫ぶと声が裏返っていたのが残念)けど、タイガも本人に近いキャラだったおかげで、なんだかトボけたこと言ったりして、個人的には好感が持てましたよ。

どちらかというと、これの前に観た『ヴァンガード』のドラマのほうが良かったのですけど。タイガの「チャラくて自信家、実はヘタレ」という設定から「自信家」の部分をさっ引いたようなキャラで、より本人に近かったし、現代劇だったし。セリフやキャストとかも良かった。期待してなかったからかもしれませんけど。

まあ、要は DAIGO さんのことは嫌いではないので、否定するほどでもなかった、ということです。そういえば、DAIGO さんが「おじいさん」のことをオープンにして TV に出始めた頃、加賀まりこさん(だったような)に、「(「あのしゃべり方」を矯正するために)お芝居をやりなさい」と「説教」されていたような記憶があるのですが、そういうことなのでしょうかねー。


それにしても、『BREAKERZ』って、平成の『海援隊』ですよね。ボーカルの「タレントとしての素養」が溢れまくっているという点でいえば。これからも、なかよく音楽活動を続けていってほしいものですね。




『仮面ライダー X スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』

正しくは、「ディケイド VS ゴーカイジャー スーパー二番手大戦」。


パンフを読んで、製作側もある程度自覚的に「これ」をやっていて、キャストさんたちも気持ち良く仕事ができたというのなら、もうそれで良いという気がしてきました。

個人的に、「Super Hero Time」に係わった役者さんのなかで、それが「良い思い出」になってくれるなら、それだけでこちらも幸せなのですよね。例えば、過去作品の主要キャストさんがゲストで出演してくれたり、特撮誌でインタビューが載ったりとか。

あとは、さとう珠緒さんがバラエティ番組でオーレンジャ-の変身ポーズをふられたとき、嫌な顔もせずにきちんと応えている場面を何度も観たことがありますが、あれってほんとうにすごいことだし、そうやって過去の作品を愛してくれるなら、それだけですばらしいことだと考えているので。正直、好きなものではなるべく悪口とかは見たくないのです。


……でもやっぱり、おもしろくはないんだよ!www

こういう「お祭り作品」では「全方位的」にファンサービスしなくてはならなくなるので、どうしてもガチャガチャしてしまいますよねー。こういうのが続くのって、いい加減に萎えます。別に期待なんて、始めからしてもいないのですけどっ!


特撮ドラマが「Pixar(Merida is Brave!)」ばりのストーリーテリングをしてくれたら死んでも良いのですが、たぶん、人類が絶滅してもムリだろうなwww

それにしても、プロデューサーに「靖子にゃん」呼ばわりされる小林さんとわwww



00:56  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.02 (Wed)

荒木先生だって 「精神」 について マジメに考えているもの-NOTE

ベートーベンはシラーの「歓喜に寄す」を「神々の火花」と評した。

そして、ある脳科学者は人間の「精神」とはつまり、

脳内に起こる「火花<スパーク>」の産物に過ぎないと語った。

そして、「それで良いのだ」とも。





「ブラバラ」での「Fairies」のパフォーマンスを、もう何十回と観続けている(モー娘。の新曲のほうはいまいちハマらないので無視しているよ。ゴメンネ!)。


そこで思ったのだが、歌やダンスを含めた「音楽」は、進化の歴史が「人間」に到達して、はじめて獲得した「能力」なのではないだろうか。

あたりまえといえばアレだが、犬や猫が歌を歌うことはないし、いくら「おさる」が人間に近いといっても、彼らが自らの「内なる衝動」からダンスを踊るということもないだろう。

そして、人間であろうことの「証明」とはなにかといえば、それはわたしたちの脳に宿る「精神」だ。それだけが「動物」と「人間」を決定的に分かつものなのである(あ、でも、動物もスタンドを使えるwww)。

つまり、わたしたちが「音楽」によって、どうしようもなく感情を揺さぶられるのは、眠れる「動物的ななにか(「本能」とか)」のせいではなく、「精神」より生まれたものがまた「精神」に響くからなのだ。


このことは、太古の昔より神事には歌や踊りが用いられてきた、という事実でも証明できる。人間が獲得した「精神」の希求が「神を創造した」のなら(反論は一切認めないwww)、その神に応える業もまた、「精神」から生まれたものでなければならない。

つまり、これもまた「精神」の「響き合い」というわけだ。わたしは、「自然(神が宿る場所)」と対峙したおおむかしの人々が、身体的・動物的な勢いでもって、手足をばたつかせたり、うなり声を上げていただけだとは、思いたくない。


そうなると、人類史の最初期、遠くアフリカの地で「はじまりのイヴ」とその伴侶が人間として「目覚めた」ことと、多くのアフリカンが音楽的才能に溢れている、ということとのあいだに、ロマンティックな因果関係を見出すこともできる。

アフリカの大地でステップを踏んでいたであろうその「足」で、長い長い旅を続けた一族が、やがてこの島国に辿り着き、そこを安住の地としたことで、彼らがわたしたちの(というか「Fairies」の)祖先になった、という歴史もまた、過去から伝わるすばらしい「響き」であるといえないだろうか。


……「響き」って、「美しすぎることば」だよなあ。「響鬼」と書くと、また別のものになってしまうけど。



追記:

……なんだか、「Semmy」が書くようなエントリになってしまった(内容も散漫さも含めて)。

もっとも、アイツは人類に対する「愛情」も「敬意」も、なにもかもが欠けているし、進化論自体をも否定しているのだけどねっ!www



追記 2:

冒頭で書いた科学者のことば、かなりはしょってしまったので補足。

正しくは「このまま脳に関する研究が進んでいけば、やがては『魂』すらも解明できてしまうだろうが、それで良いと思う」といった内容だった。

この「良い」は「事実は事実でしかないのだから、仮にすべてが判ったからといって、なにかが変わってしまうわけでもないでしょう」といったニュアンスだったはず。

「Semmy」は、科学が「オカルトを殺す」のだと信じ込んでいる(からこそ、科学を否定し貶めようとする)けど、科学者自身が「そんなことにはならないだろう」と語っているところに、「Semmy」の器の小ささを見て、個人的に大満足www



02:10  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2012.05.02 (Wed)

「Lord of War」、interesting だったなあ-Hell in the mind.

「善がなにもしなければ、悪が勝つ」と他人(ひと)は言うだろう。

だが、わたしはこう思う。

(ただ)「悪が勝つ」と。               ユーリ・オルロフ





ニコラス・ケイジさんが嬉々として「死の商人」を演じていたし、オチも「米国大統領マジ悪人www オレなんかよっぽど小物だしwww」と静かに終わっていくし、ナレーションの多い作品だから、まあ、吹き替え版(もちろん、ケイジは大塚さん!)でも良かったし。


…と書きつつ、いまから前置きとはまったく関係のないはなしをします。




「カニッ食べいこぉ~」と PUFFY が歌っていたような名前の「あの御方」「NaGISA 大先生」は(まわりくどかった)、いろいろさっぴいても、やっぱり「劣化」しているように思えるよ。

例えば、彼の最近のレビューは、かつてのような「読み応えのある」ものになっているだろうか? 確かに「Free Novel Game」を広く「紹介」する文章としては「正しい」のかもしれないが、あんな小奇麗にまとまった出稿記事みたいな「そつのなさ」の、どこに「情熱」が感じられるというのだろうか。

しかも、あきらかにとんちんかんなこと(わたしがすでに「狂っている」わけでもない限り)書いている気がするし。「世間」に気を遣い過ぎて、肝心の「審美眼」が濁っているんじゃーないの?


「ヴィジュアルを前面に押し出したリメイクで、過去作品をもっと周知してもらおう」とか、「NM」関係の著名な製作者を招いた、「マスコットキャラクタを用いた企画物ノベル」の中心人物になったり(どっかの「幼稚園」のひとかよ)とか、いつのまにか「つまんねーミーハーっぷり」を発揮するひとになってしまったのだなあ、と思う。

まあ、もともとが「そういう人間(バイアスかかりすぎっ!)」だったといえば、それまでだけど、自分でした「説教」までもムダにするようなマネだけはしてほしくないよねwww たのむよ、「古参レビュアー大先生」www



00:41  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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