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2011.12.30 (Fri)

FF 零式 1周目クリア記念-NOTE

2011.12.23 頃、決着。



なぜ、DISC 1 が最初と最後の作戦のみなのかが、ようやく判った。確かに、あの量の Movie を DISC 2 の本編と分けたのは正解。ユーザの手間になるとしても、思い切り良くやってくれたのは、結果的に良かったのだろう。


というか、最終作戦、長いわ、ツライわ、死にまくりだわ。でも最終決戦の演出は、それまでの苦労を忘れるほど熱かったし、その後の Ending から Epilogue にかけては胸に来るものがあった。

「戦争」を扱っているという「名目」で出てくる登場人物をかたっぱしから殺しまくる内容だったのは正直、善いのか悪いのか微妙なラインだけれど、キレイにまとまってはいた。あと、テーマ曲の良さも盛り上がりに貢献している。『ジ アビス』よりも好きかな。


携帯アプリとして出発した本作は、おなじコンセプトの『The 3rd Birthday』とはゲームの「密度」が違った。改めて思い返してみると、朱雀の本拠地、ワールドマップ、そこに点在する街、あとは作戦中のマップを行き来してレベルを上げているだけのゲームではあったが、複数回の周回プレイを前提とした世界の「広がり」は、携帯機の RPG としては最大級なのではないだろうか。


それにしても、「あの選択肢」で結末が分岐するのかどうか、正直調べるのがメンドくさい。あと、ドクター・アレシアの「正体」はなんとなく判るけど、結局「アギト」ってなんなのだろう? 特別な「ルシ」を指しているわけではないのだろうか? 案外、仮面ライダーのほうとおなじなのだろうか?




おまけ:「0組」の14人のなかで選ぶなら


いちばん使用回数の多いキャラ:シンク

「不思議ちゃん」の方向性がちょっと嘘っぽくて、その人格設定が若干気に喰わないけど、まあ、シンクで良いや。メイスって意外とリーチあるし。脚は速めだし。



キルサイトを狙うなら:クイーン

ただし、シンクで動きの速い敵のキルサイトを発生させるのは面倒なので、キルサイトを狙う場合はクイーンが良い。意外と MP が伸びないので、魔法キャラというわけではないということに気付くのが遅かったのに、すこし後悔。メガネはどうでも良いのだ。



遠距離で立ち回らなければならないときは:エース

遠距離攻撃系の4人のなかでは、エースがいちばん使いやすいと思う。近距離攻撃との切替もできるようになるし。あとは、ケイト、キング、トレイの順かなあ。



次点

ギリギリ遠距離系にもなれるセブンとか、魔法使い放題のレムとか、戦闘能力の高いマキナとか。わりと男子キャラが扱いにくい性能になっている印象がある。AI に使ってもらったほうが「活きる」キャラだと思えば、大事な仲間だけどさ。でもやっぱり、一撃が重いシンクが良いな。

というか、どいつもこいつもツラがおキレイでさあ……。



17:56  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2011.12.26 (Mon)

ほしの ゆめ ひとの うつつ-Hell in the mind.

わたしたちは「運命」の上に立っている。


TBS の長時間報道特番で「3.11」に起こったことの「ほんの一部分」を改めて目にして、やっぱり「人間に利する神」なんていないのだなあ、と思った。

「超有望な宇宙のデザイナー(これも陳腐?)」の作品のひとつである「母なる惑星」は、自分の「こどもたち」の生き死になどお構いなしのようだ。これはもちろん人間だけのことではなく、野生動物も川魚も松原も、すべて平等に「知ったこっちゃねえ!」と思っているに違いない。

だいたい、地表を覆う水たまりの底にできた「ちょっとしたあかぎれ」程度の傷で、人間の生活圏を壊滅させてしまうのだから、もはや笑うに笑えない。わたしたちはあまりにも無力だ。


とはいえ、そのことに絶望しているわけではない。むしろこうなると、わたしの関心はますます「人間」自体に向かってしまう。「天国」も「より善き未来」も、どうせここにはない。だったら、等身大の「いま」のほうがずっとずっと重要だ。

だいたい、人間が持つ能力以上の「Power(例えば原子力www)」なんて、まったく信用できない。そんなものは「超有望デザイナー」の見る「夢」のようなものだ。その不相応な夢は馬鹿を惑わし、容易につけあがらせる。そしてその度、わたしたちは「騙された!」と喚き、意味もなく傷つくのだ。ほんとうに、みんな始末が悪い。


つまりは、あんな地震と津波ばっかりの映像を真剣に観ていたら、ただただ悲しい気分になるだけ、ということなのだが。というかわたし、詩的な感性がないのな。



01:48  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2011.12.13 (Tue)

語るべき ことばを 持たぬ者-Hell in the mind.

(映画公開よりもずっと前に買っていた)原作小説を読む前に、『包帯クラブ』の映画を観てしまったあああ! しかも監督が「あの方」なので、いまいち良かったとかなんとか書き辛いいい! でも、さすがに出演者の方々は、いまはもう高校生役とかできない年齢になっているので、なんだか逆に新鮮で良かったあああ! というか、2007 年公開って、もうそんなに経っていたのかあああ! でも、ほんとうは『Lie to me』も観たかったあああ! 『神☆ヴォイス』って、なんやそれえええ!



映画を観終わったとき、ふと思った。わたしは「傷ついたこと」があるのだろうか?

別に「包帯クラブ」の面々が抱えていたような「傷」ではなく、もっと日常的なレベルであっても、わたしは傷ついたことがないのではないか。

傷ついたことがなければ、真に「生きている」とはいえない。また、傷ついたことがなければ「語るべきことば」も生まれてはこないし、「優しさ」を会得することもできない。そんな気がする。


テンポの「みんなが楽しくしているのは、なんだかムカつくぜ! だからわたしがぶっ潰す! UREYYYYY!」という感情には共感できる。愚かなうえに虚しいが、悪感情から逃れられない場合もあるのだ。ただ、わたしは自殺したくなるほど社会に「絶望」したこともないし、心配してくれる友人もいない。それもまた、傷ついたことがないからだろう。わたしは、すべてから逃げている。

そう考えると、自分の表現欲求自体が疑わしくなってくる。わたしの内より生まれようとしている物語は、はたして「真実」であるのか? 傷ついたことのない者が他人を理解し、また、他人から理解されることはあるのか? 答えはない。いや、すでに「出ている」。


だいたい、世間のわたしに対する評価は、「あたまのおかしい人格破綻者」か「おもしろいバカ」のどちらかだろう。皆に愛される表現者? 「愛とはなんだ?」

わたしにだって、自分の言動を正論を持って難じられたとき、それを恥じる感覚くらいはある。だがしかし、いまさら道を変えることはできない。なぜならわたしは傷ついたことが……って、もう良いか。



その「空」には、きっと手が届かない。



02:40  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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